京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

南山城の古寺④ 現光寺 (重文 十一面観音坐像)

2019年05月09日 10時09分09秒 | 日記
大智寺を後にし、次に現光寺へとやって来ました。
「京都府木津川市 2019 春の秘宝・秘仏特別開扉」で5月3日から5日までの3日間公開されました。









現光寺の由緒については詳しくは分かっていないようですが、ご本尊が鎌倉時代の木造十一面観音坐像(重文)である事から中世には存在していた寺院のようです。
近世初頭には荒廃していたようですが、江戸時代初めに奈良 興福寺やこの地を治めていた藤堂藩、賀茂郷の大庄屋の援助で現在の本堂が再興されています。





再興されるまでは大庄屋の梶田家が自宅でお祀りされていたようです。長屋門を構えた立派なお屋敷です。

近年、収蔵庫が造られ、重文の十一面観音坐像はこちらにお祀りされるようになりました。
現在、無住のため、海住山寺が管理されています。人数が揃えば(10名程度)海住山寺のご住職が開扉してお祀りさせて頂けるようです。



頂いた由緒書です。





いつか、本堂内も公開して欲しいものです。

当日に購入した観音さまの写真と授与して頂いた御朱印です。





次に、海住山寺に向かいます。

春季 京都非公開文化財特別公開⑥ 長楽寺

2019年05月09日 07時06分18秒 | 日記
今日でブログを始めてちょうど一年が経ちました。
昨日5月10日の「大田の沢のかきつばた」から書き始め、昨日のブログで226回更新する事が出来ました。拝観した寺院や神社のご由緒や貴重な宝物の事を少しでも記憶に留め、知識を身に付ける目的で始めたブログでした。多くの方々に訪問して頂いているのが有り難く、また、継続して行く励みにもなっています。
今後とも、お付き合いの程、お願い致します。

山科 安祥寺の拝観を終えて長楽寺に向かいます。
長楽寺の歴史は古く、延暦24年(805)桓武天皇の勅命で伝教大師最澄が創建したと伝わります。





かっては広大な寺領を有していましたが、東本願寺大谷廟の建設の際に徳川幕府の命により寺領を割譲され、また、明治政府の上知令で寺領の大半が円山公園に編入されています。

ご本尊の准胝観音菩薩さまは、歴代の天皇が信仰され、天皇の代がわり及び天皇の厄年にのみ開帳される秘仏です。また、御厨子は東福門院和子の寄進で扉には龍の彫り物が施されています。
通常はお前立を拝みます。



庭園は相阿弥作と伝わり、室町八代将軍義政が慈照寺銀閣を造営する際の試作となった庭園です。







平清盛の娘で高倉天皇の中宮、安徳天皇の母でもある建礼門院が壇ノ浦の戦いで平家が滅亡した後、こちら長楽寺で落飾、出家されました。
その関係で安徳天皇御影、安徳天皇御衣幡、安徳天皇御幡箱、建礼門御影が、寺宝として伝わっています。





また、時宗の宗祖 一遍上人像(重文)は大仏師 運慶の傑作のひとつで、非常にリアルさを感じます。

布袋尊像は、東福寺の開山 聖一国師が三国(印度、中国、日本)の土で造られ、以降の布袋像のモデルとなった像です。泥像でありながら今日まで伝えられているのは奇跡に近いですね。



次に、もうひとつの目的地 泉涌寺へと向かいます。