こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2014年8月7日 木曜日 かたちんば・夏の100曲 ~内なる海~

2014-08-07 22:42:22 | 音楽帳

80年代の終わりから90年代へ向けて、ハウス経由で変態を起こした音楽は、(新しい解釈による)アンビエントへの流れとなっていった。

80年代の後半ちょい後から、テクノ/エレクトロニクス・ポップは、その最果てで陳腐化し、ただのディスコミュージックになり変わった。
ニューウェイヴ無き後、“ゆーろびーと”なる言葉と音が現れ「踊れりゃ、それでいいじゃん音楽」化していくが、その流れから分派した良質な所産がハウスミュージック内に出てくる。

それがその後、[どこからどこまで]という範疇がないアンビエント。そんな不可思議な四次元領域の音に化学変化を起こす。

細野さんが、この当時の音を「海」に捉えていたが、まさに海のようにさまざまなものが浮遊し包み込む世界。
YMOの終焉に向けて作った佳曲「ロータス・ラブ」で切なくも語った“[世界]の外で逢おうよ”は、国境・経済と違う場所の海で実現した。

■YMO 「ロータス・ラブ」1983→2012■

音楽に限らずだが、 “これは売れる、売ろう”と、音楽産業がムーヴメントを語り出し、カテゴライズしようとし・商品パッケージ作業に入る頃には、するすると日々動くどじょうのように、その音楽は経済意図から外れていく。
特に90年代以降に発生したアンビエントは、そういった傾向が強く、七変化していった。

エレクトロニカも、その変化の中で産まれたもの。「なんじゃ、こりゃ」という良い驚きは、新しい音楽との出会いに重要だが、どこにも「寄せてたばねる」には困る音楽が多く産まれた。

個人的体験としては、1991年から大阪に住まい、レコードが淘汰絶滅していく様を見て、やむなくCDプレイヤーを初めて買ったのも1991年。
そんな90年代以降、多くのアンビエントCDを買っては聴いてきた。ミュージシャン/ユニット個々のCDとは別に、企画モノのコンピレーション盤がたくさんある。
今でも街をほっつき歩いては、CD&レコードショップの中古コーナーで漁ると、奇妙なアンビエントのコンピレーション盤に出会い、ついつい買ってしまう。そんな四半世紀が経つ。

ジャケット買いでしくじったことの方が多いが、コンピレーション盤であれば、どれか一曲くらいは。。。とキズを浅くしようという浅はかな計算もたくさん有った。
淡い期待から買ったCDの渦は、通して聴くというより特定の曲に絞られていくのが往々なるケース。

■Jammin Unit 「Dub Is In The Air」1997■
(コンピレーション「ステイト・オブ・ザ・ニューアート~ブルー・プラネット・レコーディングスVol.1~」より)

昔から静かでゆったりした音が好きである。
ロック一筋の親からは「また暗い音楽聴いているのかい」、周囲からは「眠い音楽ですねえ、よくもまあ堪えますね」と言われる。
別段我慢だけが趣味ではないのだが、繰り返すだけに快感を覚えたり、音がしなかったり・音数が少ないことに安堵したり。

アンビエントは、皆どれも長く、時にアクセントを欠いていたりもするので、雑音雑踏雑談にまぎれ、真剣に耳を傾ける群集は少ない。
踏み潰されて集団はうるさく移動していくのだが、そこと乖離したところで”同じ時空に住むのに、ずいぶんと違うものだ”とつぶやきながら、道端で音を聴いていたりする。

どうやら、その音楽の構成・構造を聴く、というよりは、この皮膚感覚が覚える気配感、そこに感ずるもの、といった要素が大きいようだ。

何がどうとは言わないが、次から次に手持ち電子機器が壊れていく。
この暑さにあっては、機械のほうもしんどいのだろう。
万物は流転していく。
コメント
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