毎朝、二時間ほど仕事をしたあとご飯の時間になり、「とくダネ」を流しつつパンをかじりながらしばらくAと会話をする。それは大抵、いまぼくが考えていることをぶつぶつとAと議論する時間。最近の話題は彫刻。そんで先日、Aは仕事先の生徒から教わったのかメカ娘ってのを見せてくれたのだった。この手のものにきわめて疎いので、GWにはアキバ・ツアーしようと話をしているくらいなのだけれど、それでもこういうのを見て考えるのは面白い。身体が兵器化した美少女、それは生まれたことの意味が外部から規定された状態をこそ求めているように見える。戦闘のバイオレンスが皆の幸福という大義を背景にしているのならば、身体が兵器であることは生きていることの意味になる。言い換えれば、生きていることの意味が外から与えられていないという自由は、そうとうキツイのではないか、ぼくたちにとって、少なくともメカ娘に萌える(アイデンティファイする)人たちにとって。無垢な身体は、重い。戦争への淡い憧憬は使命が与えられる幸福の希求に映る。