こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2011年6月21日 火曜日 夜 ラジオにまつわる音楽夜話

2011-06-21 21:35:40 | 音楽帳
小学生の頃(3年生か?4年生?)ミニラジオをおじさんのおふるか何かでもらい、持ち歩くようになってから、無理矢理通わされた塾の一人ぼっちの旅の中、ラジオが自分の友達となった。

イヤホンで聴きながら、梅が丘~下北沢界隈、新宿、市ヶ谷、四谷・・・・
そんな転々とする中、TBSラジオが一番好きになり。

そこから35年近くしても、今夜もTBSラジオを聴いている。

ラジオというのは、耳があれば目をつむっていても聴ける。

よく、幼い頃、洋裁を三ノ輪の自宅で教えていたお袋さんは、その部屋(みんな仕事部屋とその部屋を呼んでいた)夜なべをして服を縫い・ミシンを踏みながら、FMラジオを聴いていた。
うちでは、誰も居ない時間でも、FMラジオが常に流れているのが普通の家のしきたりだった。

ラジオというのは、目をつむっていても聴ける・仕事をしながらでも聴ける。
そして、まるで身近に居るかのような錯覚を覚える。

ラジオにまつわる曲は、音楽にも多く存在し、それらはラジオというものが、テレビでは代用が利かない繊細さ・ナイーヴな感触を持ち合わせていることに因るのだろう。

南佳孝は「レィ~ディオー、ガール、やさしい声で~、レィ~ディオー、ガール、ささやい~てえ。。。」と、ラジオの女性DJをテーマにした『あこがれのラジオ・ガール』を思い出す。



南佳孝さんは、この頃、教授こと坂本龍一も友人だったので一緒にステキなアルバムを創っていた。
故加藤和彦さんも含めて、細野さんが70年代に「はらいそ」を抱いた南洋の世界で、みんなが交錯しあっていた。

故加藤和彦さんの「パパ・ヘミングウェイ」のFM雑誌での録音風景には、アロハに短パンの教授と幸宏が一緒に写っている。

トロピカル、カリプソ、レゲエ、ダブ・・・・様々なものが頭をめぐる。
サントリーのCMで知ったカクテル「ソルティ・ドック」、サマー・ウィスキー・・・・。

話しは戻るが、ラジオをめぐっての曲だが、ラジオ好きの私がラジオの曲を選ぶと、こんな風になる。

●一風堂 1981年のアルバム「レディオ・ファンタジー」・・・・ラジオに繋がる曲が多く入った夢あるアルバムだが、個人的には「YOMOTOLO-WAIYA-RADIO」「RADIO COSMOS」がお勧めである。

●トーマス・ドルビー 1982年「レディオ・サイレンス」・・・・「愛がなくちゃね。」が録音されたエアー・スタジオと優秀なエンジニアのスティーヴ・ナーイ。そのロンドン滞在の中でオファーがあったトーマス・ドルビーと坂本龍一・矢野顕子が初めて出会う。
この「レディオ・サイレンス」の女性ヴォーカルとして参加した矢野顕子が、この時点のニュー・ウェイヴの軌道上で如何に異質で世界で抜きんでた存在であるかがわかる曲。



トーマス・ドルビーは、その出現の仕方が「マッド・プロフェッサー」と呼ばれるように、エレクトロニクスを操るのと同時に、ラジオに接近した存在でもあった。
「哀しく無垢なる子供達へ」~「電波(エア・ウェイヴ)」と続く流れの2曲には、ラジオのチューニングとラジオを通した音が入っている。
共に、私には名曲。

●ブリジット・フォンテーヌ 1969年「ラジオのように」・・・・有名な曲ではあるが、私がこの曲に出会ったのは、1984年?か1985年?の土曜23:00からの「日立サウンド・ブレイク」で深夜の空港から航空機が離着陸をする真っ暗な映像との組合せで聴いたのが初め。
土俗的で乾いた感触の曲にフランス語のささやくヴォーカル。

●ホルガー・シューカイ 1980年「ペルシアン・ラヴ」・・・・言わずもがな。スネークマン・ショーの「死ぬのは嫌だ、怖い。戦争反対。」に収録された、桑原茂一選曲のこの曲を聴いたのが、1982年3月。

