認知症の早期診断 介護並びに回復と予防のシステム

アルツハイマー型認知症は、廃用症候群に属する老化・廃用型の生活習慣病なので、発病を予防でき、早期治療により治せるのです

『意識的な世界』の認知を支える「評価の物差し」という脳機能(B-83)

2017-06-01 | 前頭葉の働きとその重要性を知ろう

(プロローグ)

(1)手許に在る引用文献「健康用語辞典」によると、『「認知機能」とは、理解、判断、論理などの知的機能のこと。

認知とは理解、判断、論理などの知的機能指し精神医学的には知能類似した意味であり、心理学では知覚中心とした概念です。心理学的には知覚、判断、想像、推論、決定、記憶、言語理解といったさまざまな要素が含まれますが、これらを包括して認知呼ばれるようになりました。

しかし、一般的には認知機能は主に認知症における障害程度を表す場合に用いられることが多いようです。認知症では物忘れみられるような記憶障害のほか、判断、計算、理解、学習、思考、言語などを含む脳の高次機能障害がみられますが、その障害みられる脳の機能として認知機能と表現されます』と説明されています。但し、この説明を読んだだけでは、「分かったようで、分からない」という印象を皆さん持たれるのではないでしょうか。何故なのでしょうか。その一番の理由は、「認知」が行われる脳のメカニズムについての説明が全くないからなのではないでしょうか。

認知」と言うのは、私たちの意識的な世界で起きてきていることなのですが、実は、意識の構造については、『人類最大の難問』とされ、未だに殆ど何も分かってはいないのが実情だからなのです。

(2)認知症全体の90%以上を占めていて、末期の段階に在る発病者数が我が国や米国では天文学的な規模に膨れ上がっているという問題が世界的にも注目されている『アルツハイマー型認知症』の発病及び症状の重症化のメカニズム(機序)を解明する研究の方法として、我が国を代表する研究機関である理化学研究所や我が国の最高レベルの大学である東大や京大が、「檻の中で餌を探して回るマウスの行動(「記憶」に関わる行動)」を対象にしている理由は、生きている人間の「意識」について、或いは意識が構成されるメカニズム、意識の機能が加齢により低下していくメカニズム及び意識の機能が廃用性の機能低下を起こしていくメカニズム等について分かっていない、十分な知見を有していないこと、更に言えば、米国精神医学会が策定したアルツハイマー型認知症の診断規定である「DSM-Ⅳ」が「アルツハイマー型認知症」の発病と診断する上での「第一の要件」として確認を要求している『「記憶障害」に起因した症状であること』との規定内容を疑うこともなく盲信(権威の言うことを疑おうともしない)していて、『極めて重度の発病者の外観的な観察と憶測』だけに基づいて、器質的な病変としての「記憶障害」が発病の原因との想定等が最大の理由なのです。

様々な程度及び態様の下で発現してくる「アルツハイマー型認知症」の諸症状は、マウスに発症してきているものではなくて、人間を対象として発症してきている訳なのだから、そのメカニズムについては、人間の「意識」が覚醒下での前頭葉を核心とする『脳の機能という物差し』を介しての症状をダイレクトに研究すべきなのに、その手技を持たないので、マウスで代用した憶測に基づく主張(「仮説」)を展開しているという訳なのです。

(3)ところが、「意識」が構築される脳機能/機能構造は極めて高度であり、極めて多層/多重の構造から成り立っているものであり、その世界は、それほど単純なものではないので、何時までマウスやマーモセットを研究してみたところで、全てが「憶測」の域を出られないという意味で、「極めて重大な欠陥」が存する「研究方法」というしかないのです。

その上、「アルツハイマー型認知症」の発病及び症状が重症化する原因が「記憶障害」に起因しているとの憶測に基づいた前提、言い換えると、アミロイドβやらタウ蛋白やらのタンパク質が脳内に蓄積して、そのことが直接の原因で情報を伝達している(神経細胞の大量死を惹起させる)ことにより「記憶障害」に起因した症状が発現してくることが、「アルツハイマー型認知症」の発病及び症状進行の直接の原因であるとの大前提(これまた「憶測」)に立脚した主張を展開しているだけなのです(理化学研究所、京大及び東大が、我が国では、「アミロイドβ仮説」の牙城なのです)。

(4)自慢するわけではないのですが、「アルツハイマー型認知症」の発病及び症状重症化のメカニズム並びに発病を予防する方法及び症状を治す方法に関する私たち二段階方式の研究及び主張並びに市町村での実践の基礎となっている14689例にも及ぶ極めて精緻で、且つ、極めて多数の「脳機能データ」は、生きた人間の「前頭葉」(「前頭前野」の穹窿部に局在する複合機能体を言うものとする。以下、同じ)を含む脳全体の機能レベルとそれに厳密にリンクした症状を対象として、私たち【KinukoとTadaoが主宰するエイジングライフ研究所】が独自に開発した神経心理機能テストである『二段階方式』の手技を活用して集積したものなのです。

それらは、事象の事実と脳の使い方としての生活習慣の実態に基づいたものであり、「単なる憶測」による主張とは主張の質と程度が根本的に異なるのです。

& 1「アルツハイマー型認知症」に関する権威が主張する重大な誤解と誤認

(1)「アルツハイマー型認知症」の発病及び症状重症化の直接の原因は、『第二の人生』を送る高齢者の「前頭葉」を含む脳全体の機能についての廃用性の異常な機能低下の要因、就中、追及するテーマがなくて、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない日々の暮らし方、ナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」の継続に起因した、廃用性の異常な機能低下の進行という要因が基幹となっているというのが私たちの主張なのです。それに対して、我が国で最も権威があるとされていて通説の地位にある学説としての「アミロイドβ仮説」が主張の重要な根拠としている『「記憶障害」が「アルツハイマー型認知症」の発病及び症状重症化の直接の原因である』とするその内容は、根本的な誤解と誤認に基づいた「誤った主張」というしかないのです。

