認知症の早期診断 介護並びに回復と予防のシステム

アルツハイマー型認知症は、廃用症候群に属する老化・廃用型の生活習慣病なので、発病を予防でき、早期治療により治せるのです

アルツハイマー型認知症の予防カレンダー(感動) C-03

2018-02-15 | 仕事とは無縁になる「第二の人生」をどう生きるか

       あなたには、遠い過去の記憶になってしまったの それは感動!!

〇 今日の課題

第二の人生」を送るようになって、あなたは、どのくらいの年数が経ちましたか。

足腰は、未だ大丈夫ですか。「」の働き具合は、どうですか。どのような日々の

暮らし方」(脳の使い方としての「生活習慣」)をしていますか。「趣味遊び

人付き合い」で、あっという間に時間が経っていることが有りますか。達成しようと

している何等かの「目標」がありますか。自分なりの「喜び」や「生き甲斐」を感じ

る時がありますか。 これまでの過ごした方について、 他人はいざ知らず、自分らし

生き方」がそれなりに出来ている/送れているといますか。感動」すること

はありますか。どんな事に感動し、どんな時に感動を覚えていますか。

感動するという機能は、脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」(「前頭前野」を言うものとする。以下。同じ)という脳機能を構成している個別認知機能の中で、アルツハイマー型認知症発病の簡易な判定上極めて重要な機能の一つ。 

アルツハイマー型認知症を発病した最初の段階、私たちの区分でいう「小ボケ」の段階では、左脳右脳運動の脳の全てが正常な機能レベルに在って、「前頭葉」の機能だけが異常なレベルに衰えてきているのです。この場合、極めて重要なことであり注意すべきなのは、「前頭葉」の機能が異常なレベルにあるときは、脳全体の機能が異常なレベルというのではなくても(左脳、右脳及び運動の脳の全ての機能が正常であっても)そのアウトプットである症状は、認知症のレベルの症状となる、即、「アルツハイマー型認知症」の症状であるということなのです。何故なら、私たちの意識的な世界は、「前頭葉」が、創出し、構築し、統括し、支配し、コントロールしている世界だからなのです。思考であれ、行為であれ、表情や感情の表出であれ、言葉の発出であれ、全ては、「前頭葉」を介して行われその「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルのアウトプットとして発現されるものなのです。この機能構造を分かり易く表現すると、左脳、右脳及び運動の脳という三頭の馬が牽く三頭立ての馬車の「御者」の役割を担っているのが、「前頭葉」という脳機能なのです。『「三頭の馬」の機能が正常であっても、「御者」が居眠りしていたのでは、馬車は目的地に行き着くことはできない』のです。意識的な世界」に於ける、脳機能の意識的な働きとしての全ての作用は、「前頭葉」を介して行われるものであるので、そのアウトプットそれ自体が症状の発現となり、(左脳、右脳及び運動の脳の全てが正常な機能レベルに在って)「前頭葉」だけが異常な機能レベルに衰えている「小ボケ」の段階の症状は、既に認知症の症状、「アルツハイマー型認知症」の症状として発現してくるのです。従って「小ボケ」の段階では、「前頭葉」の機能障害(Disturbance in Executive functioning)の症状だけが発現してくるのが特徴となるのです。