と同時に、サントリーのCMでは、ウルトラヴォックス&三宅一生の頭一撃のかっこよさに続く、渋いシリーズ第2弾として、海で小舟をこぐ三宅一生とのコラボレーションで、この「ペルシアン・ラヴ」が起用される。
「あんなかっこいいウィスキーの似合う男になりたい」そう思ったCM。



その後、1982年5月ごろだろうか?「ペルシアン・ラヴ」を収録したホルガー・シューカイのオリジナル・アルバム「ムーヴィーズ」を買って聴いた。

この「ペルシアン・ラヴ」は、偶然、ラジオをチューニングしていて録音したイスラムのコーランが曲の要として使われている。



何も、ホルガー・シューカイの曲というのは、これだけに限らず、彼自身ラジオマニアで、古い色んな世界の放送が入るラジオをチューニングしては、様々な音を素材として録音してストックしておき、それを曲を創る際に、様々駆使して、テープを切ったり貼ったりもしつつ音楽を創っている。

東西冷戦崩壊・昭和終焉の前年の1988年に発表されたデヴィッド・シルヴィアンとの共作「プライト&プレモニション」にも、様々なラジオの音の波形が細やかに変調する様が、ミックスされている。

●ブライアン・イーノ&デヴィッド・バーン 1981年「マイ・ライフ・イン・ザ・ブッシュ・オブ・ゴースツ」・・・・話すと長くなるので、このアルバムを語るのを避けて通って来たのは事実。
本来は、トーキングヘッズの1980年の「リメイン・イン・ライト」より先に発売されるはずだったこのアルバムは、収録された曲にラジオ放送の会話を絡めたが、そこに訴訟問題が絡み、削除し差し替えせざるを得なくなって、やり直しとなった経緯がある。



よって、「リメイン・イン・ライト」の後に発売される結果となってしまったが、「マイ・ライフ・イン・ザ・ブッシュ・オブ・ゴースツ」の曲の骨格は、「リメイン・イン・ライト」のベーシックトラックとして使われている。

1982年6月スタートしたFM東京「スタジオテクノポリス27」(DJ:ピーター・バラカンさん&アッコちゃん)のエンディング・テーマにも使われた「ジザベル・スピリッツ」という曲は、ラジオで霊媒師が人生相談の相手に話しかけあおりながら相手が悶絶していく様の音を使って曲が創られている。

ちなみに、前段で話した訴訟問題で差し替えられた元曲は、ブートレグとして海賊盤で出回り、私も手に入れたが、どちらかと言えば、リメイク・アルバム収録された方が良い出来だと思う。

「マイ・ライフ・イン・ザ・ブッシュ・オブ・ゴースツ」には、ホルガー・シューカイのように様々なところにラジオで録音された音が使われている。
元々、「私はミュージシャンでは無い」と語るブライアン・イーノの出発点は、カセットテープの研究。
色んな外気の音やら、ラジオの音、そういうテープのストックがあって、そこから曲に使われたものも多い。
交通事故で死に掛けることで180度人生観が変わってしまう前の2枚目のソロ「テイキング・タイガー・マウンテン」には、「チャイナ・マイ・チャイナ」という好きなポップなナンバーがあるが、その曲の前奏にラジオのテープを繋ぎ合わせている。

●クラフトワーク 1975年「放射能(レディオ・アクティヴィティ)」・・・・これも同世代には言わずもがな。YMOの祖=クラフトワーク。1980年のYMO写真集「OMIYAGE(おみやげ)」(=YMO AGEに愛を込めて)にて、教授(坂本龍一)が好きなレコードとして、このアルバムを挙げていたのを思い出す。
テクノの大家であるクラフトワークが1975年に出したこの名盤は、「アンテナ」「レディオ・ランド」など好きな曲が収まっている。
しかし、トップの曲名は「ガイガー・カウンター」。
このアルバムを、2011年にこういう形で取り上げることになろうとは。
また、細野さんが「レディオ・アクティヴィティ」を歌うなんて思いもしないこと。
コメント (1)
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