
1982年が豊穣の海だったと語ったが、このアッコちゃんの6月発売のアルバム「愛がなくちゃね。」も忘れられない。
アッコちゃんのアルバムの中で、トップを争う好きなアルバム。

坂本龍一が正式に矢野顕子と2人での生活をし出した年のアルバム。
2人の構想から、JAPANを全面的に起用しようということになり、デヴィッド・シルヴィアン、ミック・カーン、リチャード・バルビエリ、スティーヴ・ジャンセン、そして、詞では糸井重里さんも関わりながら、最高のアルバムとして出来上がった。

ロンドンでJAPANとの共同生活のようにして生まれたアルバム。
毎日、アルバム制作を進めながら、「はい、今日の宿題」と言ってそれぞれのパートに明日までの練習・宿題を与えながら、愉しいアルバム制作。
「あいつら、譜面が読めないんだよな。」と教授は、サウンドストリートで嘆いていたが。
先日、渋さ知らずオーケストラなる単なるスカで踊っていた若者が居たが、そういう人に、このアルバムを、そしてトップの曲「愛がなくちゃね。」を叩き付けたくなる。
ボクは、この曲を聴いていると、自然とカラダが喜んでわくわくして動いてしまう。
こんな曲はあまりない。

JAPANのメンバーが日本語で「やっぱり、愛がなくちゃね~」と歌うぎこちなさも愛らしく素敵。
本当に凄いメンバーで出来た凄いアルバムだと思う。
1982年のこの時点が、如何に夢に満ちている世界かが音ににじみ出ている。
当時、レコードのみで1800円の破格の値段。
写真集付は2800円として発売された名盤。
YMOファミリーの存在が無かったら、JAPANは解散しなかっただろう。
JAPANの4人は、YMOファミリーに「新しいそれぞれ未来」を見い出したのだ。
JAPANは、この後、この1982年末、土屋昌巳をギターに起用したツアーで解散することとなる。