今日でブログを始めてちょうど一年が経ちました。
昨日5月10日の「大田の沢のかきつばた」から書き始め、昨日のブログで226回更新する事が出来ました。拝観した寺院や神社のご由緒や貴重な宝物の事を少しでも記憶に留め、知識を身に付ける目的で始めたブログでした。多くの方々に訪問して頂いているのが有り難く、また、継続して行く励みにもなっています。
今後とも、お付き合いの程、お願い致します。
山科 安祥寺の拝観を終えて長楽寺に向かいます。
長楽寺の歴史は古く、延暦24年(805)桓武天皇の勅命で伝教大師最澄が創建したと伝わります。
かっては広大な寺領を有していましたが、東本願寺大谷廟の建設の際に徳川幕府の命により寺領を割譲され、また、明治政府の上知令で寺領の大半が円山公園に編入されています。
ご本尊の准胝観音菩薩さまは、歴代の天皇が信仰され、天皇の代がわり及び天皇の厄年にのみ開帳される秘仏です。また、御厨子は東福門院和子の寄進で扉には龍の彫り物が施されています。
通常はお前立を拝みます。
庭園は相阿弥作と伝わり、室町八代将軍義政が慈照寺銀閣を造営する際の試作となった庭園です。
平清盛の娘で高倉天皇の中宮、安徳天皇の母でもある建礼門院が壇ノ浦の戦いで平家が滅亡した後、こちら長楽寺で落飾、出家されました。
その関係で安徳天皇御影、安徳天皇御衣幡、安徳天皇御幡箱、建礼門御影が、寺宝として伝わっています。
また、時宗の宗祖 一遍上人像(重文)は大仏師 運慶の傑作のひとつで、非常にリアルさを感じます。
布袋尊像は、東福寺の開山 聖一国師が三国(印度、中国、日本)の土で造られ、以降の布袋像のモデルとなった像です。泥像でありながら今日まで伝えられているのは奇跡に近いですね。
次に、もうひとつの目的地 泉涌寺へと向かいます。
昨日5月10日の「大田の沢のかきつばた」から書き始め、昨日のブログで226回更新する事が出来ました。拝観した寺院や神社のご由緒や貴重な宝物の事を少しでも記憶に留め、知識を身に付ける目的で始めたブログでした。多くの方々に訪問して頂いているのが有り難く、また、継続して行く励みにもなっています。
今後とも、お付き合いの程、お願い致します。
山科 安祥寺の拝観を終えて長楽寺に向かいます。
長楽寺の歴史は古く、延暦24年(805)桓武天皇の勅命で伝教大師最澄が創建したと伝わります。
かっては広大な寺領を有していましたが、東本願寺大谷廟の建設の際に徳川幕府の命により寺領を割譲され、また、明治政府の上知令で寺領の大半が円山公園に編入されています。
ご本尊の准胝観音菩薩さまは、歴代の天皇が信仰され、天皇の代がわり及び天皇の厄年にのみ開帳される秘仏です。また、御厨子は東福門院和子の寄進で扉には龍の彫り物が施されています。
通常はお前立を拝みます。
庭園は相阿弥作と伝わり、室町八代将軍義政が慈照寺銀閣を造営する際の試作となった庭園です。
平清盛の娘で高倉天皇の中宮、安徳天皇の母でもある建礼門院が壇ノ浦の戦いで平家が滅亡した後、こちら長楽寺で落飾、出家されました。
その関係で安徳天皇御影、安徳天皇御衣幡、安徳天皇御幡箱、建礼門御影が、寺宝として伝わっています。
また、時宗の宗祖 一遍上人像(重文)は大仏師 運慶の傑作のひとつで、非常にリアルさを感じます。
布袋尊像は、東福寺の開山 聖一国師が三国(印度、中国、日本)の土で造られ、以降の布袋像のモデルとなった像です。泥像でありながら今日まで伝えられているのは奇跡に近いですね。
次に、もうひとつの目的地 泉涌寺へと向かいます。
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