  小ボケ」の段階での認知症の症状のチェックリスト

□ 複数のことに注意が分配できなくて、3つの用事が同時にさばけない

□ 発想が乏しくて、画一的な行動が目立つ

□ 機転がきかなくて、創意工夫ができない

□ 何事をするにも億劫で面倒がり、何かをやってみようという意欲が見られない

□  同じ食材を買ってくることが多く、料理の献立の単調さが目立つ

□ 一日や一週間の計画が自分で立てられず、何も思いつかない様子

□ 朝は遅くまで起きてこないのに、気がつくと居眠りしている

□ これまでなら感動していたことに対して感動しない

問いかけに対する反応が遅く、生き生きした笑顔が見られない

□ ぼんやりしていることが多く、自分から何もしないが指示されると出来る

□ 根気が続かず中途半端な事を繰り返し、やりかけの家事が目立つ

目の光がどんよりしていて、顔つきが無表情

□ 反応が遅く動作がもたもたしていて、階段をトントンと降りられない

□ 歩くとき前屈みの姿勢で、小股でトボトボと歩く

□ 手際が悪くなり、家族数に関係なく多すぎる量の料理を作る

自分に自信がなくなり、何かにつけて人を頼ろうとする

□ 髪の手入れや、おしゃれに無関心

□ 同じ内容を繰り返して話し、そのことに本人が気づかない

 

この「小ボケ」の段階で確認される「アルツハイマー型認知症」の症状の類型のうちで、日常私たちのレベルでも確認でき、発病をチェックする上での、一つの重要なキーとなるもの、それが、「前頭葉」の三本柱の機能が廃用性の機能低下を加速させて異常なレベルに衰えてきていること、就中、最も高度な機能である「注意の分配力」の機能が、十分には機能し得なくなったことの証左としてアウト・プットしてくる代表的な一つが、『何事に対しても、感動しなくなる』という症状の発現なのです。上掲の症状中の赤字の項目の3つの症状を含む4つの症状の確認が出来る場合は、「前頭葉」の機能が既に異常なレベルにあることが推定されるのです。「前頭葉」の機能、より詳細に言うと、「前頭葉」の個別認知機能(理解、判断、発想、企画、計画、考察、洞察、推理、修正、比較、検討、選択、決定、決断、指示、感動、抑制etc.)の機能の発揮度を左右し、/下支えしている機能が、私たちが「前頭葉」の三本柱の機能と呼ぶ「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能なのです。それらの中でも、最も高度で複雑な機能であり、ナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」が継続される状況下で廃用性の機能低下により最も早い段階から機能が低下していくのが、「注意の分配力」という機能なのです(14689例の「脳機能データ」の解析結果)。米国精神医学会が策定した「アルツハイマー型認知症」の診断規定である「DSM-4」の規定内容は誤りなのです。権威が有る人達が集まって策定したものであろうと、世界中の認知症の専門家達の間にどれほどその考えが広まっていようと、その内容自体に重大な誤りがあるのです。その第一の要件で確認が要求されている『「記憶の障害」に起因したもの』という要件は、『「前頭葉」の機能障害に起因したもの』と変えるべきものであり、第二の要件で確認が要求されている『失語、失認、又は失行の症状』という要件は削除されるべきものなのです。第一の要件が重大な誤り(外観的な観測を基礎とした憶測に基づいただけのもの)でありながら、認知症の専門家達はそれを前提として犯人探しをしていて、記憶の障害をもたらしそうな要因だけに焦点が当てられている結果、アセチルコリン説や、アミロイドベータ説やタウ蛋白説や脳の萎縮説などの仮説が横行しているのです。第二の要件では、30点が満点のMMSEの得点が一桁にならないと発現が見られない極めて重度の症状の確認が要求されている為に、それよりも軽い段階の様々な症状が存在している(私たちの区分で言う小ボケ、中ボケの段階及び大ボケの段階の前半の症状)にも拘わらず、無視され続けてきているのです。小ボケ及び中ボケまでの段階で見つければ、「脳のリハビリ」の実践により治すことが出来るのです。治すことが出来なくなる「末期の段階」で見つけることに何の意味があるというのでしょうか。               

