京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

2018錦秋の京都③ 真如寺

2018年11月27日 11時20分39秒 | 日記
11月20日は、等持院を拝観ご、すぐ東隣の真如寺へと移行です。
真如寺は相国寺の三つある山外塔頭のひとつです。(他の二つは鹿苑寺金閣と慈照寺銀閣)





こちらには、11日に"都草"の美化活動で境内の清掃に伺っています。写真の作務衣の方がご住職です。1時間の清掃で萩の株も刈取り随分と綺麗になりました。ご住職もご一緒に清掃されるところは初めてです。皆さまの気持ちもいつもと違っていたように感じました。





さて、山門の手間、石橋の周辺には、杜若が群生していて5月には紫色の花が可憐に咲き誇ります。こちらの杜若は12月頃まで一輪、二輪と咲くのが特徴です。

さて、寺の歴史は本山の相国寺より100年も古く、弘安9年(1286)に無学祖元の弟子の無外如大尼(むがくにょだいに)が、無学の遺爪髪を祀るために「正脈庵」を築いたのが始まりです。無学は剃髪していましたが、大層な美人だったらしく周りの修業僧から修業に雑念が入ると苦情が多く、その為、自ら右ほほに焼きを入れ、醜くした逸話が残っています。












延文3年(1358)には足利尊氏の葬儀が真如寺で行われ、十刹として室町幕府の庇護を受け発展しました。



しかし、応仁の乱の混乱で一時廃寺状態になりましたが明応8年(1499)以降、方丈や仏殿が段階的に復興され、江戸時代に入り後水尾天皇により法堂が再興されました。これは、後水尾天皇の皇女が宝鏡寺に入り没したときに、こちらを墓所にされた縁によるものです。それ以降、代々宝鏡寺門跡の墓所となりました。





書院からは池泉鑑賞式の庭園があり、紅葉🍁の時期はまさに絶景です。







また、客殿には江戸時代後期の原 在中の障壁画が残っており、「四季花卉図」など、見応えある作品が多数所蔵されています。

紅葉の時期はネットでのみ拝観の予約を受け付けられておられます。


2018京都夜間拝観③ 金戒光明寺

2018年11月27日 08時00分41秒 | 日記
今日、11月20日は、智積院で植彌加藤造園社長加藤友規さんの寺院庭園の魅力に関する講演の後、金戒光明寺の夜間拝観に伺いました。
当寺は総本山知恩院、清浄華院、粟生光明寺と並ぶ浄土宗4ヵ寺本山の一つで幕末には会津藩主松平容保率いる会津藩の本陣が置かれた事でも知られています。









京都では「くろ谷さん」と呼ばれ境内は小高い丘陵地の上に伽藍を構えているため周りは石垣に囲まれ、まるで城郭のような造りです。薩摩や長州、尊皇攘夷派を監視するのに最適な場所だったと思われます。



夜間拝観は18時からなので時間まで御影堂内で待ちます。
御影堂で法然上人の御影にお参りをし、東隣りの方丈へ。こちらの建物では松平容保が座る上段の間があり、後に新撰組の組長となる近藤勇と接見した部屋が再現されています。
ご本尊の阿弥陀如来さまを安置する部屋では通常非公開の伊藤若冲の鶏図が展示されており、鶏を得意とした若冲作品をゆっくりと鑑賞しました。
東側奥の部屋では生田流琴の演奏があり、多くの方が聞き入っておられました。



また、虎を描いた襖絵があり、襖を開けた時と、閉じた時とでは虎の数が違って見えるからくりの襖絵となっています。

今回、幕末期の尾張藩主徳川慶勝が撮影した写真が数点展示されており、名古屋城の東南隅櫓や天守、天守にあげられる前の金の鯱鉾の写真、徳川最後の将軍慶喜や松平容保の写真、そして衝撃的だったのは新政府軍の砲撃を受け今にも崩れ落ちそうになった鶴ヶ城の写真です。
慶勝は写真好きだったようで、いろいろな所へ出かけ撮影していたようです。

下は、方丈庭園です。





方丈の東側から方丈北庭に降りて回遊することができます。こちらは「紫雲の庭」と名付けられており、法然上人の生涯と浄土宗の広がりを枯山水で表現した庭となっています。昼間に巡った建仁寺や祇園甲部歌舞練場より紅葉が進んでいました。









池の水面に映る逆さもみじが幻想的で美しいです。ライトの数、照度などもうまく配置されています。
奥の庭は「ご縁の庭」と名付けられた庭があり以前、お笑いコンビ麒麟の川嶋さんが、こちらの庭園を管理されている植彌加藤造園さんに弟子入りし庭造りをされているのをテレビで見ました。最奥には東屋もあり、ゆっくりと「ご縁の庭」を見ることができます。





回遊路には若いもみじも多く植樹されていて、何十年先の事も考えた庭園造りを感じます。







夜の金戒光明寺を堪能し、家路に着きました。