(2)何故なら、アミロイドβ仮説の主張の根拠となるデータの基礎とされている「マウス」(アミロイドβを注入したアルツハイマー・マウスであろうとも同じことなのですが)の「記憶」に関わる行動の基礎データを構成しているマウスの脳機能には、私達人間だけに特有の機能であり、私達の意識的な世界を構築し、統括し、支配し、コントロールしていて、意識が覚醒した状態下での脳全体の司令塔の役割を担っている『前頭葉』と言う脳機能は、そもそも存在していないものであるし、「記憶」の働きとその機能レベルについて語るとき不可欠の要素となる「前頭葉」の三本柱の機能の中核を担う機能である「注意の分配力」の機能も、マウスには備わっていないのです。

(3)マウスと私たち人間とでは、「記憶」のメカニズム(記銘、保持及び想起に関わる脳機能とそのメカニズム)が根本的に異なるものなのです。

その上、私たちが「二段階方式」の手技を活用して集積した14689例にも上る精緻な脳機能データ、「アルツハイマー型認知症」の三段階に区分される症状の解析結果から言うと、それらの症状は全て、『「記憶障害」に起因した(記憶障害を基幹とした)ものではなくて、「前頭葉」の機能障害、廃用性の加速度的で異常な機能低下の進行という要因に起因した(廃用性の異常な機能低下の進行を基幹とした)ものばかりなのです。

注)末期の段階であり、私たち二段階方式の区分で言う「重度認知症」(大ボケ)の段階の場合には、外観的には一見「記憶障害」に起因した症状であるかと誤認し易いものが発現してくる(正しくは、「注意の分配力」の機能が、廃用性の加速度的で異常な機能低下の進行に因り、極めて異常なレベルに在って殆ど働かない)のですが、初期の段階であり、私たちの区分で言う「軽度認知症」(小ボケ)の段階では、「前頭葉」を含む脳全体の機能面からだけでなくて、外観的にも、「記憶障害」に起因した症状はその欠片さえも確認することが出来ないのです。 

(4) 世界中の認知症の専門家達から原因不明とされている「アルツハイマー型認知症」の発病のメカニズム、症状が重症化するメカニズム、発病自体を予防する方法及び症状の進行を防止し/抑制し、更には症状を治す方法の解明が、国にとっても、避けて通れない「テーマ」、必要不可欠で喫緊の課題となっているのです。何しろ、厚労省の発表数字だけでも、言い換えると、「アルツハイマー型認知症」を発病してセルフケアにも支障があって介護の道しか残されていない「末期の段階」の症状を呈しているお年寄り(私たちの区分で言う「大ボケ」の段階のお年寄り)の数だけでも既に600万人にも上る上に、その数値自体、この先増加の一途を辿ると予測されているからなのです。

)ここで皆さんに注意を喚起しておきたいのは、世界中の認知症の専門家とされる人達(学者、研究者、医師達)から見過ごされ、見落とされている本当の意味での早期の段階(私たちの区分で言う、「小ボケ」及び「中ボケ」の段階)のお年寄りの合計数は、「大ボケ」の段階に在るお年寄りの数とほぼ同数に達する筈ということなのです。

(5)その一方で、「アルツハイマー型認知症」が数有る認知症の内の90%以上の割合を占めているというのに、『「アルツハイマー型認知症」は、発病を「予防」することが出来ないし、症状を「治す」ことが出来ないタイプの認知症である』とする医学会の「重大な誤解に基づいた誤った主張」(「憶測」にすぎないが、権威があるが為に、世間ではそれを疑うことなく信じている)が我が国の隅々にまで浸透していて、何等の対策が実施されないままに放置されている現状に対して、対応策を具体的に示すことにより、専門家達だけでなくて皆さん方にも、問題提起したいと考えるのです。

(6)実際には、私たち二段階方式が北海道から九州に跨る全国的規模452の市町村に於いて、有償/有期の使用許諾契約の締結の下で、住民参加型の「地域予防活動」の展開により、「前頭葉」を含む脳全体を活性化させる「脳の使い方としての生活習慣」の構築とその継続的実践により、発病自体を予防することが出来るし、「二段階方式」と称する精緻な神経心理機能テストの活用により、本当の意味での早期の段階(私たちの区分で言う「小ボケ」及び「中ボケ」の段階)を見つけて、日々「脳のリハビリ」(脳の使い方としての生活習慣の改善と工夫)に励めば、治すことも/症状の進行の抑制も出来ることを実証してきたのが「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症なのです(私たちの主張は、残念なことに権威がないのですが、主張の内容自体は極めて正しいし、そのことを疫学的方法により実証してきても居るのです)。東大、京大、理化学研究所が我が国での牙城である『アミロイドベータ仮説』の登場に因り、誤りの主張であるとも気付かないで、我が国政府が、(ボケても安心な社会作り)の政策の下、川下対策である「介護の予防」を市町村が展開する制度化の進行の下で、住民参加型の地域予防活動」という極めて有効で有益な川上対策としての市町村の活動、二段階方式の導入先が急速に消えて行ってしまったという訳なのです。

(7)ところが医学会や医療の現場では、『「アルツハイマー型認知症」は、発病の原因が分からないし、発病を予防することが出来ないし、症状を治すことが出来ない』という、権威は有るものの内容自体に重大な誤りがある学説(米国精神医学会が策定した「アルツハイマー型認知症」の診断規定である「DSM-Ⅳ」の規定がその最悪の筆頭)及びその考えを踏襲する『アミロイドβ仮説』等による誤ったメッセージが拡散され、世間に流布しているということなのです。このブログを読まれている皆さんも、恐らく、それらの『権威の主張』をそのままに信じていることと思うのです。