世界中の脳科学者の誰も、認知症の研究者の誰も、未だに気づいていないのですが、「注意の分配力」の機能は、私たち人間だけに特有な世界である『意識的な世界創出し、構築し、統括し、支配し、管理し、コントロールしている機能であり、或いは、自分が置かれている状況の理解や判断、更には、為すべき「テーマ」を発想したり、実行すべき内容を計画したり、実行の手順を組み立てたりする上で不可欠の機能なのです。上述した「前頭葉」の個別認知機能(理解、判断、計画、考察、修正、検討、決定、決断、指示、感動etc.)、就中、(発想、企画、洞察、推理、比較、選択、抑制)の機能の発揮には、「前頭葉」の三本柱の機能、就中、この「注意の分配力」の機能の働きとその働き具合が重要で必要不可欠となるということなのです。

意欲注意の集中力の高度な機能レベルを有する哺乳類に属する動物は数多いのですけど、「注意の分配力」の機能までもが高度に備わっている動物は、私たち人間だけなのです。この「注意の分配力」の極めて高度な機能レベルを獲得したが故に、私たち人間だけが文明を起こし、ここまで高度な文化を構築することが出来た最大の原動力(理由)なのです。人間だけに特有なものとは言わないまでも、その機能の発揮レベルは、他の動物(チンパンジーやイルカ、或いは、カラス等)とは比較にならない異次元極めて高度なものなのです。この「注意の分配力」の機能こそが、「アルツハイマー型認知症」の早期診断による回復にとっても、発病自体の予防にとっても、必要不可欠の機能なのです。「前頭葉」の三本柱の機能、就中、「注意の分配力」の機能の廃用性の機能低下という「テーマ」に気が付かない限り、「アルツハイマー型認知症」の発病のメカニズム及び症状が重症化するメカニズムを解明することは出来ない相談なのです。先日も某テレビ局が、アミロイドベータ説に則った説を紹介する講師を登場させ、「アルツハイマー型認知症」の予防についての解説番組が組まれていたのですが、内容の余りの支離滅裂さに愕然とするしかなかったのです。

 

注意の分配力」の機能は、最近では、脳科学者や認知症の専門家達がデュアル・タスクという言い方で説明している機能(運動しながら掛け算をするなどの作業、異なった二つの作業テーマを同時に並行して実行する事が脳の活性化に寄与するとして奨励されている)でもあるのです。ところが、「注意の分配力」の機能というのは、デュアル・タスク等に代表されるような簡単な機能ではないのです。意識が十分に覚醒された意識状態下では、「注意の分配力」の機能の働きとその働き具合により、様々な内容で、程度も態様も種類も異なる、極めて多数の「テーマ」に注意が分配されていて、個別に/及び又は同時に並行して、更には重層的に、意識的な処理が行われているのです(無意識の下での処理が行われているというのは誤解であり、全体及び/又は個別の対象に対し向けられた意識の覚醒度、即ち、私たちが言う「意識度」が異なっている為に、処理すべき対象により、機器が有する能力ではその存在を検知することが出来ない程度のものが、多数、且つ、同時に存在し、並行処理されていることが知られていないだけなのです)。更に注意を喚起すべき物として問題提起しておくと、『極めて多数の「テーマ」に注意が分配されていて、個別に/及び/又は同時に並行して、更には重層的に、「意識的な処理」が行われているその状態の下で、意識の「核心となる対象」自体が、時々刻々と変化していく、交代させられていく』ということなのです。「注意の分配力」の機能が同時に並行して、創出し、統括し、支配し、管理し、処理している個別のテーマ毎に、状況によっては、数十を数える異なったテーマが、同時に、意識的に処理され、或いは、コントロールされていて、然も、注意が最も多く配分される対象である「核心となるテーマ」が場合により(状況の判断の変化により、興味や知覚の対象の変化により、或いは、何等かの動機に基づく発想により)、時々刻々と変化し、交代させられていくのです。加えて言うと、核心となるものの対象が時々刻々と変化している状況の下で、全体をカバーするテーマ(意識が覚醒された状態下での/全体としての意識対象となる枠組み)は維持され続けてもいる。それが、意欲及び注意の集中力の機能の発揮の度合いと連動する機能構造の下で、『注意の分配力』の機能が、統括し、支配し、管理し、コントロールしている世界、私たち人間だけが獲得した「意識的な世界」なのです。私たちが日常的に体験している状況、例えば、車を運転している状況を例に考えてみれば、分かり易いでしょう(「車の運転」という事例での、分かり易く具体的な説明については、ここを「クリック」して下さい)。私たちが日常的に体験している世界を観察してみれば、それらは、決して無意識下に処理が行われているものなのではなくて(『助手席の友達との会話に夢中になっていて、ふと気づいたら、今日行くべき道ではなくて、何時も買い物で行き慣れている道に入ってしまっていた』という体験は、皆さんも覚えが、あると思うのです。生き慣れた道に入る為にハンドルを切った行為は、無意識による行為ではなくて、意識的な行為、自由な選択に基づいた行為なのです。「注意の分配力」の配分が主に会話に集中していて、道の選択に配分された量が極めて少量であったが為に、そのことに対する意識度が低かっただけのこと)、それら個別のテーマに分配されている「注意の分配力」の機能発揮上での機能差(注意の分配量の配分差に基づいた意識の覚醒度の差異及び/又は意識度の差)が存在しているが故に、或るテーマの処理は意識下であるかの如き関係領域での血流の変化(或いは、脳波の変化)なるものを検知することとなり、別の様々なテーマは、検知されることがないままに、無意識の仕業であると誤解されているだけのことなのです。所謂、「閾下プライミングの技法」による実験結果に対する推理は、誤解に基づいた独善的な結論というしかないのです。若くして認知神経科学の世界的な研究者と評判のフランス人研究者であるスタニスラス・ドアンヌ(Stanislas Dehaene)が得意げに発表した書籍である『意識と脳』の関連する部分の記述内容もまた、憶測と推理の山。

