京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

びわこ疏水船① 下り大津〜蹴上

2023年06月16日 07時30分00秒 | 日記
 6月8日は"びわこ疏水船"下り便(大津〜蹴上)に乗船しました。
懲りずに3回目の乗船です。





大津閘門(こうもん)と呼ばれ、門扉を開閉する事で水位を調整する施設です。
(スエズ運河の"琵琶湖疏水版"のような施設です。)

来年には、この閘門を通り浜大津まで航路が延長されるようです。





現在、疏水船は3艘で運行されていますが、今回、乗船するのは"明治号"です。

直ぐ先には第一トンネル(長等山トンネル)が見えています。









疏水工事最大の難工事で2本のシャフト(竪坑)を掘り、合計6ヶ所から掘り進められました。







それぞの出入り口には明治政府の要人の扁額が刻まれています。
第一トンネル東口には伊藤博文の「気象萬千」の扁額があり、その上には主任技師を務めた田邊朔郎を讃える言葉が英語で刻印されています。

トンネル内には、この事業を主導した第三代京都府知事・北垣国道の扁額「寶祚無窮(こうそむきゅう)」(意味:皇位は永遠である。)があります。

明治政府の元老クラスの政治家に配慮した北垣らしい振る舞いです。

全長2436mの長いトンネル工事でしたが、貫通時の誤差はわすが1cmだったそうです。
疏水船で通り抜けのに約20分かかります。
(私見ですが、島田道生の測量技術があれば、シャフト(竪坑)の2本は必要なかったのでは、、、と思っています。
ただし、トンネルの長さを考えると、通気口としてのシャフトの一本は必要だと思います。)


 



琵琶湖疏水に架けられた最初の橋・藤尾橋です。
竣工当時からの煉瓦と石造りの橋台が残っています。

現在の琵琶湖疏水はコンクリートで補強されていますが、竣工当時は煉瓦と石造りの水路でした。





使われた煉瓦は全て新設された煉瓦工事で焼かれ、"疏"の字が刻印されています。





地下鉄東西線「御陵(みささぎ)」駅の地上には「琵琶湖疏水煉瓦工場跡」の石碑が建っています。



「緊急遮断ゲート」

阪神淡路大震災を教訓に、堤防決壊時に水流を自動提示させる装置です。







日蓮宗寺院・本圀寺への「本圀寺正嫡橋」を潜り、次に見えて来るのが「第11号橋」です。

日本最初の鉄筋コンクリート橋です。 
その西側には先人の偉業を讃える石碑が建っています。

以降は、続編で書きたいと思っています。