Blog: Sato Site on the Web Side

「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

吾妻橋と『サマーウォーズ』

2009年09月13日 | ダンス
おととい吾妻橋ダンスクロッシングを観て、昨日『サマーウォーズ』を見た。どちらも素晴らしかった。

吾妻橋は、いとうせいこう+康本雅子や飴屋法水といった貫禄の力業も見ごたえがあったのだが、何よりもチェルフィッチュとライン京急が興味深かった。とくにライン京急の登場は、舞台パフォーマンスを確実に新しい段階へと導くこととなった気がする。役者とミュージャンが異種格闘技的に行うバンド、という画期的な上演は、大谷、山縣、松村がなんだかいともたやすくやっているように見えるので、あまり違和感なく見てしまうのだが、こんなものいままでなかったよ!すげーっと、もっと驚いたり、興奮して良いものだと思う。いくつのセッションをかけもちしているのか皆目見当のつかない大谷はもちろんのこと、チェルフィッチュの役者2人がいかにテクニシャンかがよく分かる公演だった。で、そのチェルフィッチュの岡田がこれまた音楽のたとえになるけれど「シングル曲を作る」みたいに軽快に作った一本は、動きのアイディアを楽しむというまっとうな鑑賞を自然に引き起こす力をみせつけた。「バンド」の面白さと「アレンジメント」(あ、でも岡田くんは台本も書いているのだから作詞・作曲の面もある、ならば中田ヤスタカというか、だから「作品」)の面白さ、といったらいいか。舞台表現はこんなことが出来るし、こんなことやりたくなるよね、ってお手本を示してくれた。けれども、こりゃ、ちゃんと出来るようになるには5年か10年修行が必要かも。でも、こんなこと出来るようになるなら、きっと楽しい修行だよ。
『サマーウォーズ』のことは後日。宮崎駿でなくとも世界を描く大衆娯楽アニメは可能であることが証明された、なんて思った。