 彼がその書籍の中で例示的に取り上げ説明に利用している、チェスを題材に反論を試みることにしましょう。チェスのグランドマスターは、盤面を一目見さえすれば、自動的にそれを有意味ないくつかの構成要素に分けて解析することで駒の配置を評価し、最適の手を繰り出すことが出来るとし、その処理の源泉は、無意識的な視覚の力であると記述しているのです(「無意識」が、様々に変化する不特定の状況下に提起される不特定のテーマをきちんと処理することが出来るという、観測に基づいた独善的な結論付け)。変化する相手の駒組に対して、実行すべき最適の駒組は、彼が、過去の体験(実践体験及び知識としての習得体験)を基礎として最適の手順及び駒組であるとして整理し、『記憶の倉庫』に記憶し保存してあるものを、相手の手順及び駒組に対して比較、検討、シミュレーションし、さらなる強手を発想した上での選択に基づいた最適の手順及び駒組なのであり、その過程自体が「注意の分配力」の機能の配分の度合いが小さいことに起因したものであるが故に、意識の覚醒度/意識度が低くて、使用されている機器の検知能力が不足しているが為に、実際には存在していた「意識の働き具合」を検知できなかったというだけのことであって、無意識下の行為(無意識的な視覚の仕業)と考えるのは重大な誤解というしかないのです。その時相手が指した駒組が「記憶の倉庫に蓄積された」対象の中に有るものであれば、(一定の機能に機能特化した特定のニューロン群によりコード化され、モデュール化され、且つ、ネットワーク化されているであろう)種々のパターンの駒組の中から行われる最適な選択には、「注意の分配力」の機能の配分がそれだけ小さなもので済むのに対し、新機軸で/見かけたことがない駒組が指された場合には、それに対する最適の駒組を「記憶の倉庫に蓄積された」対象の中に有るものと比較し、検討し、選択する/見つからない場合には、新機軸の指し手を発想するに際して、「注意の分配力」の機能を配分する必要度及び必要量が増す結果、意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能の全ての機能が極限までに高度に発揮される反映として「意識の覚醒度/意識度」が高まり、機器が意識的な行為であると検知し易いだけのことだと、私たちは考えるのです。機器により検知できないものは全てが「無意識の仕業である」と考える独善的な誤謬に過ぎないのです。大雪で立ち往生している車列の状況を伝える発言の内容の脳波は計測できても、発言する僅か前に先行して為されている発言内容を構成する為の脳の働き(意識的な仕業)に関わる脳波は、現在の検知器の能力では把握されていないだけなのです。 

