Blog: Sato Site on the Web Side

「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

artscape0901(0812)レビュー

2009年01月16日 | ダンス
今月から、artscapeにてレビューを連載することになりました。こちらをご参照下さい。
今月は12月の公演、神村恵『配置と森』、大橋可也&ダンサーズ『帝国、エアリアル』、金魚(鈴木ユキオ)『言葉の先』、HARAJUKU PERFORMANCE +(PLUS) SPECIAL(1日目~3日目)、イデビアン・クルー・オム『大黒柱』について書きました。同じページでは、五十嵐太郎さんや村田真さん、酒井千穂さん、深川雅文さん、松田達さんら建築、美術、デザインなどの専門家がレビュアーとなって執筆されています。

ぼくはこの誌面で、ダンスのみならず、演劇やパフォーマンス表現、音楽演奏など、広くパフォーマンスに関する上演・表現について書いていこうと思っています。ひとりでやることですから、どうしても個人的な関心や問題意識にレビューのラインナップは引きずられることでしょう、その点は、おゆるし願いたいところです。こうした時評的なレビューの限界(誌面が限られていることや締め切りがタイトなこととか、公演を見ていない読者への手短な紹介になっていた方が良いだろうとか)はあるにせよ、さしあたりぼくはここでこの分野の批評を書いていくつもりです。ただし、こうした誌面に書きたいこととブログに書きたいこととは異なる場合があります。両者の内容が異なっていたり、対立したりすることさえあるかも知れません。そういうことの可能性も含めて、時に応じて、ブログでも批評的なあるいは批評に準じた文章を書いていこうと思っています。

よろしくです。

(ちなみに、デザインがこのブログのとなんだか激似なんですが、たまたまだと思います)


ところで月曜日、綱島に黒沢美香&ダンサーズの公演「家内工場」を見に行く途中、すばらしい瞬間に遭遇した。昼間の南武線(という徹底的にとぼけていて、神からほっとかれている気さえするそんな場所であり時間)の府中本町辺り、全身黄色のトレーナー姿のおじさんが車内にふらっと入ってきた。その歩みは、まさしく絵に描いた「ふらっと」という振る舞いで、「よっ、ひるまっからすまんね、空いてる?」と居酒屋の暖簾をくぐっているかの存在感・演技性があった。黄色いトレーナーの小男がそんなプレゼンスを見せていることがまずおかしい。空いているぼくの目の前の席に座ると、ぼくはその瞬間からおじさんに釘付けになってしまう。「なんか体のリズムが変だ。すごい自分発信のルールで周りを支配している。手に、何か持ってる、、、単行本だ、きっとどこかの図書館で借りたんだ、それにしても、バッグはもちろん財布ももっていなさそうな男が一冊、単行本をもっているなんて、なんて意味ありげなんだろう」と思うと、その本のタイトルがどうしたって気になる。座ったまま脇に抱えている、タイトルが見えない、何だろうタイトル、、、とその瞬間、「あいよ」とばかりに、男は本を隣に置いた。この「あいよ」はぼくの気持ちに気づいてのことでは断じてないとしても、どこかへむけて絶対どこかへ気持ちを向けて発せられた「あいよ」のはずで(もちろんそんな声は、ぼくの心の中にしか響いていないのだけれど)、その「あいよ」の合図につられて本の表紙を覗いてしまうそんな自分に、我慢出来なず爆笑しそうになって、ちょっとうつむく。いろいろなタイトルがよぎり、その度に笑いそうになる。しぱらくして半ばの平静を取り戻し、気を取り直して前をむき直すと、現れたタイトルは『苦悩』。「『苦悩』とともに電車に乗る男、おれ、五十二才、独身、よろしく」ってなナレーションがぼくのなかで危うく響きそうになる。あわてて顔を下にし笑いを隠す。さらに、二駅程進んだ辺りで乗ってきた中学生に、突然おじさん、席を譲った。このおじさんの心遣いは、部活帰りの快活な中学生にとって明らかに予想だにしなかった状況で、けれども、おじさんのシナリオに従わなきゃと強迫的に思いこんでしまった中学生は、一人が座るとなぜか座ったもう一人が強引にスペースを作り、1.5人分に2人で座るという暴挙(→演劇)を演じてしまうのだった。中学生のひとりはバカボンみたいな顔だった。