こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2014年8月20日 水曜日 かたちんば・夏の100曲 ~2014年現存する2001年~

2014-08-20 22:35:47 | 音楽帳

お盆が過ぎ、日が昇るのが5時を過ぎれば、残暑。
という屁理屈は、2014年ではもはや通用せず、灼熱の道を歩き渡り、働いていた一日だった。

そのスキマ、電車に乗った瞬間に、汗だくのカラダにスーッと来るエアコンの涼しさが心地良い。
車窓を流れゆく風景も相まって。

YOUTUBEでこないだ発見した、砂原良徳さんがFM出演した際のラジオ。
作品「ラヴ・ビート」発表時のもの。それをMP3に変換したファイルをイヤホンで聞いていた。曲の数々と作品制作過程やアプローチの視点を聴き、気持ちが少しだけ和らぐ。我が一服の清涼剤。

■砂原良徳 「アースビート」2001年5月23日発表■
レコード録音も、時代と共に、一発録りからスタジオでの多重録音へ発展し、そのチャンネル数が増していった。YMO時代には、24チャンネルとか36チャンネルなんてところだっただろうか、記憶に無い。

幸宏が教授のサウンドストリートにゲスト出演した際、制作リミットが近づくと「とりあえず音を埋めてっちゃうんだよね」とお互いの悩みを告白し合っていたことを思い出す。
それが初期衝動としてあった、ナイーヴな音像を壊してしまう。

砂原さんの作品「ラヴ・ビート」が未だ持つ魅力は、アルバム制作後半段階で(インタビューにもあるが)音を抜いていった結果、現れたシンプルな構造。
「楽器が何一つ出来ない」と、遠慮がちにおちゃらけた言い方を、たまにする砂原さん。

このときには、ピーター・バラカンさんが(鈴木さえ子さんとの)「全英ポップス情報」で、ニュー・ミュージックのトニー・マンスフィールド作品をかけた際に交わされた言葉を思い出す。
譜面は読めないし、指一本で原始的にシンセサイザーを弾くトニー・マンスフィールド。彼が自分のプロフィット5を担いでやってきた「ロマン神経症」録音の際に、ロンドンのスタジオに一緒に居たピーターさん。

さえ子さんがそこに”ヘタウマ的希望を見い出した”という話に対して、ピーターさんが言ったトニーの持つ耳の良さ。演奏や楽器操作能力など、どうでもよい、鍛錬では習得できない”センス”。
同じことを砂原さんの描く音には感じる。

発表と今とは13年の開きが事実上はあるのだが、全くそういう違和感を私は感じていない。
そういう2014年8月の、とある日だった。



■砂原良徳 「スパイラル・ネヴァー・ビフォー」2001年5月23日発表■






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