 モデュール化され、パターン化されているもの、或いは、それに近いものに対して行われる選択は、比較容易であるというだけのものであって、それらに対する『選択』は、あくまで「意識的な所業」なのでり、『無意識選択がなされている訳ではない』と考えるのです。私たちの意識的な行為、就中、意識的な選択は、私達が自我を構築し、確立させていくことにより獲得した自己独自の評価の物差し』(自分独自の、対象及び状況に対する捉え方、見方、感じ方、考え方、やり方)に従い自由意思に基づいて行われている意識的な所業なのです(ここを「クリック」して下さい)。実験方法の不備に気付かないで、無意識が意識に優越しているとか/無意識が意識を支配しているとか、独善的で短絡的な結論を振り回さないで頂きたいのです。                         

ディープラーニングの機能を更に高度化させた人工知能がどこまで発達し高度化されようと、人工知能で種々の所業が行われるロボットと人間とは根本的に違うのです。ロボットによる選択は、モデュール化された態様、モデュール化された選択肢からの選択でしかなく、人間のような自由意思に基づいた発想とか/場合によっては自由意思に基づいた誤った選択というものは、あり得ないのです。その意味で、『無意識の仕業としての自由意思に基づいた選択』は有り得ないし、「注意の分配力」の機能の働き具合の程度及び態様に対する知見が少ない、知識が浅薄である人達が、上述の誤った結論を導き出しているのではないかと考えるのです。

今日のこのブログ記事を書くに際して、「感動」をテーマにすること及びその全体の流れの構成をどのようにするかを決めたら(注意の分配力の機能を使って、全体をシミュレーションし、特定の流れと構成を選択したら)、後は、ただ打ち出すように筆が進むのです。この場合、感動という今日の「テーマ」の保持とテーマに沿った全体としての流れの中で、個々の文章の内容が形成され打ち出されていくことになるのです。個々の文章を形成し打ち出していく作業工程(A)は、当然のことながら意識的な作業である訳なのですが、今日のテーマに沿っているか(B)並びに全体の流れに沿っているか(C)の確認作業も意識的な作業として同時に並行して行われているのです。注意の分配量の差異が、意識の覚醒度の差異となって表れてきていると私たちは考えるのです。Aの作業に対する注意の分配力配分が多くて意識の集中度が高い結果として意識度が高い為に、意識の自覚有り、B及びCの作業に対する注意の分配力配分が少くて意識の集中度が低い結果として意識度が低い為に意識の自覚無いだけのことと考えるのです。機器を活用した検出の視点から言うと、Aの作業時は、脳波の検出(血流の測定)が容易であり、B及びCの作業時は、脳波の検出(血流の測定)が比較困難となるというだけのことではないでしょうか。