(8)「アルツハイマー型認知症」は、様々な種類が数有る認知症全体の90%以上もの割合を占めているのです。このまま放置しておくわけにはいかないのです(「国士連」を標榜する私たちとしては、誤ったメッセージをこのまま放置して居る訳にはいかないのです。このまま放置しておいた方が得策と考えるのは、2015年度ベースで15兆円と言う天文学的な規模に上っていて、この先も増大の一途を辿ると予測されている「関連の費用」(ここでは、診断、投薬及び介護関連の総費用を言う)の維持と増加に期待している業界、即ち、副作用が認められるだけで効きもしない薬の製造及び販売に従事している製薬業界、「脳のリハビリ」により回復させることが可能な本当の意味での早期の段階の発見には何の役にも立たないで診断費用だけが高額なCTやMRIやSPECTや果てはPETまで使用して、『為す術が何もない末期の段階で、発病を見つけて居る=発病のレッテル貼りの診察』(売り上げを稼ぐだけの診断)上に、症状の進行を抑制出来る治療の効能は無くて、単なる対症療法薬(症状の発現の仕方を昂進させたり、抑制させるだけのもの=興奮型のアリセプトが代表)という効きもしない薬を処方しているだけの医療機関、身体が持つ限り「前頭葉」を含む脳全体の機能が更に衰えていくことに起因して症状が更に重症化していくお年寄りを単に『介護』するだけの介護業界は、現状の維持を望むだけでなくて、現状の変革による費用の大幅な削減というテーマに対しては抵抗勢力となるのです。

(9)現状の変革という視点では、予防や治療に効能が認められる「薬」の開発というテーマがあり、製薬業界の一部では、他社に先駆けて薬を開発しようとしのぎを削っている現状が在るとは言うものの、『「アルツハイマー型認知症」の本態は、日々の脳の使い方としての「生活習慣」に起因して発病する病気、廃用症候群に属する単なる「生活習慣病」に過ぎないのであり、発病/症状が進行するメカニズムに照らして、予防や治療の効能を有する薬が開発されることは、未来永劫有り得ない』事なのです。このまま放置して居ると、介護保険制度が財政面から早晩崩壊してしまうことになりかねないのです。

(10)介護保険制度が財政面から破綻してしまったら、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルが末期の段階にまで衰えてきている結果として、回復させることが困難な「末期の段階の症状」が発現してきていて、セルフケアにも重大な支障が出てきて日常生活面での「介護」が不可欠となっているお年寄りを自費で、24時間介護せざるを得なくなるのです。老老介護「認知症を発病した夫(妻)を年老いた妻(夫)が介護する」とか、認認介護「認知症を発病して症状が重い夫(妻)を認知症を発病して症状が未だ軽い妻(夫)が介護する」とか、介護離職「認知症を発病した両親を子供が介護するために已む無く離職する」等の社会現象が常態化してしまうことになるのです。その意味で、皆さんにとっても、「他人事ではない」のです。

&2 「評価の物差し」の原型(雛形)となるもの

(1)私たち人間の意識的な世界を構築する上で、「前頭葉」の重要で不可欠な機能要素の一つである「評価の物差し」としての機能自体は、DNAで受け継がれる性質のものではなくて、あくまで後天的に形成されるものなのです(これに対して、「前頭葉」の三本柱の機能と私たちが名付けている「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能の潜在的な能力は、先天的な能力、即ち、DNAで引き継がれ受け継がれてくる能力なのです)。

(2)4歳になる以前での幼児期における体験、自分を取り巻く環境、特に「父母や祖父母や兄や姉の背中」を中心とした家族及び家庭環境の下での実体験のみを基礎として「評価の物差し」の「原型」が形成され(非選択的にそのままに吸収されることにより形成されたもの)、4歳児から18歳ごろまでの体験(実体験及び伝聞体験)の積み重ねにより、言わば好むと好まざるとにかかわらず(悩み、迷い、挑戦し、或いは拒絶し、或いは選択して、最終的には自分なりに受け入れることにより)、そうした種々の体験の集積が、生まれつきの機能としての「本能」だけで生き、行動し、生活し、生存している3歳児までの世界とは異なり、3歳児までに形成された「前頭葉」の「原型」(雛形)の影響を強く受けながらも並びに原型(雛形)の上に加重され、加味され、溶け込んでいくことにより、基本的には 18歳に至るまでの過程で、「最終的な自分独自の物差し」を形成し確立していくことになると私たちは考えているのです。

(3)なお、ここで私たちが言う「評価の物差し」とは、自分独自の物の見方、捉え方、感じ方、考え方、選択の仕方、或いはそれらの表現や表出の程度及び態様を決定する評価基準、観察基準、選択基準並びに価値規範、行動規範及び行動指針のことを言います。私たちの意識的な世界を構築し統括し、支配し、コントロールしていて、脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」と言う脳機能は、多重で多層の機能構造をしているので、私たちの意識的な世界における認知は、必ずこの「評価の物差し」を通して形成されることにより、「前頭葉」の個別認知機能群(=Executive Functionと総称されているもの)が各々の機能を発揮することになる構造になっていると考えられるのです。言い換えると、意識的に何かの「テーマ」を実行していく上での、置かれている状況の理解と判断、状況の判断に沿ったテーマの発想、テーマの実行内容の企画と計画、計画内容の実行結果についてのシミュレーションと修正、或いは、計画内容の実行の仕方及びその実行内容の表現や表出としての言動や態度や行動を選択するに際しての自分独自のやり方の選択及び決定と決断に意識的には非選択的に関わってくる「評価、関心、選択及び行動の規範」のことなのです。

