今日、5月3日は、京都市内の混雑を避けて久しぶりに南山城の古寺を車で巡りました。
まず最初に訪れたのが蟹満寺です。
都が奈良に遷都される以前から秦氏の一族が創建し、行基菩薩が関与し、庶民から厚い信仰を集めていたと伝わります。
ご本尊は国宝 釈迦如来坐像です。白鳳期の金銅仏で高さ8尺8寸(2m40cm)の堂々たる尊像です。
寺の名前が示すように、今昔物語集に創建にまつわる"蟹満寺縁起"が記されています。
あらすじは、太古このあたりに慈悲深い夫婦と娘が住んでおり、観音様を信仰していました。
ある日、村人が蟹を捕まえ食べようとしていたところ、娘がその蟹を買い上げて逃がしてやりました。また、娘の父は田んぼで蛇が蛙を呑みこもうとしていました。父は蛇に「蛙を放してくれたら娘の婿にしよう。」と言ったところ、蛇は蛙を放して姿を消しました。
その夜、衣冠を身に付けた紳士が現れ昼間の約束を迫りました。
いろいろな理由をつけて3日後に来るように言いました。
3日後に男は現れましたが雨戸を閉めて約束を守らない父娘に腹を立てた男は蛇の姿に変わり荒れ狂います。
娘は、ひたすら観音経を唱えていたところ、観音様が現れ「恐ることはない。娘は慈悲く常に善良な行いをしている。観音を念ずる観音力は危難を除く。」と告げ姿を消しました。
翌朝、戸外にはハサミで小さく切られた大蛇と無数の蟹の死骸が残されていました。
親子は観音様に感謝し、娘の身代わりになった多くの蟹と蛇の霊を弔うためにお堂を建て観音様を祀りました。
そこで蟹満寺の寺号と娘が観音経の普門品を読誦していた事から山号を普門山と号せられました。
毎年、4月18日には、この縁起にちなみ蟹供養放生会が行われています。
まず最初に訪れたのが蟹満寺です。
都が奈良に遷都される以前から秦氏の一族が創建し、行基菩薩が関与し、庶民から厚い信仰を集めていたと伝わります。
ご本尊は国宝 釈迦如来坐像です。白鳳期の金銅仏で高さ8尺8寸(2m40cm)の堂々たる尊像です。
寺の名前が示すように、今昔物語集に創建にまつわる"蟹満寺縁起"が記されています。
あらすじは、太古このあたりに慈悲深い夫婦と娘が住んでおり、観音様を信仰していました。
ある日、村人が蟹を捕まえ食べようとしていたところ、娘がその蟹を買い上げて逃がしてやりました。また、娘の父は田んぼで蛇が蛙を呑みこもうとしていました。父は蛇に「蛙を放してくれたら娘の婿にしよう。」と言ったところ、蛇は蛙を放して姿を消しました。
その夜、衣冠を身に付けた紳士が現れ昼間の約束を迫りました。
いろいろな理由をつけて3日後に来るように言いました。
3日後に男は現れましたが雨戸を閉めて約束を守らない父娘に腹を立てた男は蛇の姿に変わり荒れ狂います。
娘は、ひたすら観音経を唱えていたところ、観音様が現れ「恐ることはない。娘は慈悲く常に善良な行いをしている。観音を念ずる観音力は危難を除く。」と告げ姿を消しました。
翌朝、戸外にはハサミで小さく切られた大蛇と無数の蟹の死骸が残されていました。
親子は観音様に感謝し、娘の身代わりになった多くの蟹と蛇の霊を弔うためにお堂を建て観音様を祀りました。
そこで蟹満寺の寺号と娘が観音経の普門品を読誦していた事から山号を普門山と号せられました。
毎年、4月18日には、この縁起にちなみ蟹供養放生会が行われています。