意識」とは、自己(自己の世界)と他者(他者の世界)を区別し、識別できる脳機能であり、「前頭葉」の核心的な機能を言うものであって、「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能から構成される「前頭葉」の三本柱の機能並びに判断、理解、企画、計画、洞察、推理、シミュレーション、修正、決断、抑制、感動等から構成される「前頭葉」の個別認知機能「評価の物差し」の機能及び「記憶の倉庫」の機能により構成されていて、「前頭前野」という部位に局在し、機能の発揮面で連結され統合された脳の機能の総合体(ネットワーク)を言うものと私たちは定義しているのです。然も、「意識」なるものは、世の中の哲学者や心理学者や脳科学者達が言うような『意識と無意識』という観念的な世界のものではなくて、『意識状態とその覚醒度』(クオリアと称される意識の質感が連動している)という具体的で動態的なものであり、「前頭葉」という脳機能、就中、「注意の分配力」の機能を核心とした「前頭葉」の三本柱の機能とアナログ情報の処理に機能特化した右脳の作用の産物であると考えるのです。「前頭葉」の三本柱の機能の発揮度が高まるにつれて、そのことに連動して( 反映する形で)意識状態の覚醒度が高まり及び意識の質感が増すという相関関係が構築されているのです。興味や関心が高い対象となる事象についての質感の高陽を感じることを皆さん日常的に体験済みだと思うのです。私たち人間だけに特有な世界である意識的な世界を創出し、構築し、統括し、支配し、コントロールしている脳機能である「前頭葉」の機能、就中、その核心をなす機能である「注意の分配力」という極めて重要な機能についてさえも、未だに誰も分かっていないのです。覚醒された「意識」(意識状態)は、有るか(1)無いか(0)ではなくて、「前頭葉」の三本柱の働きにより、就中、「注意の分配力」の働きにより、異なった対象及び内容(程度及び態様の差異を含む)毎に、時系列の関わりの中で、創出され、構築され、統括され、支配され、管理され、コントロールされているのです。全体を包括する/個々に特定された意識として形成され、保持され、維持され、変化し、消滅し、復活してくるのです。サルなどの動物実験では、到底はかり知ることが出来ない、極めて複雑で、重層的で、輻輳していて、それでいながら統括されてもいるのです。たとえ人間の生きた脳を使おうとも、働きの因果関係については、はかり知ることはできないのです。何故なら、文字や言葉での表現が同じテストテーマを提示しようとも、その捉え方、理解の仕方、実行の仕方は、個別に内容が異なるその人独自の評価の物差し」及び「記憶の倉庫」の働きを介して行われることになるからなのです。更には、テスト実施時の「前頭葉」の三本柱の機能(「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配」の機能)の発揮の度合いもまた、テストの実施者ごとに異なっていることを知るべきなのです。

  

情動」だけに突き動かされて生きればいい動物と人間を区分けるのが「意識」という脳機能なのです。人間の場合は、大脳辺縁系に属する扁桃体による情動により無意識的に突き動かされるのではなくて、情動抑制して、選択的に実行する世界である「意識的」な世界、置かれている状況を「判断」し、状況判断に沿った「テーマ」を「発想」し、「テーマ」の実行内容を計画し、実行の手順を組み立てて、実行に移す意識的な世界を創出し、構築し、支配し、管理し、コントロールしている人間だけに特有な脳機能である「前頭葉」と言う機能が備わっているのです。その意識的な世界Homunculus(ホムンクルスの小人)、それが、「意識」という脳機能だと考えるのです。意識」は、脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」と言う脳機能の中で最上位に属する脳機能であり、意識というか「意識状態」を量子論者の観点から記述すると、私たちが「前頭葉」の三本柱の機能と名付ける意欲注意の集中力及び注意の分配力の機能の発揮の度合いが基盤に在って及び同時にアナログ情報の処理に特化した機能である右脳が結びつくことにより、所謂、意識の質感、論者が言う「クオリア』(感覚意識体験)を創出させ、変化させていると考えるのです。前頭前野」こそ、意識を創出し、構築し、統括し、支配し、コントロールしている部位、「意識の座」であると私たちは考えるのです。

評価の物差し』及び『記憶の倉庫』という自分に独自の機能を右目と左目を覆う眼鏡に備え付けていて、「注意の分配力」の機能を核心とした「前頭葉」の三本柱の機能を手足にして、「前頭葉」の個別認知機能を縦横に使いこなす脳機能、それが意識という脳機能であり、『意識』という脳機能が鎮座している部位、謂わば『意識の座』と言うか、それが『前頭前野』であると言うのが、私たち独自の「仮説」なのです。チンパンジーやサルどころか、マウスを使って、「アルツハイマー型認知症」の発病の原因を解明しようとする等、解明する上で不可避のテーマである『私達人間の意識的な世界』には全くのこと目が向けられていないのが、医学会の現状なのです。目を向けている、直視し、正面から対峙し、研究しているのは、世界広しと雖も、現状では、私たちだけなのです。『ローマに通じるのは、この道だけ』なのに! 

