今宵はテクノで酔いだくれ。私の中の黄金。。。ということで、今宵はテクノにまみれる夜。
1981年5月19日 火曜日
教授のサウンドストリートに”マー坊”こと土屋昌巳さんがゲスト出演。
ともにアッコちゃんの「また、会おね」ツアーさなかで疲弊する、悩める二人の青年の夜話が繰り広げられた。
■一風堂 「ふたりのシーズン」1981■
ゾンビーズ原曲には無い、新たな解釈による「タイム・オブ・ザ・シーズン」。
カバー曲がそれ単独で成り立ちうる、”カバー”の鏡のような楽曲。
コーラスは、アルバム「イーティン・プレジャー」で”細野さんテクノ”に染まったサンディー。
【アルバム「レディオ・ファンタジー」。ジャケットは、大竹伸朗さんの絵。】
高野寛さんも含めて、最近聴いた”誰それか”の「君に胸キュン」カバーに、何の存在意義も無い様とは大幅な距離・乖離がある楽曲。
後に化粧品CM曲「すみれセプテンバーLOVE」でヒットするとダブるように、JAPAN解散ツアーのギタリストとして各国を回った土屋さん。油の乗り切った季節の一曲。
1981→1982年
細野さんは「YMOをやっている最中は、ソロは作らない」と言っていた中、サンプリングマシン”イミュレーター1”を手に入れ、それとプロフィット5だけで制作に臨んだ「フィルハーモニー」を発表する。
主題としては、教授経由で知った現代音楽・ミニマルミュージックへの傾倒がアルバムに全面展開。
そんな中、一曲だけポップなナンバーが入っている。
■細野晴臣 「スポーツマン」1982■
有能なドラマーでありながら、なおかつソロとしてのアーティスト能力を持った人を、幸宏以外に余り知らない。
3枚目のソロアルバム「ロマン神経症」(1981)、そして、内実的に1981年末を持って解散したYMOを経て、1982年春・細野さんが創ったYENレーベル。
そこから発表された4枚目「ボク、大丈夫(What Me Worry?)」。
それと同時に、幸宏初めての国内ツアーが豪華に開かれた。
ドラマーにJAPANのスティーヴ・ジャンスン、ギタリスト・土屋昌巳、サックス・立花ハジメ、キーボード・細野さんらをメンバーに従え、ゲストにデヴィッド・シルヴィアン、坂本龍一、加藤和彦、鈴木慶一ら。
そのライヴのエンディング曲。
■幸宏バンド 「予感(Something In The Air)」1982年7月■
細野さんも半ば冗談めかしてよく言うが、YMOを支えた実のリーダーは幸宏だったのかもしれない。
それを最近、冗談でもおべっかでも無く、よく思う。
細野さんと教授という、2つのまれなる才能のぶつかり合いと途中から強度になっていった反目。
その両極・相反する者の間で均衡を保ち、YMOをカタチ上5年間保たせて、綱渡りの末、見事幕引きまで持っていったのは、ヴォーカリストでもあった、媒介としての幸宏の存在無くてはありえなかったのだろう。
■YMO 「キュー」1982ミュージックフェア■
ヘッドフォン内の音に囚われ、もはや、お互い目配せもしない・鬼気迫るこの演奏が、未だに好きである。これこそがYMOの真骨頂。
どうせ死ぬなら、此の世で出会うことが出来た、大好きな音楽に囲まれて死んでいきたい。
おっしゃるとおり、幸宏ってYMOの牽引者だったんだろうなと思います。
そう考えれば、
細野さん―プロデューサー
幸宏―リーダー
教授―アレンジャー
って最小単位のすごいバランス編成ですよね。
全員YMOをつくる仕事をしていながら、自立している。
それと、夏はやっぱりサンディが聴きたくなりますね。
熱気とともに「ミラー・オブ・アイズ」が頭の中を駆け回ります。
かたちんばさんも、お体に気をつけてお過ごしください。
まずはお元気なようで、それが何よりよかったです。
3人のスタンスの捉え方に感心しました。そうか、と教えられた思いです。
YMOをしながら自立。
教授がいっとき「YMOはアルバイトなんてもの。YMOで出来ないことをほかの活動やソロでやる。」と言っていたのを思い出します。
3人とも寝る時間もなく、尋常では無い量の仕事をしながら、どれもが秀作という天才のなせるワザ。その様にまさに胸キュンでした。
ゴーさんもサンディが好きなんですね。
(というか当時の少年みんなそうでしたけど)サンディさんも天は二物を与えた人。
当時「イーティン・プレジャー」のジャケット写真にどぎまぎしていました。
90年代にアンビエント・ハワイという名義のCDジャケットに惹かれて買って聴いていましたが、ようく中を見るうちに、それが久保田さんとサンディさんの作品と知りました。
これはオススメですよ。
ゴーさんも、暑さに気をつけて、自転車で風を切って走ってください。
YMOファミリー物件は聴き尽くしたと思っていましたが、
ノーマークでした!さっそく取り寄せて聴きます!
いい夏の思い出が出来そうです。ありがとうございました♪
「アルバイト」。そうですよね。3人とも「正社員」じゃない。
細野さん―プロデューサー
幸宏―バンドマスター
教授―アレンジャー
と書き換えてみたら、びっくり。
「3人とも、YMOのメンバーじゃない」!
全員、ただの職業エンジニアで「楽隊」・・・
ていうか、もしかすると、
「YMOの在籍メンバーはひとりもいない」!
・・・なんてことになると、ちょっと夏の夜にひやりとする
ミステリーではないですか?(笑)
調子に乗って失礼しました。もともと気温低めですし、
いまさら「ひやり」もないですよね(爆)
かたちんばさんの味わいのある風景写真、楽しみにしています。
夏はあらゆるものの色が引き立って、特に空の青が素晴らしい季節ですね!
