京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

新緑の八瀬

2019年05月25日 20時37分09秒 | 日記
今日5月11日は、まいまい京都のイベント「八瀬 天皇の柩を担ぐ古よりの民、八瀬童子が暮らす山里の集落へ〜伝説うず巻く八瀬の里、かま風呂から駒飛石、八瀬天満宮まで〜に参加しました。

やたらと長いタイトルですが、今日周るところがおおよそ分かりますね。

叡電で出町柳から八瀬比叡山口へ。ラッキーな事に"HIEI"に乗る事が出来ました。電車界の新人賞"レーレル賞"の受賞が決まりましたね!





実は、集合時間を間違えていて国道367号線沿いにあるセブンイレブンでツアーの一行に追いつきました。40分の遅刻!面目無いです。

国道367号線は、若狭でとれた鯖を京都に運ぶ別名"鯖街道"と呼ばれています。
まずは、(かけ)観音寺に参拝します。





源 頼朝の父 義朝が鏃(やじり)で線刻あされた観音菩薩像をお祀りしています。

次に駒飛石です。
八瀬川に架かる駒飛橋の下には大きな巨岩があります。



源 義朝が東国へ落ち延びる途中、義朝の馬が崖から落ちますが、馬の前脚がこの石に掛かり、事なきを得たため名付けられました。

次に、かま風呂の見学です。"八瀬かまぶろ温泉 ふるさと"には今もかま風呂が利用できます。
敷地内には、そのレプリカが作られたおり、自由に見学することが出来ます。今のサウナですね!
遠く古代には、大海人皇子(後の天武天皇)が戦で受けた傷を癒したと伝わります。







次に八瀬八幡宮です。
平安時代の創建と伝わり、八瀬地域の産土神です。昨年9月の台風21号で御神木に3本が倒れる被害を受けています。
10月の第2日曜日に行われる「赦免地踊」こちらの境内で行われます。









頭に赤紙で作った透かし彫りの切子燈籠を乗せ、女装した少年たちが行列し、八幡宮へと向かいます。室町時代がら「風流(ふりゅう)」を伝え、伊勢音頭の道歌(道歌)が響く中での行列は幻想的です。
江戸時代に、古くから認められいた特権が改めて認められ、赦免地が広がったことを祝い始まりました。

八瀬の人たちは、代々、比叡山・延暦寺へ向かう僧侶への道案内や警護を務めてきており「八瀬童子」と呼ばれています。南北朝時代に後醍醐天皇が足利尊氏の軍勢から逃げるため、比叡山へと避難した際、八瀬童子は後醍醐天皇を大いに助け、
天皇はこの働きに感謝をし、八瀬の地を"永久に"「年貢以下公事課役」を免除するとの綸旨を下した。江戸時代に入り、延暦寺との争いを契機として、それまでの特権が認められると同時に、赦免地が広がり、以降、明治を過ぎ、昭和の戦前まで特権は引き継がれました。また、天皇の葬儀に当たる大喪の礼では、輿丁役を担うなど、特殊なな地域として知られています。

美智子上皇后の歌碑です。







秋元神社です。

秋元喬知は比叡山との争いがあった時の江戸幕府の老中筆頭で、八瀬の人たちは、伝手を頼りに秋元喬知に解決を依頼しました。その際に八瀬まで赴き視察しています。
実際は、一年半に及ぶ審議の末も境界の変更は行われませんでした。しかし、村は禁裏御料となり年貢免除などの特権を得ました。
この事に秋元喬知がどれほど関わったかは分かりませんが、村の人たちは感謝し、秋元の死後、秋元大明神として祀って来ました。