(4)また、「非選択的に関わってくることになる」とは、程度の如何に拘わらず意識が覚醒された瞬間に「評価の物差し」としての網が「前頭葉」の各種の個別認知機能全体を覆ってしまい(意識しているとの自己認識はないものの、きちんと機能する程度の意識「意識状態」の覚醒度の下で、「評価の物差し」が働いていている、言い換えると、先ずは、或るレベルの意識の覚醒度の下で「評価の物差し」の機能が働き、その上で、意識の覚醒度がよりそれよりも高いレベルで、評価の物差しが機能することに因り捉える対象の認知が行われていると私たちは考えているのです)、状況の理解と判断も、テーマの発想も、テーマに沿った実行内容の企画や計画も、結果のシミュレーションンによる修正も、或いは、それらの表出程度や態度の選択も全て、その「評価の物差し」による選択を通しての認知が行われるという制約条件の下で発揮されることになるという『機能の作用機序』の機能構造的な存在を言うのです。分かり易い別の表現を借りて説明すると、「評価の物差し」の潜在的な機能状態が構成しているのが「人格」、或いは「人柄」であり、顕在的な機能状態が構成しているのが「心」、或いは「気持ち」であると考えているのです。

(5) 通常のケースとしては、3歳児に至るまでの幼児期に形成された親の背中を基礎とした「評価の物差し」の「原型」(雛形)を根源として、その色眼鏡をかけた状態で、その後の体験(実体験及び伝聞体験)により加味、加重、或いは付加された価値規範を自分なりに受け入れる中で、必要な修正や変更がなされていき、最終的には18才頃までに、自分なりに確立された独自の「評価の物差し」(価値規範、評価規範、或いは行動規範)を完成させていくことになると私たちは考えているのです。そうした自分独自の「評価の物差し」が形成され確立されていく過程は、或いは、精神分析学や心理学の専門用語で言う「自我」の形成及び確立の過程でもあると言い換えることが出来るでしょう。

(6)なお、「三つ子の魂百まで」、或いは「頭禿げても浮気はやまぬ/産屋の風邪は一生つく/産屋の癖は八十までなおらぬ/漆剥げても生地は剥げぬ/噛む馬はしまいまで噛む/子供は大人の父親/雀百まで踊り忘れず/痩せは治るが人癖は治らぬ/病は治るが癖は治らぬ」等の古くから言い慣わされてきた諺が示しているように、3歳児に至る迄の幼児期に形成された評価の物差しの「原型」(雛形)を基礎とし、その後18歳ごろまでに完成された評価の物差しは、それ以降の人生での様々な体験をもってしても容易には変更できない程に、最終的な自分なりの或いは自分独自の「評価の物差し」を形成し、確立し、完成されてしまうと考えるのです。

(7)3つ児、4歳児前の幼児というのは、「父母や祖父母や兄や姉の背中」を中心とした自分を取り巻く家族及び生活環境の下での体験に対して、「前頭葉」の機能がそこまでは発達していない機能レベルに在ることの反映として、それらを評価したり、批判したり、反発したり、選択したりする能力を未だ持っていないので、それらの体験を何の疑いもなくそのまま「自分の価値観、評価規範及び行動規範」として、ただひたすらに、非選択的に受け入れ、取り込むだけなのです。恐ろしいのは、「父母や祖父母や兄や姉の背中」が暗に示す価値観/規範が、そのままその子の「前頭葉」の「評価の物差し」となってしまい、そのまま入り込んで、「評価の物差し」の「原型」を形成してしまうことなのです。

(8)但し、たとえ双子であっても、先天的に受け継いだ「DNA」の資質の差に加えて、その子が(左脳優位=言葉、計算、論理、場合分け等のデジタル情報の処理に特化した機能)に生れついたのか、或いは(右脳優位=感情、感覚、感性などのアナログ情報の処理に特化した機能)に生れついたのかの差異の影響が強くあるので、更には、「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能から構成される「前頭葉」の三本柱の機能の潜在的な能力の機能差という問題があるので、その双子が同じ環境で育ち同じ体験をしたとしても、二人の受け止め方が違うことになるのです。その結果、たとえ双子であっても異なった「評価の物差し」を形成していくことになることについての理解も重要なことなのです。

& 3   状況を理解した上で判断し、実行すべき「テーマ」の内容と実行内容の組み立て及び実行の仕方を規制している規範が、「前頭葉」の「評価の物差し」なのです:

(1)今年は、桜の開花も筍の収穫も例年に比べて随分と遅かったせいで、5月に入った先月も、近所の竹やぶで何度も雨後の「筍狩り」を体験することが出来ました。ところが、“先の穂”が地面から大きく突き出している状態(これは、筍としては収穫が遅くて、果肉が固くなってきている)であれば、この私でもすぐに気が付くのですけど、筍の“先の穂”が未だ地面に隠れている状態(この状態で掘りあげると、果肉が未だやわらかくて、上物)である場合は、私が目を皿のようにして竹林の中をあちこち眺めまわして、歩き回ってみても、何処に筍が在るのかが全くのこと分からないのです。

(2)その場合に、見つけ方を幼児期から体験していて筍堀りの名人であるTadに教わると、地面の下に未だ隠れていて、私には今まで見えていなかった筍の在り処が分かるようになるのです。他の地面とは異なり、よく眺めて観察してみると、其れとは直ぐには分からない程ではあるものの「地面が僅かに盛り上がって、少しヒビが入っている」所を見つけることが出来るのです。そこを掘ってみると、地面を割って今にも地上に出てこようとしている状態の筍が隠れているのです。