      

〇 あなたへの提言

ところで、「アルツハイマー型認知症」の発病、最初の段階である「小ボケ」の段階の症状として発現するまでに、そこまで、「前頭葉」の機能が衰えてきたその直接の原因はというと、権威ある人達(機関)、認知症の専門家とされる人達が提唱している「仮説」の類であるアミロイドベータの蓄積(老人斑)でもなければ、タウタンパクの蓄積(神経原線維変化)でもなければ、脳の萎縮でもないのです。生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない単調な日々の暮らし方、ナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」の継続に起因した廃用性の機能低下こそが真犯人なのです(分かってしまえば、『コロンブスの卵』)。

分かりやすく言うと、使い方が足りないということが発病の原因なのです。左脳が主管する「仕事」とは無縁になる「第二の人生」という日々の生活の中で、『前頭葉」の出番が少なすぎる生活の継続』が発病の直接の原因ということなのです。「前頭葉」の使い方、言い換えると、「前頭葉」の三本柱の機能の使い方、更に的を絞れば、『「注意の分配力」の機能の「使い方が足りない』ということなのだから、解決策は、それらの機能を/その機能をしっかりと使ってやるということに尽きるのです。三頭立ての馬車とはいえ、「左脳」という馬の出番が極端に少なくなる「第二の人生」で、どうすることが、右脳と運動の脳を駆使して、趣味や遊びや人付き合い、或いは、地域興し等のテーマをどのように取り込むことが、あなたの「前頭葉」をしっかりと使うことになるのか、よく考えてみて欲しいのです。それが、今日の「テーマ」なのです(やっと、本題に入れた!!)。

その具体的な解決策を述べる前に、皆さんに、注意を喚起しておきたいことが有るのです。それは何かと言うと、「アルツハイマー型認知症」研究の権威者とか言いながら、憶測や推測に基づいただけの内容を、権威だけに頼って主張し、誤った情報を発信している人達が多いので、そのことに注意が必要ということなのです。カレーを食するのが予防に効くとか、葉酸(ビタミンM)を摂取するのが予防に効くとか、ココアを飲んだり、赤ワインを飲むのがいいとか、地中海料理を食するのがいいとか因果関係の確認もなされていないで、権威に任せて彼等が流した情報の受け売り、風評や風説の類のことなのです。或いは、『足し算や引き算などの簡単な計算に取り組んだり、平仮名で書かれたおとぎ話を音読する生活習慣が、「アルツハイマー型認知症」の発病を予防したり、治したりするのに効果的』だと主張している機関は、その因果関係について確たる証拠を提出すべきだと考えるのです。その為には、大勢の仲間たちと一緒にするのではなくて実施環境を厳重に制限し管理して、『一人だけで、朝、昼、夜と毎日一定の時間実施する』こととし、『データを収集するその期間中は、趣味や遊びや人付き合いを遮断させて』実施していただきたいのです。何故なら、私たちが「二段階方式」の手技を活用して集積した14689例に上る脳機能データの解析結果は、脳の使い方としての生活習慣の影響が、アルツハイマー型認知症」の発病、症状の進行及び症状からの回復に大きく影響することを示しているのです大勢の仲間達と一緒に上記のテーマを実施している環境下では、実施前後での仲間達との談笑や触れ合いの場脳機能の改善や低下の抑制に大きく影響するものだからなのです(症状の継続期間と「脳の老化のスピード差』に関わるデータの解析結果の概説については、ここを「クリック」して下さい)。

