Blog: Sato Site on the Web Side

「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

GUDPの2人

2009年03月03日 | ダンス
artscapeの連載、2月分がアップされました。ご覧下さい。

昨日(3/2)は、GUDP(Grow Up Dance Project)の稽古を見に行った。夕方、吾妻橋のあたりは突風が吹いていた、さむー。

こちらがGUDPのブログです。本公演は、4/25-27(アサヒ・アートスクエア)です。ただいまフライヤー作成中。

あまり今の段階で詳細を語るのはまずいと思うのだけれど、選考のときに提出してくれた作品と比べものにならない格段によい作品が4月には上演されるのではないかと興奮した。選考から漏れた応募者の方々には申し訳ないけれど(彼ら以外にもすぐれた応募者はいましたから、もちろん)、彼らを選んだのは正解だったと思った。とても前向きに作品の再構築をしている、その姿勢にこちらが励まされた。石川勇太は、作品作りに対して「明確にする」ことを重視していると話してくれた。この調子だととてもデリケートな作品になると思う。微細でありかつ強い作品。最奥のダンサーの右手の親指がちょっとへんな角度で曲がっているなんてことから感情が強烈に揺さぶられてしまう、といったような(伝わりにくい?)。捩子(ねじ)ぴじんは、神村恵と福留麻里をダンサーに作品を制作している。石川もそうなんだけれどこちらも、テーマは活かしつつ内容面ではそうとう新しいアイディアが盛り込まれていて、正直驚いた。こんなユニークなアイディアを思いつくなんてところ、捩子らしいなーと思うと同時に、このアイディアが本当に捩子の目指しているところへと到達するのはもう少し先のことになるだろうとも思った(ってこれだけじゃ分からない?)。2人それぞれ相当ダンス観とか、たどり着きたい地平とか違うにしても、どちらも、今後の日本のダンスの未来を予感させるものを作ってくれることだろう。ともかく、2人にワクワクさせられた一日だった。

合間に、夕食として、浅草で何か食べたいと思い、アサヒ・アートスクエアのスタッフの方に聞いたところ、「あづま」がいいと教えてもらい、寒風のなか街に出た。DXラーメン(800円)。醤油スープがとても澄んでいて、中華料理店で味わうような全部飲めるやつでした。チャーシューがサイコロ状だったのも特徴。あと、純レバ炒めがおいしいそうです。店のおじさんが二枚目でいいひとです。もうひとりのおじさんとの仲がちょっと気になりました。水がセルフ、おしぼりがセルフまでは分かるんだけれど、ビールもセルフで驚きました(入り口にある冷蔵ケースから自分で取り出して店主に栓を抜いてもらう)。

今朝、この展示のことを知った。この本の話は以前から卯城くんから聞いていた。期待したい。

「広島!」展

一つ手前の(つまり下の)記事でリンクだけしておいた、リチャード・ムーヴ、ちょっと面白いですよね。ヨーロッパでもダンス・アーカイヴを繙くことで、ダンス作品を作る趣向がひとつの流れとして出てきているという話をあるひとから聞いた。アメリカでは、彼がこうした「なりきり!マーサ・グラハム」とでもいったらいいような作品『MARTHA』をかなり以前から上演していて、しかもかなりの評価をうけている。軽薄なパロディにしないところがいいと思う。ただ愛し過ぎた結果マーサになってしまいましたといった風でもなく、よく研究している。奇をてらっているわけではないのだ。ところで、グラハムってスーザン・ソンタグの「キャンプについてのノート」でも取り上げられているくらい「キャンプ」な存在なんですよね、昔から。そんで、そもそも「キャンプ」ってゲイカルチャーと深い繋がりがあるものなわけで、グラハムをキャバレーショーで踊っていたゲイ(恐らく)がとりあげて作品化するというのは、整合的すぎるくらい整合的なアイディアなんですよね。ぼくがムーヴに興味をもつようになったのは、レイナーを取り上げた映像作品『Rainer Variations』(2002年、チャールズ・アトラス監督)で、グラハムそっくりのムーヴがレイナーに「トリオA」を振り付けてもらうという場面があって、それがたまらなくおかしかったからなんだけれど、ムーヴは、、彼が積極的に映像作品を制作している点でも注目に値すると思う(下の記事のリンクで飛べば、新作『Bardo』は部分的にYou Tubeで見られます)。You Tubeの映像で彼は、自分のアイディアについて「デコンストラクション」という言葉を使って説明していたけれど、こうしたデコンストラクションは、流行うんぬんではなく方法の一つとなって、日本でも定着していったらいいのにと思う。