(3)それを一度体験してしまうと、竹林の中のあちこちに、同じような個所(筍が隠れている場所)が私の目でも確認できるようになってくるから不思議なのです。Tadから教わった、筍が隠れて居そうな地面の見方を実体験したことによって、私の「前頭葉」の「評価の物差し」に、単に眺めていただけでは発見することが出来ない竹林の中の地面に隠れている筍の在り処の発見の仕方という「新たな物差し」が加わったことになり、竹林の地面の状況を的確に判断できるようになったということなのです。

(4)今日は、近所のお庭(花のお庭)を見に行くつもりだったのだけど、あいにくのこと朝方から雨が降り続いていて、おまけに昼過ぎからは風も強くなってきている状態なのです。已むを得ずというか、仕方がないので、ぼんやりと庭の景色を眺めながら物思いにふけっているのが今の私の状況なのです(実は、こんな時こそ、SPECTやPETをもってしても容易に知ることが出来ない、「前頭葉」という脳の機能構造についての極めて有益な実体験をすることが出来るのです)。

(5)とは言え、目に物理的に映ったものがそのまま認知されて見えているという訳のものではないということを、皆さんにも知っておいて頂きたいのです。夫に対しては何事につけて厳しい目を向けて、口調も厳しく、内容も厳しく、声の響きも厳しい妻が、他人に対しては全く逆の態度をとるのも、「評価の物差し」が常に被った状態で、意識的な世界が展開されるが故のことなのです。覚醒された意識状態の下では、あらゆる種類、程度及び態様の下で行われる認知(「前頭葉」の個別認知機能による認知)というものは、必ず、「評価の物差し」という傘を被った状態/条件下で行われているという機能構造になっているというのが私たち独自の見解なのです(意識の覚醒度が最も浅いところ、言い換えると、所謂、意識の覚醒度がより低いところで「評価の物差し」がその機能の傘を広げていて、「評価の物差し」が傘を広げているそれよりも意識の覚醒度が高いところで、且つ、『「前頭葉」の個別認知機能の機能発揮により生じる「当該認知」に関わる意識の「覚醒度」が低いものから意識の「覚醒度」が高いものへと順番に積み上げられていく』という機能の発揮状態/機構のイメージを私自身は想像しているのです:そこには、「意識」の形成及び機能の発揮に関わる「多重で多層の機能構造」という問題が横たわっているということなのです)。

 &4 「前頭葉」の個別認知機能の機能発揮面に関わる二重構造の問題

(1)「前頭葉」の三本柱の機能である、意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能の機能発揮レベルが上昇してくるにつれて、「意識」(その本態的な性質について、「意識」という静態的なものではなくて、「意識状態」という動態的なものであると私は考えているのです)の「覚醒度」(単純に、意識とか無意識と言う概念を用いるのではなくて意識の「覚醒度」という概念が必要だと考えているのです。

(2)『「無意識」が「意識」を支配している』という概念は根本的に誤った概念であって、「意識(状態)」の覚醒度が低くなっていってその極限に近づいた状態が「無意識」と表現されている概念に相当しているのであり、多層、多重の機能構造を有している意識の覚醒状態下では、意識の覚醒度が相当程度低い状態下であっても、「前頭葉」の個別の認知機能がそれなりに機能している状態があることを知るべきなのです(その詳細については、B-09からB-12迄を読んでみてください)。機能発揮のメカニズムについて言うと、「前頭葉」の三本柱の機能がより高いレベルで発揮されるのにリンクして「前頭葉」の個別認知機能の機能の発揮度自体が高まり、且つ意識の「覚醒度」が上昇してくると言う機能構造にあるものと、私たちは考えているのです。

(3)大きな緑の塊のように見えるブウゲンビリアの巨木を眺めていると、天に向かって勢い良く伸びている先の部分に一群の花が、赤紫色をした花が咲き出してきていて、下の方に目を転じると、注意を凝らしてみないとよくは分からない程に小さな花が無数に咲き出してきているのが分かるのです。実は、そうした認知自体がすでに、「評価の物差し」と言う機構を介してしか存在しない意識的な世界のことなのだということを皆さんに理解して頂きたいのです。ブーゲンビリアの樹の捉え方、姿や形や雰囲気など、見えるかどうかは勿論のこと、どのように見えるか、或いはどのように感じられているか、それらの全てが、「評価の物差し」と言う機構を介して初めて、覚醒されたレベルとしての「意識(意識状態)」に上ってきて、現実化し、具体化してきているものなのです。今にも赤紫色の花が樹全体に上から下まで咲きだしてきそうな様子の以下の写真を元にして、分かり易く説明をしてみたいと思います。

(4) 上掲の写真をもとにして、且つ皆さんの想像力をたくましくして、先ず、庭全体の景色をぼんやりとした気分で眺めてみてください。何処か特定の場所や、特定の木や花に焦点を当てる、意識を集中させることはしないでください。そう、なんとなく、然も、「意欲」も「注意の集中力」も「注意の分配力」の機能も機能レベルが極力低い状態、意識状態の覚醒度が極力落ちている状態にして、その状態で庭全体の景色をぼんやりと眺めている気分になってみてください。そして、意欲と注意の集中力と注意の分配力の機能の機能レベルを、しばらくの間、順次上げてみたり、下げてみたりして、準備運動をしてみてください。庭の景色全体の捉え方や見え方や特定の木の葉の色の濃淡の度合いが、その都度、変化して見えることに気づいて頂けたでしょうか。

