京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

北野天満宮 宝物殿と御土居

2024年05月27日 08時00分00秒 | 日記
 5月18日は、北野天満宮へ。









市バスを乗り過ごしてしまい"上七軒"のバス停で下車し、上七軒の石畳の道を西へと向かうと北野天満宮の東門があります。

所属している「京都市文化観光資源保護財団」から宝物殿と御土居のチケットを頂いていました。

東門を入ると左手には豊臣秀吉が絶賛したと伝わる銘菓「長五郎餅」の出張販売所?があり、参拝者の多い時には販売と茶所をされています。





花手水鉢の隣りに宝物館はあります。















以下の写真はネットからお借りしました。







以前からそうですが、なぜだか刀剣だけはスマホでの撮影はOKなのです。
多くの武将や将軍が見事な刀剣を奉納しています。











ご本殿に参拝します。
豊臣秀頼公により寄進された建物で桃山時代の"八棟造"として国宝に指定されています。





御土居の展望台から見ると、八つの屋根で構成されているのがわかります。
(西側だけですが、、、)

次に史跡"御土居"の青みどりを楽しみます。
4月、5月の新緑の淡い青もみじは、紅葉の美しさに勝ると劣らず美しいです。

7月にもなると葉のみどりも濃くなってしまいます。
4月から6月は新緑が最も美しい季節です。













御土居は天下統一を成し遂げた豊臣秀吉が,長い戦乱で荒れ果てた京都の都市改造の一環として外敵の来襲に備える防塁と,鴨川の氾濫から市街を守る堤防として,天正19年(1591)に多くの経費と労力を費やして築いた土塁です。





周囲が約23kmもある御土居をわすが4ヶ月で造り上げています。
秀吉の天下人としての権力、土木建築の天才ぶりを感じる御土居の史跡です。

御土居は台形の土塁と堀(堀の一部は川,池,沼を利用)からなり,その延長は22.5キロメートルに及び,東は鴨川,北は鷹ヶ峯,西は紙屋川,南は九条あたりにそって築かれました。土塁の内側を洛中,外側を洛外と呼び,要所には七口を設け,洛外との出入口としました。鞍馬口,丹波口などの地名はその名残です。







江戸時代になると天下太平の世が続き,外敵の脅威もなく御土居は次第に無用の存在となり,また市街地が洛外に広がるにつれ堤防の役割を果たしていたものなどを除いて次々と取り壊され,北辺を中心に僅かに名残をとどめるのみとなりました。

 昭和5年(1930),市内に残る御土居のうち8箇所が,京都の沿革を知るうえに,また,広く我が国における都市の発達をたどる重要な遺構として「史跡」に指定,昭和40年(1965)にさらに1箇所(北野天満宮境内)が追加され,現在9箇所が指定地となっています。

先日に拝観した廬山寺の東側にも御土居の一部が残されています。







北野天満宮の帰りは、いつも?大鳥居の向かいにある「とようけ屋山本」で豆腐と大判の油揚げをお土産に買って帰ります。
最近は保冷用の氷を付けてくれます。
今からの暑い季節になるので有り難いサービスです。