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「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

庭劇団ペニノ「苛々する大人の絵本」(@青山 はこぶね)

2008年04月20日 | 演劇
ぼくの初ペニノ体験は、「小さなリンボのレストラン」で、その作品は、今日の活躍を予感させる過剰さと異常さに満ち満ちていた。とくにおかしかったのは、小さな青山のマンションの一室が客席と舞台になっていたことで、しかも狭小空間には、モノとしての自己主張の強いアイテムばかりがひしめく気味の悪いレストランが本当に建っていて、しかも足元には畑のようなものさえあり、本物の野菜が転がっていたりして、その異常さの質は、今となってはよくわかるのだけれど、あのときは興奮ばかりかき立てられ、青山通りを歩く帰り道まで、その余韻が残っていたのを覚えている。今回、そのマンションが再び会場となった。期待せずにはおれない。
修道女のような被り物をつけた女2人が暮らす部屋。天井と床には本物の木が突き刺さっている。女たちは、その木が漏らす樹液を楽しみにしている。それをかけると食べ物の味が毎回変わるのだそうで、女たちはミルクに芋を溶かしたような液体を食べ/飲んでくらす。ボート屋をやろうかと1人が言い出す。でも、湖を彼女は知らない。何か軽くある必要な知識や知性を欠如してしまったような状態の2人。鳥が死んだと嘆く1人に、もう1人は困った末、壁の孔に死体を突き刺す。後半、床の下の世界が現れる。そこには「受験生」が制服姿、ガリバー状態で寝ている。洞窟の世界?股間の辺りに、上からつららが降りてきている。受験生は、母にも妹にも受験を口実にわがままをしているようで、ぶつぶつと話す言葉の端々にそのひとりよがり加減があらわれる。彼も標準から逸脱した人間。この三人のすれちがったままの関係が最後まで続く。
「絵本」というタイトルにも連想が促された、奇妙なファンタジー。今回僕が面白いと思ったのは、乱暴な設定であるからこそ、演劇を作ることの面白さ、というか演劇そのものの面白さがあらわれる気がしたこと。子供のままごと遊びというか、砂場でのファンタジーが演劇公演になったような舞台。いや、本当に、リハーサルを見学する限り、正にそのような発想で積み立てられたものに他ならなかった。タニノの妄想の襞を現実の空間に、現実にあるものを利用しながら具現する、その乱暴狼藉、その身振りを観客は賞味する。「このストーリーにはどんな意味があるのか?」などという問いに向かうことなく。それは、タニノが役者たちに食べさせている奇妙な食事を食べるようなものだ。目の前にひろげられた光景をただただ見ること、それが以上だろうが何だろうが。けれど、そうした乱暴が、ある種の開放感を与えてくれる、ペニノの不思議なところ。何か人間の本質を言い当てられたような、それだからすっきりとした気分になるというような(仮に不治の病だとしても、病名が言い当てられたらすっきりする、というような)。ペニノの奇妙な癒し効果は、昨年秋のイプセン「野鴨」公演で、多くの人が知るものとなったものだけれど、このことについて、いずれ突っ込んだ考察をしてみたいものだなあと思っている。(4/20観劇)

参考資料
日記より 庭劇団ペニノ「笑顔の砦」
日記より 庭劇団ペニノ「アンダーグラウンド」
wonderlandより 庭劇団ペニノ「アンダーグラウンド」
庭劇団ペニノ「ダークマスター」
日記より 庭劇団ペニノ「小さなリンボのレストラン」(2004年5月28日)