気候変動大きく、春なのか初夏なのか?不明な日々。
ここ数日、アンテナやミカドなどの曲を聴いていた。その後の流れで、同じクレプスキュール・レーベル所属のポール・ヘイグにたどり着いた。
高校生の頃、彼のレコード「ジャスティス」(12インチシングル・1983年)を手に入れたが、自分の中で決め手に欠けて、数年後中古レコード屋さんに売りに出した。今思えば取っておけばよかった、と思うが、当時は決め手に欠けるモノを持ち続けることに耐えられなかった。
ポール・ヘイグの音楽はポップスでもロックでもそう言い切るには居心地が悪く、割り切れない気持ち悪さをもっていた。だったら「ニュー・ウェイヴ」で良いんじゃね、という言い方はニュー・ウェイヴの音楽家に対して失礼である。
彼の音楽を紹介する雑誌ではよく”エレクトロニック・ファンク”という表現をされていたが、私はそもそもコレ(エレクトロニック・ファンク)がどんな音楽を指しているのか?全くわからない。じゃあ、ポール・ヘイグの音楽ってどんなもの?と言われたら、これもまた説明が出来ない。いったい何を目指して、このような音を鳴らしているのか?といった肝(きも)がわからないのだ。
それでも、クレプスキュールには時代を変えるキュートな音楽が集まっていたから、何とか彼を理解し好きになろうとずいぶん努力した。決してまがいものとは思っていない。「ジャスティス」だってメロディアスだし、簡素なシンセだって不思議に浮遊してる感じだって自分の好みだし、スパンダーバレエ等イギリスにある「ええ声」の野太くノド鳴らすボーカルだって悪くない。しかし、音楽とは要素1つ1つ取り出して良い悪い言っても意味がない、最後1つまとめてどうか?なのだ。そういう意味で何かが惜しいのだ。
テストなら60点。勉強したのかもしれないし、しなかったのかもしれない。そんなあいまいさ。マッサージなら凝っているツボに当たりそうで当たらない、施術受ける側がやきもきする具合。リピーターになるには微妙で、施術終わりに「いかがでしたか?ずいぶん凝ってましたね」と言われて、「もう終わりか・・困ったなぁ」と思う自分。いさかいを好まない自分は「ああーっ、おかげでラクになりましたぁ」と話しを合わせておきながら内心[次からココは無いな、少なくともこの人はないな・・・]とガッカリしながらも本人をキズ付けないよう、ニコやかに店を出る。少なくとも私はそうしている。。。
話しが脱線した。(わたしは一体何の話しをしとるんだ。)・・・ということで、要は激しいファンやリピーターになるにはポール・ヘイグの音楽は微妙な喫水線にある感じなのだ。
「良いもん持ってんだけどねぇ〜、きみ」。
***
この12インチシングル「ジャスティス」を買いに行ったお店や日時はぼんやりしている。
しかしそもそもなぜ買ったのだろうか?おぼろげな記憶ではフールズメイトに載ったジャケット写真とレコード評に惹かれて、ジャケ買いしたんだろう。いや、ひょっとすると新星堂の広告に刺激を受けてのことだったかもしれない。あるいは、FMで聴いたか?。
買った場所は池袋?これももう今ではわからない。たぶん1,580円くらいしたはず。
そういうことで、ひさびさに今週は「ジャスティス」の12インチバージョン、7インチをiTunesで聴きながら、雑念とたわむれている。
■Paul Haig「Justice」1983■
0423朝というか10時半ごろ
今日は一日雨だった。明日は終日くもりの予想。