自分が出会ったのはサンタさんがハワイのヤシの木に登っているほうのジャケット/裏にネコさんの写真があるほうです。
1枚目に味をしめて2枚目を聴いたのですが、あまり・・・と思って買いませんでした。
それと、やはりゴーさんの語りは、とてもイマジネイティヴです。
「正社員ではない」に笑いましたよ。(笑えない言い回しですが、誤解を恐れずコトバ通り捉えると”契約社員”でしょうか?)
YMO自体が、アルファレコード小池さんのふところで細野さんに投資して始まったものなので、雇われているのはまさにそのまま。
その抑圧”ブラックさ”にたてついて、「BGM」という謀反を起こした行動は、労働争議。
アルファレコードへの憤怒から、サボタージュとストライキを繰り返したエネルギーが、結果的に未だかつてないアルバムに結実した、ことに歴史の不思議さを感じます。
夏の色、という山口百恵さんの大好きな曲がありますが、そう言って頂けると幸いです。
カメラは壊れ、データも消えたものの、どんなものを使ってでも撮り続けたいとは思っています。そこにもやはり意味は全く無いですが。
(インターネットで情報耳年増になった人には興味ない中)暮らしの中で、話しが通じないことを痛感する昨今、かゆいところに手が届くゴーさんのお便りに、心より感謝しています。
遠い記憶の誤りを、今になって気付くとは。。。
インターネットとは利便性はあるでしょうが、残酷ですね。
さまざまな意味として。
あやうく、サンタさんのいないバージョンをTOWERRECORDSオンラインで
ポチるところでした。助かりました。
おすすめの方のバージョンはどうやら廃盤のようなので、ここは一番、
JANIS姉さんを頼って行ってみようかと思います。
YMOの細野さんを始め3人とも、興行主の気質で一筋縄ではいかない感じですね。
そうだからこそあの狂乱(?)の80年代を生き抜けたのでしょうか。
何も自由に出来ないならいっそ好きなことしてしまえ、っていう彼らの姿勢は、
自分も見習って行きたいと思います。
そういえば彼らもビートルズやモンティ・パイソンの影響を強く受けてますよね。
「夏の扉」という聖子ちゃんの唄を思い出しました。
百恵さんの「冬の色」も、大好きな曲です。
あのころの歌謡曲は歌詞・曲・アレンジとも優秀な作品が多かったですねえ(しみじみ)。
記憶の遠近も、あまり遠くなってしまうと、方角や季節、昼夜の違いや時間の前後など、
区別がつかなくなるものが多いですね。自分もおおいに身に覚えがあります(笑)
よく煮込んだカレーの具のようにとろけて一体の「旨み」と化してしまうようで、
ときどき記憶の断片が鮮明にフラッシュバックするのですが、
その景色が北大阪だったか、宝塚だったか、京都だったか、
あるいは東京に住んでからのものだったか、まったく思い出せなかったりします。
そのくせ、夢で見た光景ははっきりと覚えていたりして。
これを老人が言うと「もぅ~、おじいちゃんたらぁ!」と言われかねないですが、
自分はこれが人間の「記憶」や「認識」の本来なのではないかと思っています。
風景が遠くに行くほどちいさくなって霞んで行き、近くなるほど大きくなって視界に納めきれないっていうのと、
不思議と似ていますよね。
また長くなりました。たぶんかたちんばさんと電話で話すと長電話になることでしょうね(笑)
それでは失礼します。
そういう仲間が、元気で居ることだけで幸いです。
CD移行期に、ターンテーブルをバックアップ用に2台、ダイアモンド針を買い占めた頃によく聴いたのが、細野さんの「フィルハーモニー」と「What's Me Worry?」
今はCDで聴いてますが、もちろんターンテーブルも健在。だからスクラッチノイズ込みの音を肴に飲む機会は減ってきました。
溝がすり減ってしまうのが心配で(笑)貧乏性ですね。
幸宏がYMOの緩衝剤であったのは確かだと思います。
それはBGM以降のクレジットからも伺いしれますよね。一般的な認知としては「世界のサカモト」と「プロデューサーの細野さん」ですが、
YMOの「面取り」作業を行ってきたのが、幸宏じゃないかなと思います。
自分も、カセットに落として聴いていたものが多くあり、お前はそれで良いのか、と思ったものです。
逆に聴き込んだLPは傷んでいきますが、逆に思い入れは強くなるもの。
自分にとっては、ソリッドステイトサヴァイヴァーだったり、JAPANの「孤独な影」だったり。。。
今年買った土屋昌巳さんの新譜「スワンダイブ」のインタビューで、昔はレコードの前で鎮座して聴いていたもんですよ、と言ったくだりがあったのを思い出しました。
レコードはなかなか手放せないものですが、そろそろ後世のために、神保町に持っていこうか否かという感じでしょうか。
兄がそうして来たことが、だんだんとですが。そう言いながら、決断できずにいます。
クレジットや「面取り」等々、さすがなセリフをお持ちですね。
細野さんがYMOに終わりを見い出したことが要因ですが、その後、ぐいぐい引っ張っていった幸宏さんの稀有なる存在感ゆえ、アクロバットなバランスが成立していたのでしょうね。
最近同じことを思いました。
自分が死んでも、音が残り聴きたい誰かがそれを手にできる。モノと訣別するのもいいかもしれないかと。
煩悩を断ち切るみたいな話ですよ、ほんと。
決心がつきましたら、一声おかけください。随行いたします。←冗談です(笑)