(5)この変化を体感し、実感できたら、今度は、葉の色が濃くなってきたその天に近い場所から今まさに赤紫色の花が咲きだしてきている、ブーゲンビリアの樹の写真をターゲットにして、同じ現象を体感してみてください。「前頭葉」の三本柱の機能の機能レベルを上げる、即ち、「意識状態の覚醒度」を上げて行って、ブーゲンビリアの樹の「特定の一点」に意識を集中させて見つめていると、葉の形や花の形までもがくっきりと浮かび上がって見えるでしょう。逆にそこから、「前頭葉」の三本柱の機能の機能レベルを次第に下げていくことにより「意識」の覚醒度を下げていくと、ブーゲンビリアの樹の個々の葉の形や花の形は見えなくなっていき、全体が一つになって、単に緑色の塊としか映らなくなってくることに気づくでしょう。上の写真では、十分にはその変化を実感できなかった方は、今度はご自分の家の庭の実物の木で体験してみてください。もっとよく実感できることでしょう。景色の捉え方、見え方、感じ方が変化するということは、言い換えると、都度、認知機能を発揮している「前頭葉」の個別認知機能の機能の発揮度自体が、「前頭葉」の三本柱の機能の機能レベルに厳密にリンクして変化していることを意味しているということなのです。

(6)「アルツハイマー型認知症」の発病のメカニズムとの関連で言うと、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルが「前頭葉」の三本柱の機能の機能低下、一つには「加齢」に起因した「正常老化の性質」の影響により、もう一つには、ナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」の継続に起因した廃用性の機能低下により、両者が「同時に充足される」条件下で、廃用性の加速度的で異常な機能低下が進行することにより、「アルツハイマー型認知症」が発病してきて、症状が重症化していく世界、言い換えると、意識的な世界における「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルの低下を直接に反映した「アルツハイマー型認知症」の症状の世界があることに気づかれることと思うのです。

(7)後述するように、世界中の認知症の専門家(学者、研究者、医師達)から発病の原因が不明とされている「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症は、私たちが意識的に何かを感じ、捉え、考え、発言し、行為し、或いは行動しようとする際に、脳が壊れてもいないのに(器質的な病変が脳内の何処にも見当たらないのに)、社会生活や家庭生活やセルフケアなどの面で様々な支障が出てくる病気なのです。その発病の原因について私たちは、「前頭葉」を含む脳全体の廃用性の加速度的で異常な機能低下こそが真の犯人(原因)だと主張しているのです。その根拠となるデータは、マウス(アルツハイマー病マウスを含む)が檻の中で餌を探して動き回ることから憶測して得られているもの(マウスの「記憶」に関わるデータとされている)とは、質的に全く異次元のものなのです(生きた人間の、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルに厳密にリンクした症状を集積して得られた14689例もの精緻な「脳機能データ」なのです)。

 &5 「アルツハイマー型認知症」の本態の理解と捉え方に関する学説の誤り

(1)「アルツハイマー型認知症」の発病の原因については、アセチル・コリン仮説、アミロイドβ仮説、或いは、タウ蛋白仮説などの様々な「仮説」が、これまで唱えられてきているところなのですが、発病及び症状重症化のメカニズム(機序)については、米国精神医学会の診断規定である「DSM-Ⅳ」の規定が主張する「器質的な病変」としての「記憶障害」が基礎(基幹となっているとなっている)との誤解が世界を席巻しているのです。上述したアセチル・コリン仮説、アミロイドβ仮説、或いは、タウ蛋白仮説の全てが、「器質的な病変」としての「記憶障害」に起因して、「アルツハイマー型認知症」の症状が発現し及び症状の重症化が進行するとの誤解に基づいた様々な主張を展開しているのです。

(2)驚くなかれ、世界中の名だたる研究機関や大学や製薬会社で主張されている/治療薬の開発の根拠とされている全ての「仮説」が、科学的に根拠のある客観的なデータではなくて、主張の内容と発病との間の「因果関係の存在の実証」が未だに為されていないままに(単なる「仮説」のままに)、「憶測」に基づいた「誤った内容」の主張を展開し、繰り返しているというのが、「アルツハイマー型認知症」の世界なのです。我が国もその例外にもれず、東大も京大も理化学研究所も、未だに「仮説」としての主張、単なる憶測の域を出られてはいない主張である『アミロイドβ仮説』を標榜していて、それが我が国でも通説の地位を占めているのです。

(3)とは言え、アミロイドβ仮説の主張の考えに依拠して治療薬の開発というテーマにに挑んだ世界的に大規模な欧米の製薬会社をはじめとして、我が国を代表する製薬会社も含めてその全ての企業が、治験の段階で開発に失敗したと表明しているのが現状、実態なのです。上場している企業は、開発の見込みがないと表明するとたちまち株価の下落に見舞われることになるので、開発中の治療薬に期待が持てるかのような発言をするのが常なのですが、その本態が、廃用症候群に属する老化・廃用型の単なる生活習慣病であるにすぎない「アルツハイマー型認知症」の場合は、発病を予防したり、症状の進行を抑制/防止したり、或いは、症状を治す効能を有する『薬が開発されること』は、未来永劫有り得ない事なのです。既に市販されている薬の中で、『症状自体を治す効能は有していないが、ケースによっては、症状の進行を或る程度は遅らせることが期待できる』とされている薬は、実は、当該薬の服用と症状の進行を遅らせる効能との間に要求される因果関係の把握及び評価が杜撰なだけのことなのです。

(4)「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症は、私たちが、意識的に何かを考え、発言し、行為し、或いは行動しようとする際に、「前頭葉」を含む脳全体の機能について「器質的な病変」が何等見当たらないにもかかわらず、様々な支障(認知症の症状)が出てくること、具体的には、状況の理解と判断、実行すべき「テーマ」の発想、実行内容の組み立て、実行結果のシミュレーション、シミュレーションに基づく修正、最終的な実行内容の決定及び実行の決断、脳の各部に対する実行の指令等の「前頭葉」の個別認知機能の機能発揮面での様々な支障が出てくる病気であり、私たちは、その原因は、「器質的な病変」としての「記憶障害」に起因したものではなくて、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない単調な生活、ナイナイ尽くしの「単調な生活習慣」の継続に起因した廃用性の異常な機能低下の進行、「前頭葉」の三本柱の機能を基幹とした「前頭葉」を含む脳全体の機能の廃用性の加速度的で異常な機能低下の進行が発病及び症状重症化の直接の原因だと主張しているのです。

