Blog: Sato Site on the Web Side

「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

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2007年05月22日 | Weblog
5/19
『9 (nine)』関連イベント(@多摩美術大学←まえの記事でうっかり玉川美術大学と表記してしまったがそちらに行ってしまった人居ないですよねって、そんな大学はない)。公開稽古には、50人を超える、学生を中心とした観客が来て見てくれた。その後のレクチャーは20人くらいだったろうか、二時間、トークと大橋作品二本を鑑賞というなんというかヘヴィな時間につきあってくれた。どうもありがとうございました。W大出身の作家志望くんも来てくれた。彼はいまサブカル系講義のもぐりをしているらしく、菊地成孔芸大講義を聴講したときの話をしてくれた。そうか、爆笑なのか、、、と嫉妬すると、そのことでAに笑われた。

5/20
アラン・プラテル・バレエ団『聖母マリアの祈りvsprs』をオーチャード・ホールで鑑賞(数日前「アノニマス」という名でコメントがあり、その内容にかなり落胆してしまい、しばらくダンス公演についての感想はこの場で書かないことにしました。ですので、つまらないブログだからもう読まなくていいですよ、来ないでください匿名のひと。あと、匿名のこのひとからいまのこの文に対するレスポンスもとくに求めません。なんか、こう「~読みました。この公演についての文章についてぼくはこう感じました」みたいな建設的なコメントはほとんど誰も(いないわけではなくて、「おやつテーブルvol. 1」へのコメントなど建設的な意見交換が一切ない、なんてことはなくあるのではありますが、ほとんど皆無に等しく)言ってくれない、というのももうここに書かなくていいや、という気持ちになった一因です。つまらない中傷をされてまで書くこともないのでは、と思ってしまっている、ということです)。その後、新宿に出て、バーニーズにて誕生日プレゼントを物色。当然、カップルの多い店内、どうしてこの二人が、、、みたいな疑惑や妄想が勝手に次々とスパーク。5月の心地よい風と光。伊勢丹に行くとメンズのフロアがちょっと変わっていた。夕飯は、K国料理のM屋に。カムジャタンがやっぱりとても美味い。美味いものはときに悲しいような気持ちになる。記憶を逆なでさせられるからだろうか。Aと一年前、アーニャという名の友人と彼女の帰国前日にここに来た時のことをお喋りした。最初に来た時に比べれば、辛さの免疫が出来てしまって、もう少し辛くったって良いよ、と言いたくなってしまう。

5/21
多摩美講義。今日は、キュビスムの続きと未来派、ダダイズムを俯瞰するという内容(ダダイズムについては全然時間が足らなくて、次回に持ち越し)。講義の冒頭に突然、画面が黄色くなり、最初の二十分くらいがその対応で潰れてしまう。で、やっぱりあわててしゃべってしまう。まだこの講義の調子がつかめない。ただ、講義後、学生が必ず残って質問や意見など話しに来てくれる。こういう時間がとても嬉しい。しかも結構入れ替わり立ち替わり毎回違う学生があらわれてくれる(顔なじみも出来て、それはそれで嬉しいですよ!もちろん)。なんか、みんなあまりにいい顔しているので、つい話し込んでしまう。気づいたらブルトンの『ナジャ』における恋愛論について熱弁している自分に驚く。今回から、講義前の三十分、「余談コーナー」と称して、ぼくが学生諸君に見せたいビデオをVJする時間を勝手に始めた。今回は、R・コーフェイ率いるトーランス・コミュニティ・ダンス・グループによる「Praise You」のビデオ(もちろん、Fatboy Slimの曲、スパイク・ジョーンズの監督作品)とカニングハム(トリシャ・ブラウン「ウォーターモーター」は後日にお預けとなった)。さらに、講義後には、彫刻科・諸材料専攻の学生達がいま校内で自作展示をしているので「講評」をして欲しいと招いてくれた。ぼくが言えることなんてそんなないよ、、、と言いつつ、二時間くらいじっくり付き合った。いまこの作品より、それぞれの今後が気になり、そのために、作品についてけっこう詳細に質問していた。彼女たちは、自作を説明する訓練を受けていると言っていたが、確かに細かい質問にも頑張って応答してくれた。そのことが強く印象に残った。すごく真面目で、じっくり取り組んでいるということも感じた。その後、食堂で一時間くらいか、おしゃべりした。学校の開いている時間9:00-21:00の間ずっと制作という毎日なのだそうだ。ダンスとか、シアター・アーツに興味はない?と聞くと、ある学生(黄色い服を着た、黄色いドリアンの彫刻を作っていた、ね)が、自分を前に出すより、作品の後ろで観客を覗いているくらいの関係が好きだと言っていた。なんか、それ、ウサギの罠みたいだね、と伊藤存の作品とか思い出しながら答えたけど、そのあたりが、観客に対する美術作家とダンス作家の基本的な違いなのだろう。