こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2014年8月8日 金曜日 かたちんば・夏の100曲 ~その日は、みんなでネ。~

2014-08-08 21:58:16 | 音楽帳

今宵はテクノで酔いだくれ。私の中の黄金。。。ということで、今宵はテクノにまみれる夜。

1981年5月19日 火曜日
教授のサウンドストリートに”マー坊”こと土屋昌巳さんがゲスト出演。
ともにアッコちゃんの「また、会おね」ツアーさなかで疲弊する、悩める二人の青年の夜話が繰り広げられた。

■一風堂 「ふたりのシーズン」1981■
ゾンビーズ原曲には無い、新たな解釈による「タイム・オブ・ザ・シーズン」。
カバー曲がそれ単独で成り立ちうる、”カバー”の鏡のような楽曲。
コーラスは、アルバム「イーティン・プレジャー」で”細野さんテクノ”に染まったサンディー。

【アルバム「レディオ・ファンタジー」。ジャケットは、大竹伸朗さんの絵。】
高野寛さんも含めて、最近聴いた”誰それか”の「君に胸キュン」カバーに、何の存在意義も無い様とは大幅な距離・乖離がある楽曲。
後に化粧品CM曲「すみれセプテンバーLOVE」でヒットするとダブるように、JAPAN解散ツアーのギタリストとして各国を回った土屋さん。油の乗り切った季節の一曲。

1981→1982年
細野さんは「YMOをやっている最中は、ソロは作らない」と言っていた中、サンプリングマシン”イミュレーター1”を手に入れ、それとプロフィット5だけで制作に臨んだ「フィルハーモニー」を発表する。
主題としては、教授経由で知った現代音楽・ミニマルミュージックへの傾倒がアルバムに全面展開。
そんな中、一曲だけポップなナンバーが入っている。

■細野晴臣 「スポーツマン」1982■

有能なドラマーでありながら、なおかつソロとしてのアーティスト能力を持った人を、幸宏以外に余り知らない。
3枚目のソロアルバム「ロマン神経症」(1981)、そして、内実的に1981年末を持って解散したYMOを経て、1982年春・細野さんが創ったYENレーベル。
そこから発表された4枚目「ボク、大丈夫(What Me Worry?)」。

それと同時に、幸宏初めての国内ツアーが豪華に開かれた。
ドラマーにJAPANのスティーヴ・ジャンスン、ギタリスト・土屋昌巳、サックス・立花ハジメ、キーボード・細野さんらをメンバーに従え、ゲストにデヴィッド・シルヴィアン、坂本龍一、加藤和彦、鈴木慶一ら。
そのライヴのエンディング曲。

■幸宏バンド 「予感(Something In The Air)」1982年7月■

細野さんも半ば冗談めかしてよく言うが、YMOを支えた実のリーダーは幸宏だったのかもしれない。
それを最近、冗談でもおべっかでも無く、よく思う。
細野さんと教授という、2つのまれなる才能のぶつかり合いと途中から強度になっていった反目。
その両極・相反する者の間で均衡を保ち、YMOをカタチ上5年間保たせて、綱渡りの末、見事幕引きまで持っていったのは、ヴォーカリストでもあった、媒介としての幸宏の存在無くてはありえなかったのだろう。

■YMO 「キュー」1982ミュージックフェア■
ヘッドフォン内の音に囚われ、もはや、お互い目配せもしない・鬼気迫るこの演奏が、未だに好きである。これこそがYMOの真骨頂。

どうせ死ぬなら、此の世で出会うことが出来た、大好きな音楽に囲まれて死んでいきたい。
コメント (11)
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