昨夜に続くが、第二期ウルトラヴォックスが特に好きなのは(何も彼らに限った話しではないが)、エモーショナルでありながらもドラマティックかつロマンティシズムが漂う点とは別に、(インストゥルメンタル曲に顕著だが)ローマの建造物のような構成配置によって音が創られている点だろうか。
音の後ろにカチッカチッとした骨格が透けて見える。
それを象徴するかのようなジャケット等デザイン。
ウルトラヴォックスの音楽は、ヨーロッパの長く深い歴史の重み・退廃的空気を背負っていた。
「何も彼らに限った話しではない」と言ったが、それはデュラン・デュラン&各プロジェクトへも投影されていたり、さまざまな当時のイギリスミュージシャンに言えること。
「構成主義的」というと、ニューオーダーがジョイ・ディヴィジョン無き後、暗中模索の中、新しいバンドの音を発見していったプロセスだが、彼らの背後には特に大きなヨーロッパの影を感じない。
むしろ自分の意識は、デヴィッド・ボウイが「ロウ」「ヒーローズ」をイーノと創っていた頃、彼が好きで聴いていたのがタンジェリン・ドリームなどだった、という事の方に繋がる。
そういった類のウルトラヴォックスの曲を上げるならば、「ミスターX」「モニュメント」「アレス・クレア」など。
未だにたまらなく好きである。
この辺は、ウルトラヴォックスの「パッショネート・リプライ」に惹かれて創ったYMOの「CUE」との相関関係も、1981年時点でのウルトラヴォックスの存在価値の大きさを反映している。
■Ultravox 「Monument」1982■
「モニュメント」は、「エデンの嵐」(1981)の次の作品「カルテット」(1982)制作に伴うシングルのB面曲だが、えらく素晴らしい。「カルテット」の後、日本向け編集盤ミニアルバム「ヒム」に収録されたもの。あくまで個人的名曲。
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時代の趨勢と、我が身の衰えから、ついアンビエントに・・・と傾いてはきたが、実の自分の好物としての本筋は、こういった曲にあるようにも思う。
これを言うと「ならば、ドイツのエレクトロを聴くべきだよ」と言う人も居るだろうが、その手の音楽を指してはいない。
こういったウルトラヴォックス的楽曲がなかなか無いので、ほかのものをツマミ食いしているうちに、いろいろと知見は広まったが、やっぱり好きで好きで仕方が無い曲に戻りたい、という心境。それが最近ある。
その起点は、細野さんが自らの原点(小さい頃聴いていた音楽)に戻っていったことに影響を受けている。
しかし、それが意味するのは(あくまで私個人の内面的問題だが)「もう後が無い」と感じるゆえのこと。
クラフトワークのコンプリートボックスを数年前に購入して、「通して何度も聴いて」いたのですが、まさに「通して聴く」という"作業"の中に、見いだした違和感。
ただ、根をつめるという意味において、日本人のソウルと、微かに一致符号する何かが、自分の中のテクノに対する回帰につながっていったのだと解釈しました。
それはそうと、全く関係ないのですが、麺類は冷やしの場合、夏茗荷をプラスすると、ツユに風情が出てよいですよ。私は冷や麦はだめなのですが、蕎麦は大好きです。
若い頃、新橋は烏森で、仕事帰りに蕎麦寿司でビールをいただくのが気分転換でした。
ドイツというのも、実に幅広い不思議な音楽のルツボですね。
イギリスではなく、ドイツにこそ、ぎくしゃくとした律儀な繰り返し・律動があったのは、なぜか?解釈不足ですが、ドイツ抜きにテクノは語れないと自分も思っています。
DAF、ノイバウテンなどはリアルタイムで聴けたから、自分の底に定着していますが(共にテクノ?とは言いがたいですが)、卓球さんなどが影響を受けたアタタックレーベルの音は、当時は拒否反応がまずは出た記憶があります。
ミョウガは、四月の魚さん同様大好きです。
ただ、自分の場合ですが、夏・セミの鳴く中になってこそ、入れて食べる、という習慣があります。
色にも香りにも、過去の日本の夏があって、確かに風情があって良いですね。