南禅寺界隈の名庭「桜鶴苑」を楽しみ、その後地下鉄東西線で随心院へと来ました。
真言宗善通寺派の大本山で弘法大師空海より八代目の弟子にあたる仁海僧正の開基によるお寺です。
寛喜元年(1229)、後堀川天皇より門跡の宣旨を賜り、以降は九条家と二条家から門跡が入寺しています。(宮門跡寺院)
薬医門の前には"名勝小野梅園"が広がり毎年の3月の最終日曜日には"はねず踊り"が行われます。
このお寺を有名にしているのは"世界三大美人"のひとりに数えられ、才色兼備だったと伝わる「小野小町」が余生を送ったお寺てして知られている事です。
また、深草少将の"百夜通(ももよがよい)の話は余りにも有名な話です。
「能の間」には昨年に続きJR東海の協賛で"花咲く京都「花の間」"が6月30日まで開催されています。
極彩色の襖絵の部屋には花々が溢れていて、ここがお寺の一室である事を忘れてしまいます。
随心院のご本尊如意輪観音菩薩坐像です。
通常はお厨子は開けられていますが、御簾がかかり、お姿をお祀りする事は出来ませんが、年に数回ある特別拝観時には御簾が挙げられ、お姿を拝する事が出来ます。
本堂は現在、修復中で中に入る事は出来ませんが、中には阿弥陀如来坐像と金剛薩埵(こんごうさった)がお祀りされています。
その他にも多くの宝物が残されています。
小野小町文張地蔵尊。
多くの人から寄せられた文を下張りして作られた像で罪障消滅と有縁だった人びとの菩提を祈ったと言われています。
卒塔婆小町像。
七十才過ぎまで長生きをしたと言われる小野小町晩年の姿を写した像と言われています。
本堂裏にある"文塚"。
百夜通の深草少将をはじめ、同時小町に寄せられた文を"千束"を埋めたところと伝わります。
化粧の井戸。
小町屋敷跡に残る井戸で、朝夕にこの水で化粧をこらしたと伝わる井戸です。
今も綺麗な水が湧いています。