昨夜は、0時頃、暗がりの中で、西部邁さんの番組での語り口に、耳だけを傾けているうちに眠りに堕ちた。最近はこんな具合の堕ち方。
ひさびさにたんまり眠った感触。11時半近くに起きる。
今週は、毎夜遅かったせいもあり、また、昨日は風邪的なものを移されたせいで一日もうろうとしていたせいでもあり。
新しく来られた、明るく楽しい後輩くん。今週はじめに、熱・ノドの痛み等々あると言い出したので、さかんに「すぐお医者さんに行くこと」「大丈夫です」「そうじゃなくて、周りに移ったらいけないからね」このエンドレスの押し問答。
どうやら彼は医者嫌いらしく、その頑固さと応答しているうちに、本人は治り・じぶんは昨朝起きると、ノドの痛み・眼は真っ赤。
昨夜、降り出した小雨は今朝も続いている。雨だれがガラスにしたたり落ちていく。
起きて、ゴーヤ・豆苗・ネギと見る。植物たちは元気に順調に育っている。
その確認を経て、緑茶を入れて一服す。
過去、ぶらっと寄った中古ショップで買ったスティーヴ・ライヒの編集盤を掛けて、聴きつつお茶を頂く。
スティーヴ・ライヒの存在を初めて知ったのは、1981年4月7日。
教授(坂本龍一)のサウンドストリートの第1回目放送のバックで掛かっていた「フォー(4)・オルガンズ」。
4台のオルガンが、それぞれ音を繰り返し鳴らすが、4台はリピート間隔が異なるので・それらがスライドしながら、微妙に交錯していく不思議な音。当時少年だったじぶんが初めて出会った音像と見えない音のエネルギー。「WarHead」や「B-2UNIT」の如く、当時抱いていた「知>感情」の脳を持つ教授(坂本龍一)像とマッチしていた音だった。
■Steve Reich 「Four Organs」1970■
その後、知るに至るブライアン・イーノの「ミュージック・フォー・エアポート」。
ブライアン・イーノが創り出した音楽手法の1つである「偶発性が産み出すチカラにまかせて」創り手のじぶんがその外側から、音を他者として眺めて、その音の流れを調節する程度の役割、という発想の起点。
この発想の源は、このスティーヴ・ライヒであり、またフィリップ・グラスやテリー・ライリーであるのは明らかである。(追記:大好きなエリック・サティも忘れていはいけなかった。)
多くの音楽が「⇒ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒」と時間進行と共に「変化せねばならない」あるいは「時間進行という流れに沿わねばならない」というワナにはまった中、ライヒやイーノのこれらの音にあるのは「↑」、決して進まない音楽・時間の流れに対して垂直に立ち続けるものだったり、そのへんをうろうろし・もやのように一定空間に漂う「○」だったりする。
これらの発想はイーノを経由して教授のアルバム「B-2UNIT」の部分にも発見されるし、このアルバムをYMOに引用した細野さんプロデュースの「BGM」に辿り着く。
90年代以降では、ケン・イシイがライヒのリミックス盤を出したり、新しい形での「アンビエント」や「エレクトロニカ」にて、ごく当たり前の手法として展開されている。
ひさびさにたんまり眠った感触。11時半近くに起きる。
今週は、毎夜遅かったせいもあり、また、昨日は風邪的なものを移されたせいで一日もうろうとしていたせいでもあり。
新しく来られた、明るく楽しい後輩くん。今週はじめに、熱・ノドの痛み等々あると言い出したので、さかんに「すぐお医者さんに行くこと」「大丈夫です」「そうじゃなくて、周りに移ったらいけないからね」このエンドレスの押し問答。
どうやら彼は医者嫌いらしく、その頑固さと応答しているうちに、本人は治り・じぶんは昨朝起きると、ノドの痛み・眼は真っ赤。
昨夜、降り出した小雨は今朝も続いている。雨だれがガラスにしたたり落ちていく。
起きて、ゴーヤ・豆苗・ネギと見る。植物たちは元気に順調に育っている。
その確認を経て、緑茶を入れて一服す。
過去、ぶらっと寄った中古ショップで買ったスティーヴ・ライヒの編集盤を掛けて、聴きつつお茶を頂く。
スティーヴ・ライヒの存在を初めて知ったのは、1981年4月7日。
教授(坂本龍一)のサウンドストリートの第1回目放送のバックで掛かっていた「フォー(4)・オルガンズ」。
4台のオルガンが、それぞれ音を繰り返し鳴らすが、4台はリピート間隔が異なるので・それらがスライドしながら、微妙に交錯していく不思議な音。当時少年だったじぶんが初めて出会った音像と見えない音のエネルギー。「WarHead」や「B-2UNIT」の如く、当時抱いていた「知>感情」の脳を持つ教授(坂本龍一)像とマッチしていた音だった。
■Steve Reich 「Four Organs」1970■
その後、知るに至るブライアン・イーノの「ミュージック・フォー・エアポート」。
ブライアン・イーノが創り出した音楽手法の1つである「偶発性が産み出すチカラにまかせて」創り手のじぶんがその外側から、音を他者として眺めて、その音の流れを調節する程度の役割、という発想の起点。
この発想の源は、このスティーヴ・ライヒであり、またフィリップ・グラスやテリー・ライリーであるのは明らかである。(追記:大好きなエリック・サティも忘れていはいけなかった。)
多くの音楽が「⇒ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒」と時間進行と共に「変化せねばならない」あるいは「時間進行という流れに沿わねばならない」というワナにはまった中、ライヒやイーノのこれらの音にあるのは「↑」、決して進まない音楽・時間の流れに対して垂直に立ち続けるものだったり、そのへんをうろうろし・もやのように一定空間に漂う「○」だったりする。
これらの発想はイーノを経由して教授のアルバム「B-2UNIT」の部分にも発見されるし、このアルバムをYMOに引用した細野さんプロデュースの「BGM」に辿り着く。
90年代以降では、ケン・イシイがライヒのリミックス盤を出したり、新しい形での「アンビエント」や「エレクトロニカ」にて、ごく当たり前の手法として展開されている。