(5)私たち人間の「意識的(目的的)な世界」における「前頭葉」の個別認知機能の機能の発揮度が「前頭葉」の三本柱の機能の機能レベルに直接にリンクして変化するという機能発揮上の構造、「二重構造の関係」にあるということを理解しない限り、何時まで経っても、「アルツハイマー型認知症」の発病及び症状重症化のメカニズムを解明することは出来ないことを問題提起したいのです。その肝心の「前頭葉」の三本柱の機能には、誰の脳にも生来的な性質としての「正常老化の性質」が宿っている、これを言い換えると、『脳の使い方としての「生活習慣」の如何に拘わらず、正常な機能レベルを保ちつつも、加齢と共に、緩やかなカーブを描きながら次第に働き具合が衰えていくという性質が存在している』という、14689例にも及ぶ生きた人間の脳機能データ、私たち独自の「脳機能データ」の解析結果から問題提起しておきたいのです。

&6 「アルツハイマー型認知症」の発病及び症状重症化のメカニズムとは

(1)加齢に従い機能が緩やかに衰えていくという「前頭葉」の三本柱に生来的に宿る性質、「正常老化の性質」により、正常な機能レベルを保っているとはいいながらも、最盛期の20歳代前半の頃の半分程度にまで「前頭葉」の三本柱の機能が衰えてきている『60歳を超えた年齢の「高齢者」』(私たちが主張する「発病の第一の要件」)が、「キッカケ」を契機として開始された脳の使い方としての生活習慣、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない、ナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」を日々継続していると(私たちが主張する「発病の第二の要件」)、「前頭葉」の三本柱の機能が、出番が極端に少ない生活条件下で、廃用性の機能低下を進行させていくこととなり、第一の要件と第二の要件とが同時に充足される結果として、廃用性の加速度的で異常な機能低下を進行させていくこととなる、その先に「アルツハイマー型認知症」の発病及び症状の重症化の進行が待っているということなのです(器質的な病変が原因ではなくて、機能低下、就中、廃用性の加速度的で異常な機能低下の進行により「前頭葉」の三本柱の機能が衰えていくことの反射的な効果として、「前頭葉」の個別認知機能の機能の発揮度自体が同様に衰えていくことになるのです

(2)自分が置かれている状況の理解と判断、状況の判断に沿った実行「テーマ」の発想、実行内容の企画と計画、実行の結果のシミュレーションによる修正、実行の程度及び態様の決定、実行の決断と脳の各部に対する実行の指示等の全ての個別認知機能の機能の発揮度が、廃用性の加速度的で異常な機能低下の進行という上述のメカニズムの影響を受けることになるのです。その結果が、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルに厳密にリンクする形での「アルツハイマー型認知症」の症状として発現してくると言うことなのです。

(3)ナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」が継続されている生活条件の下で、「前頭葉」を含む脳全体の機能について、廃用性の加速度的で異常な機能低下が進行していくことにより、「前頭葉」が異常な機能レベルにまで衰えてくることにより「アルツハイマー型認知症」の症状が発現してきて(「小ボケ」の段階:社会生活の面で様々な支障が起きてくる)、且つ「前頭葉」が更なる廃用性の加速度的で異常な機能低下を進行させていきつつ同時に左脳、右脳及び運動の脳も廃用性の加速度的で異常な機能低下を進行させていくことにより、症状の重症化が進んで行くことになり、「中ボケ」の段階(家庭生活面での様々な支障が起きてくる)を経て、最後は末期の段階である「大ボケ」の段階(セルフケアの面でも様々な支障が起きてきて、日常生活面で介護が不可欠のものとなる)に至ることになるのです。「アルツハイマー型認知症」の発病及び私たちが回復の可能性の有無及び程度という視点から「三段階」に区分する認知症の症状の重症化は、全てこのメカニズム(機序)の枠組みの下で、認知症としての症状が発現し、更には、症状が重症化していくものなのです。

(4)私たちの意識的な世界を構築し、統括し、支配し、コントロールしている脳全体の司令塔の役割を担っている脳機能、左脳、右脳及び運動の脳により構成されている三頭立ての馬車の御者の役割を担っている「前頭葉」という脳機能の働きについて、言い換えると、意識的に何かの「テーマ」を実行していく上での、置かれている状況の理解と判断、状況の判断に沿ったテーマの発想、テーマの実行内容の企画と計画、計画内容の実行結果についてのシミュレーションによる修正、或いは計画内容の実行の仕方及びその実行内容の表出である言動や表情や態度の選択、最終的な実行内容の決定と決断及び脳の各部に対する実行の指示について、上述のメカニズム(機序)に起因した廃用性の加速度的で異常な機能低下が進行していくことが直接の原因で、「アルツハイマー型認知症」の様々な程度及び態様による症状が発現してきているということなのです。

(5)「前頭葉」は、左脳、右脳及び運動の脳との情報のやり取りを行うことにより、個別認知機能を発揮させているので、左脳、右脳及び運動の脳の全てが正常な機能レベルに在ろうとも、脳全体の司令塔の役割を担っていて、私たちの意識的な世界を構築し、統括し、支配し、コントロールしている「前頭葉」が異常な機能レベルに衰えてきたその時から、言い換えると、私たちの区分で言う「軽度認知症」(小ボケ)の段階のアウトプットは既に異常なものとなっている、言い換えると、認知症の症状、「アルツハイマー型認知症」としての症状が発現しているということになるのです。

