
2007年12月26日 夜9時から11時25分
「ビートたけしが斬る実録!大河スペシャル昭和の真相~1989年!つづく。で終わる物語」
◇ビートたけしが歴史を語る特別番組。「1989年」にスポットを当て、昭和という時代をつくり上げた大物たちの意外なつながりや秘話を掘り起こし、現代日本につながる知られざる昭和史の真実に迫る。昭和天皇が最も信頼を寄せていたという当時の侍従、卜部亮吾さんの日記を基に、昭和天皇の体調が心配され始めたころから崩御の瞬間までに宮内庁で何が起こっていたのかを紹介。ほかに美空ひばりさんと作詞家の阿久悠さんの隠された真実を探る。また、たけしや美輪明宏らが当時の懐かしい思い出やVTR出演者たちにまつわる記憶などを熱く語り合う。さらに昭和とは何だったのか、昭和から平成に変わった89年を境に日本は何を失い、日本人がどう変質したのかを考える。◇

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ひさびさに良いテレビ番組を長時間見た。
まあ、たけしさんのファンだから見始めたようなものだが。
・・・しかし、とにかくCMが邪魔であった。
そういえば、ハードディスクレコーダーの開発上、「CMカット機能」に「電通」他の圧力がかかって、潰された、という話を聞いたことがある。
思えば、当たり前のことを言うのかもしれないが、自分が見たいのはあくまで番組「昭和の真相1989」であって、和田アキ子のリーブ21のCMではなかった。
それを「スポンサーがなけりゃ番組が成り立たないんだから」という「言い訳」をする事で今までしのいできたのであるが、もはやそういった在り方は否定されねばならないだろう。
全てが競争の中に巻き込まれていく中、地上波テレビ・広告代理店らが裏社会を牛耳っている世界は、何がなんでもたたきのめされねばならないとだけは「無理なる祈り」をしながら、新たなるデジタルメディアからの応酬と破壊の極地に期待しているのである。
平成は、何も築いていない。
築いているかのように思うのは、砂上楼閣のように思うのは、「行き過ぎ」か?
それとも、「生き過ぎ」か?
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なぜこんな心境になるのか?
とにかく空しかったのだ。
もともと、1986年に生きる限界を感じ、自殺未遂した人間である。
そこから自分を立て直し、21年を経たこんにちであるが・・・・・。
自分は、22歳で昭和の終焉に立ち会った。
そんなことに、急に気づいてしまった。
しかし、この空しさの1つの要因は、昭和を語る番組の合間に「平成のCM=現在」を見ることの空しさだった。
それは、昭和と平成のオーヴァーラップを見る想いだった。

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自分は、この空しい「平成」の、20年という長い時間を生きてしまい、まだ、さらに、この空しい時代を生きねばならないのだ、という現実を、目の前に見た気がした。
それは、過去が遠くなったからというノスタルジアだけではないと思う。
いや、過去を「過去」としか語っていないとは思っていない。
単なる「中年」のつぶやきなのだろうか?
しかし、「平成」は、まさに、「明日という未来や希望という概念のない」、宮台真司の言った、まさに「終わりなき日常を生きろ」だったことは、「明らかなる事実」なのだが・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

1989年は4歳だったのでおぼろげにしか覚えてませんが、あらためて因縁めいた年だったなと思いました。
自分では、若いつもりでも、追っ手は次々やってくるんですね。
80年代生まれか・・・・。
最近そういう人を身近に見て、不思議な感覚に思います。