こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2013年5月6日 月曜日・ただの休日 コクトー・ツインズ「あばらと血管」'85

2013-05-06 19:13:10 | 音楽帳

肝臓を壊して以来、月一回、肝臓・頚椎ヘルニア等々心身を確認すべく順天堂に通っていたが、心の面での主治医であった貞子先生。医者にも、人事異動なるものがあるとは知らなかった。
3月に行くと、貞子先生は「転勤になることになって、本当は今までの経緯を知るじぶんが診察し続けたかったんですが。。。」

***

ということで、4月から新しい男性の主治医に変わった。
「声に出して読みたい日本語」を書いた斎藤孝さんに似た、若々しい先生だった。
先生は初対面に対して「具合はどうですか?」と、唐突に切り出した。

かたちんば「いつも思うのですが、ハローみたいに、どうですか?という質問に、じぶんは何をどう表現すれば良いか、が未だに迷って答えを出せないでいます。
クエスチョン&アンサーでいうと、どのような文脈でじぶんが何を語るかが、知らぬ同士のこの2人の会話には全くない。
その日本的曖昧さに対するいらだちが、実はわたしの内部で絶えないのですよ。
抗精神薬は、必ず診察を経ないといけない。そこには医者としての判断があるんでしょう。
でも、じゃあ、何を会話したか?と言えば”具合はどうですか?” ”まあまあです” ”はーい、いいですよ。お薬出しときますねえ。”。。。
はーい、いいですよ、とは、何がいいんですか?
あなたが数分の会話で、医者として何を判断されるのかが知りたい。
ましてや、初対面であり、そこには相互の文脈なり・合意形成がなければ、ほんとうは何もあなたは出来ないはずでは無いのですか?悪の権化=製薬会社の回し者じゃあ無いんでしょうから。裏カネもらっているわけじゃないんでしょうに。
教えて下さいよ。わたしは、ここでどんな文脈のどんな言語を語るのかを。語るべきなのかを。
目の前で血を流していれば、そこには対処方法があるべきですが、心はお互い見えない。
見えない中で、曖昧にコトを済ませて、あたかも診察のふりをしながら、大枚を医者が頂戴せしめるのには、じぶんは納得が行かない。」

そこから、本気での斎藤先生との会話が始まり、1時間話した。
彼は、そこまで言われたことがなかったのであろう。言葉をもつれさせながらも、真摯に2人の会話をした。
迷惑と思われようとも、じぶんは、えぐるような本質を語り合える仲にならねばならないと思っていた。

最終的に、お互いのゴールを決めようという話になった。
それは、例えば薬が無くても平気な姿だったり、日々障害と思えるような事態を超えられることだったり。。。

斎藤先生「そうは言えども、10分なりそこそこの時間しか無いのが実情ですから、そういったものを集約した書いた紙などを用意してもらえると、話しの焦点に向けて話が出来る。」
かたちんば「それはいつも用意していましたよ。」
斎藤先生「貞子先生には、それは話せなかったのですか?」
かたちんば「話しても、はーい、いいですよ、で終わり、クエスチョン&アンサーにはならなかったのが実情なんです。」
斎藤先生「まあ。。。あまり他の医師を批判するのはいけないので避けますが、じぶんとはそういう形を取りましょう。」
■Cocteau Twins 「あばらと血管(Ribbed and Veined)1985■




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2013年5月5日 日曜日 雑記帳 「world makes me wonder」

2013-05-06 00:21:41 | 音楽帳

●最近、仕事の行き帰りにチェット・ベイカーを聴いていた。
「チェット・ベイカー・シングス」というアルバム・ジャケットに惹きつけられた高校生の頃。
とはいえ、聴くタイミングを逃したまま時間が過ぎてしまった。そんな中、最近聴いて、その歌声が男なはずなのだが、女性とも思える色気を感じさせる。その不思議な引力。
「ジャズ」というカテゴリーでくくってしまうと、音楽は面白くなくなる。「訳が分からない」なる不思議感覚にこそ、新しい個人にとっての裂け目があり、発見がある。

●近時「ノーベル文学賞候補」と言われる村上春樹なる存在が、理解出来ないでいる。
男子校の高校生の頃、やたらと村上春樹に感化された仲間が居て、彼らが書いた文章を読んだが、そこには「オッシャレー」とか「思わせぶり」な以上のものを感じなかった。
6つ上の兄の部屋にあった「風の歌を聴け」や「羊をめぐる冒険」を、当時読んで見たが、チェット・ベイカーが自らの脳に感じさせる不思議感覚とは異なる、「そこには何も無い」という空虚以外のものを感じなかった。

その後、素浪人を経た大学時代には、彼が訳したレイモンド・カヴァーの「ぼくが電話をかけている場所」も読んだが、やはり「ここには何も無い」という中空(空洞)感覚しかなかった。
その後、短編集「蛍、納屋を焼く・・・」も読んだが不明。

じぶんとは無縁だ、そう思っていたところ、オウムサリン事件の被害者の証言を集めた「アンダーグラウンド」を彼が出すに至って、そこにはじぶんが知っている仕事場の人が出ているのもあって、買って読んだ。
この本自体は、ナマの証言集だったので、分厚いながらも感ずるところは大だったが、それはともかく「なぜ村上春樹がこのような本を出版するに至ったのか?」それ自体が不明であった。
何が彼の表現衝動の根っこであるのか?何が彼を突き動かしているのか?全く不明であることは、今日もじぶんには分からない。

今まで「わたしが文学者と思う文学」を読んできた。
三島由紀夫が、安部公房が、色川武大が、決して取ることが出来なかったノーベル文学賞を、大江健三郎ごときが取ったときに「結局、もうこの世の『賞』は、ぜーんぶ『ショー』に過ぎないんだな」と思った。
文学という辺境の、言葉に表現しにくい「なにがしか」を言語化させる営みさえもが、経済のうちのりに入ってしまった感は否めなかった。

まあ『賞』で本を読むわけではないし「世間」の「騒ぎ」ににぶいじぶんは、古本屋めぐりをしながら、ピピっと来る本との出会いしか求めていないので、どーでも良いと言えば・どーでも良いが、近時の村上春樹騒ぎには、不気味さを覚えている。

●ソロ活動で、常にハイクオリティな作品を出し続けてきた砂原良徳さん。
2001年の「ラヴ・ビート」で、余計なものをいっさい削り落とした上に出来た・到達した世界に、ひれ伏した時から10年。
奇しくも2011年の3・11後すぐに発表された「リミナル」。
10年待って、どうだったか?と言えば、非常に残念に思った作品だった。なぜ?という疑問が去らなかった。

そこから2年が経った。
ほとぼりがさめた今、チェット・ベイカーを片方で聴く中、ランダムに音楽やら録音したラジオ番組を入れた(「アイ・ポッド」ではない・単なるmp3再生機)からたまたまムニューッと出てきた「リミナル」の3曲目「ナチュラル」。
ジャジーな音楽を聴いていた耳であったのもあるが、じぶんの中にひっかかった。
それまでの砂原作品とは別にして、何かがここにはある。そう思う最近。
それをどう語れば良いかは、今、表現しうるコトバを持ち得ていないのだが。
■砂原良徳 「Natural」2011■
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする