京都つれづれなるままに

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北斎と広重 中之島香雪美術館

2024年05月16日 08時25分00秒 | 日記
 5月12日は、中之島香雪美術館で開催中の特別展「北斎と広重〜富嶽三十六景への挑戦」を観賞しました。





今回の特別展は東京都江戸博物館が所蔵するコレクションから葛飾北斎の「富嶽三十六景」と歌川広重の「東海道五拾三次之内」、「名所江戸百景」などふたりを代表する風景版画の競演です。



最初に展示されている絵は「三保松原図」
署名には「十才 安藤徳太郎」とあります。
のちの歌川広重の作で未熟ながらにしっかりとした構図と勢いを感じる筆致に彼の才能の一端を感じます。
"浮世絵師"への第一歩となる絵です。







以下は展示されている作品です。
スマホのみ撮影がOKでした。







さらに上達したいとの想いが強い徳太郎は、13歳で絵の才能を認めてくれていた両親を立て続けに亡くします。











父親の後を継ぎましたが、絵師になる夢を捨てきれずに15歳で浮世絵師・歌川豊広に入門します。
豊広も彼の才能を感じたのでしょう、翌年には「広重」の画号を与えています。

 



若干21歳ころに浮世絵師としてデビューしたと思われます。

この頃は江戸文化が成熟した時期でもあり、役者絵や美人画などを広く手がけています。















小学生の頃に、"永谷園のお茶漬け"のおまけで東海道五拾三次之内のカードが入っていました。
懐かしいどす。

この時期、広重の40歳年長で60代を迎えようとしていたのが天才絵師・葛飾北斎です。









彼も幼少期から絵の才能を発揮し、肉筆画や狂歌本、読本(よみほん)の挿画などを手がけて、独自の画風を、確立していました。









彼が最もこだわったのが「波」の描写でした。







40代後半で曲亭馬琴とコラボした読本「鎮西八郎為朝外伝 椿説弓張月」は海に囲まれた伊豆大島や琉球国を舞台にした大作で、高く立ち上がる波や無数の波頭の描写は緻密で迫力があります。



彼の想像力を最大限に働かせ、物語を底上げし、読者を非常に驚かせた経験が後に代表作となる「富嶽三十六景神奈川沖波裏」に繋がって行ったと思われます。

霊峰富士山を多様な角度からとらえた「富嶽三十六景」は風景画の一大シリーズとして刊行当初から人気になったようです。

刊行当初は36枚でしたが、後に10毎年を加えた全46図の刊行を終えた時には北斎は70歳を超えていました。

しかし、彼のダイナミックな構図は、全く衰えを感じさせない画力です。

前述の「富嶽三十六景神奈川沖波裏」は前期(5月6日)までの展示で見る事は出来ませんでした。

同時代に生きたふたり。
広重は北斎の「富嶽三十六景」を見て大きな刺激を受けたのではないでしょうか。

従来のように景色をただ描写するだけではなく、朝や夕暮れの時間帯や雨や風雨といった天気の変化、四季の移ろいを絵に取り入れるようになって行きます。
北斎に多いに影響されています。

やはり、北斎と広重は人気抜群です。
この日は入場制限がかかり、10名単位で入場する様にされていました。

そのお陰で展示室も比較的ゆっくりと観賞する事が出来ました。
ふたりの名品が一同に揃う機会です。
前期も来れば良かったと後悔しました。