こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

12月28日 日曜日 深夜、自宅にて

2008-12-29 02:22:48 | 想い出かたちんば
掃除と年賀状作りで今日は暮れた。

年末の休日というのは、なんて平和なものだろうか。
しかし、私は、この平和な時間と静けさが怖くなる。
こんな静けさが、自分の不安をあおる。
自分の不幸、それは、こんな平和な時間にも不安に苦しむ事。

MZ師は言う「困ることは、そのときになって困ればいいのだ」(漫画「ぼのぼの」より)。
年始に「今年のテーマはスイッチ」と、自分に言い聞かせたが、なかなか、そうはいかない1年だった。

「生活。
よい仕事をしたあとで
一杯のお茶をすする
お茶のあぶくに
きれいな私の顔が
いくつもいくつも
うつっているのさ

どうにか、なる。」(太宰治「晩年」より)

これは、どうにもならない事を暗示しているのだが、今の自分もそんな状態かもしれない。

***

今夜は、珍しく、テレビを見た。

1つは19:00からのたけしの「ニッポン人の現代史『2008を総決算!大混迷の原点は…1980」。
もう1つは、「犬神家の一族」の映画。

1980年の金属バッド殺人事件が、1つの時代の分水嶺であることは、多くの人が言ってきたことであるが。
藤原新也先生の「東京漂流」の例の写真が写る。



自分とかなり、一柳展也が近い境遇であったことを再確認する。
自分は、1981年夏に、父の決断で、草加市に「サラリーマンユメの一戸建て」を購入し、生き詰まった遠距離の生活が始まり、1987年に、2浪の末にノイローゼになり、果てた。
しかし、彼は強かった。
金属バッドで、父・母を叩き殺した。

今年は、様々な殺人が起こったが、その原点を、この1980年の一柳展也の「一打」に据える。

***

2009年、たぶん不幸しか待っていないであろう年に向かって、我々日本人は向かっていく。
嫌がおうでも、あと3日で、2009年は、やってきてしまうのだ。
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