(6)認知症の専門家とされる人達(学者、研究者、医師)は、因果関係の存在の実証が為されない儘に主張されてきた単なる「仮説」でありながらも、拘泥し、疑うこともなく信じてきた『「記憶障害」が、「アルツハイマー型認知症」の発病及び症状重症化の基礎となり、基幹をなしている』とする憶測と思い込みによる視点からではなくて、『生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない「単調な生活」の継続、ナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」に起因した「前頭葉」と言う脳機能の廃用性の加速度的で異常な機能低下の進行が、「アルツハイマー型認知症」の発病及び症状重症化の基礎となる(基幹を構成している)』という視点に立脚して、私たちが区分し類型化している「三段階」の各症状について、観察しなおし、鑑別し、判定し、診断して頂きたいと切に願うのです。

(7) 発病自体も症状の重症化の進行も、そもそも器質的な病変が原因ではないし、言い換えると、アセチルコリンの不足が原因ではないし、アミロイドβの蓄積が原因ではないし、タウ蛋白の沈着が原因でもないのです。そして、私たちが三段階に区分して類型化している「小ボケ」、「中ボケ」及び「大ボケ」の各段階の様々な症状発現の核となっているのは、世界的に権威があるとされている「DSM-Ⅳ」の規定や我が国では未だに有力な学説として主張されている仮説である「アミロイドβ仮説」(東大、京大及び理化学研究所がその牙城)や同じく仮説である「タウ蛋白仮説」が主張しているような「記憶の障害」ではなくて(情報を伝達する役割を担っている神経細胞の細胞死が原因となって「記憶障害」に起因した認知症の症状を発現させている訳ではなくて)、「前頭葉」の機能障害なのだ(「前頭葉」をその中核として、且つ「前頭葉」を含む脳全体の機能について、ナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」の継続が原因で廃用性の加速度的で異常な機能低下が進行していくことに『直接起因して、認知症の症状が発現してきている』のだ)ということを理解していただけたでしょうか。

(8)「アルツハイマー型認知症」の末期の段階、私たちの区分で言う「重度認知症」(大ボケ)の後期の段階で発現してくる症状である「便で便器の縁を汚しても、後始末が出来ない」とか、「同居している家族の名前も顔も分からない」とか、「風呂に入っても、身体を洗おうとはしない」とか、「昼と夜の区別がつかなくなり、夜中に畑に行くと言い張って騒ぐ」などと言った症状は全て、「記憶の障害」に起因した症状なのではなくて、「前頭葉」の機能障害を骨格とした症状、言い換えると、『前頭葉を含む脳全体の機能が廃用性の加速度的で異常な機能低下をそこまで進行させてきているその直接の結果として発現している症状であり、且つ、『「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルに厳密にリンクした症状』なのです。

&7 予防も早期発見による回復も出来ない(誤り)とする現状を放置したままで良いのか

(1)器質的な病変が「アルツハイマー型認知症」発病の原因であるとの大前提、そして、「記憶障害」の症状が「アルツハイマー型認知症」の症状の基幹となっているとの前提、この二つの「重大な誤り」に気づかないで居て、更には、その二つの前提に拘泥して研究や治療薬の開発を行っている限り、「アルツハイマー型認知症」の本質が、廃用症候群に属する老化・廃用型の単なる「生活習慣病」(但し、此処に言う「生活習慣」とは、食生活ではなくて、『脳の使い方』としての視点と意味で言う「生活習慣」であることに留意する)であるという正解に辿り着くことは、何時まで経っても出来ない相談だということを明確に指摘しておきたいのです。

(2)時間の無駄遣い、若い有能な人材の無駄遣い、コストの無駄遣いであり、税金の無駄遣いでもあるのです(認知症研究の専門家とか、認知症診断の専門家といいながら、「前頭葉」と言う脳機能の欠片さえも備わってはいないマウスを追い掛け回していたり、器質的な病変に起因した「記憶障害」の症状が「アルツハイマー型認知症」の基礎をなすとの仮説に拘泥したままで居たり、末期の段階の症状ばかりに目が向いたままで居て、発病自体を予防することが出来ることに気づかないで居て、早期の段階で見つけることにより治すことが出来ることにも気づかないで居て、効きもしない薬を処方し投与していて、日常の生活面、セルフケア面での介護が必要不可欠となる末期の段階にまで症状が進んで行くことが放置されたままで居ることにより、年間で15兆円を超える税金が垂れ流しの状態で放置されたままなのです。

(3)何時になったら、私たちの主張と450を超える市町村で展開してきた住民参加型の「地域予防活動」の実績とその成果とが陽の目を見て、政治家や官僚や国民全体が「アルツハイマー型認知症」の発病自体の予防と早期の段階で見つけて治すという「テーマ」に真剣に取り組む日が来ることになるのでしょうか。垂れ流しのままに放置されて、現在その規模が天文学的な金額に膨れ上がっていて、この先さらに増大の一途を辿るものと予測されている上記費用の1%、或いは2%でも使って、住民参加型の「地域予防活動」に人材(専門職としての指導者となるべきは、社会進出が未だ不十分な女性を積極的に活用する)と費用とを投入し、我が国の隅々に至るまで、出来るだけ小さな地域単位で、密に展開しさえすれば、高齢化が急激に進行しつつ疲弊していく一方の地方住民と地方経済は活性化を取り戻し(具体的な方法の提案内容については、このブログの「B-61」~「B-65」を参照してください)、上述した天文学的な規模に膨れ上がっている費用、税金を驚異的で劇的なスピードと規模とで、大幅に削減することが可能な筈なのです!!

注)本著作物「Bー83」に記載され表現された内容に係る著作権は、(有)エイジングライフ研究所に帰属しています。

 

 

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