こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2013年5月25日 土曜日 「ランダム・ノート ~Premonition~」

2013-05-25 17:08:41 | 雑記帳

大学時代の友人に、先般10年ぶりくらいに会った際のこと。
こんな面白い本があるよ、という話を彼に投げかける。
彼が応える「最近は本は読まなくなったなあ。時はカネなりだから、ついネットで早い結論を求めてしまうんだよね。歳を取って、とにかく時が一刻も大事になったな。」
ヒトはそれぞれだから、何をその友人に言う資格は無いし、彼とじぶんは「いつ死ぬかは誰もわからない」という、不確実な「ありもしない未来」などへの志向では一致している。

じぶんもこうしてパソコンに向かっているし、インターネットのお陰で、様々なことを得ることが出来てきた。
しかし、紙に文字も綴れば、本も読む。
2013年5月の「今」では、過去じぶんが思っていたITへの志向は異なってきている。
ITが進化することには、恩恵もあるが、一方では、ヒトを病ませたり・死に追いやったりする。
仕事場に行けば、恐ろしい量の仕事メールの数々がだーっとやってくることだけを見ても、むしろこんな道具は無い方が良かった、とさえ思う。

話は戻るが、今日ぼうっと考えていて「時はカネなり」とは何たることか!と気づいて、夢うつつの布団からばさっと起き上がる。時とカネを等価には出来ない。
やたらと、ハイッ今日は株が上がった/下がった。。。何が値上げした/値下げした。。。日々そんなモンがああだのこうだの。経済とはあまり関係しない・したくないヒトの耳まで届く。あるいは、株とは無縁なヒトにも。
じぶんも社会の末端に、日常を染めなされている以上は無縁では有り得ないが、最近のどのメディアを開けても、株、株、株、という字ずらが目立つ。少し異常である。

自然主義者など、硬いコトバを言えるオツムは、じぶんには元々無い。
縛られた時間以外は、ネコや生き物や草木のことに囲まれたい。という程度のことで、主義者でも何でも無い。
そういう「今」の中で「株、株、株、、、」と言われても、ほとんど関係が無い。というか響かない。
それが世界を流動させて、戦争も起こせば有事も起こすことに至ると知っていても、じゃあ、その「たった一瞬間」の株価から未来を想定など出来ないのだから、騒ぎに一喜一憂することは無かろう。

「時はカネなり」の元々は、限られたこの世に居られる一瞬の滞在時間は少ないのだから大事になさい、という意味と捉えていたし、教わった。しかし、「今」このコトバを見ると奇妙に見える。
時はカネで解決出来る部分もあろうが、等価にはならない。
時はカネに変換出来ないし、ましてやカネを時に変換も出来ない。
「延命措置/装置や整形美容や『あんちえいじんぐ』そういった類の、科学が産み出した商売があるじゃないか」と言われても。

今朝は8時に起きたが、昨夜の「大丈夫」感がウソのように、一気に疲れがドーンと心身に現れた。「ひどい疲れだなあ」と思いながら、コーヒーの苗やゴーヤくんたちに水を上げる。
奇妙なほどにうすら寒い気温にくしゃみをする。空は曇天。
珍しくお腹が空いて、昨夜炊いて作った「菜(な)めし」を食べて、横になると再度寝てしまう。
起きれば15時。「時はカネなり」であろうが焦るでない。焦らされ・走らされるのは、もう御免願いたい。

15時というのに、まだ気温は上がっていない不思議な日。白い空に時空が停止した感触。
デヴィッド・シルヴィアンとホルガー・シューカイ先生がコラボレーションして創った、長いトーンの曲を掛けて漂う。
コメント
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