「前頭葉」の機能レベルを精緻に判定出来る「かなひろいテスト」でさえも、実施環境における、テスターと被検査者との間の感情の交流の濃淡がテスト結果に反映される経験則から、念の為に注意を喚起しておきたいと考えるのです。指導者一人につき僅かな数での被検査者とすることや、テスト結果を大げさにほめて見せたり被検査者との会話の場を増やすなどの行為や環境は、効果の判定上は、絶対に避けるべきものなのです。テスト自体の効果というのではなくて、テスト実施時(実施前後)の環境の影響面からの効果を排除できないからなのですマタマタ余談はさておき、本題に戻って、話を進めることにしましょう。

アルツハイマー型認知症」は、器質的な病変が存在していなくて、「記憶障害」に起因して症状が発現してくるわけのものでもなくて、それでいて、私たちが意識的に何かの「テーマ」を発想実行しようとする際に、社会生活面に支障が出てくるようになり(私たちの区分でいう、「小ボケ」の段階。「脳のリハビリ」により治すことが容易)、次いで家庭生活面に支障が出てくるようになり(私たちの区分でいう、「中ボケ」の段階。「脳のリハビリ」により治すことが未だ可能)、最後にセルフケアの面にも支障が出てきて日常生活面での「介護」が必要となる(私たちの区分でいう、「大ボケ」の段階。「脳のリハビリ」により治すことは最早困難となるのです。そこまで症状が進んでくると、中ボケの段階に引き戻すことさえも原則的には困難となり、身体がもつ限り、言い換えると、老衰を含む他の何らかの病気が原因で死を迎えることになるその時までも、「大ボケ」の枠の中で、症状がさらに重くなっていくことになる)認知症なのです。

アルツハイマー型認知症」の専門家(権威)と称していながら、彼等のうちの誰一人として、「小ボケ」及び「中ボケ」の段階がある、三段階に区分されることさえも知らないで、見つけても意味がない世界、『末期の段階である「大ボケ」の段階の症状だけが、「アルツハイマー型認知症」の症状であると誤解していて』、更には、『「アルツハイマー型認知症」は、治すことが出来ないし、発病自体を予防することも出来ない』とする『発病及び症状重症化のメカニズムを知らないで、誤解に基づいた、「誤った情報」を世の中に発信し続けている』のです。世界的には「通説の地位」にあるとはいうものの、発病の原因として主張されている内容自体が誤った内容の「仮説」である「アミロイドベータ説』の牙城である東京大学、京都大学、理化学研究所に所属していて、「アルツハイマー型認知症」の研究業務に従事している研究者達は、その社会的な責任を自覚すべきなのです。何時まで、マウス(アルツハイマーマウスを含む)を追いかけ続けようとも、「前頭葉」という脳機能を備えていない「マウス」(アルツハイマーマウスを含む)の行動をどれ程ひつこく追跡し、どれほど子細に観察し、詳細に分析しようとも、確たる成果を得ることは、絶対に出来ないことなのですから。

 

 「アルツハイマー型認知症」というタイプの認知症は、「前頭葉」を含む脳全体の機能が、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない日々の暮らし方ナイナイ尽くし単調な生活習慣」が継続する状況の下で、そのことに直接起因して廃用性の加速度的で異常な機能低下を進行させていくことが発病の原因なのであり、その結果として、認知症の症状が発現してきて、更には、症状が重症化していくことにもなるのです(三段階に区分される症状が特徴)。

上述の加速度的で異常な廃用性の機能低下の進行に起因して「前頭葉」を含む脳全体としての機能レベルのアウトプットそれ自体が、「アルツハイマー型認知症」の三段階に区分される症状として発現してくる構造にかんがみ、脳全体が正常な機能レベルにある限りは、「アルツハイマー型認知症」の症状が発現してくることはないということなのです。加えて、『最初に発現してくる症状である「小ボケ」の段階の症状が、「前頭葉」だけの機能低下に起因したものである』ということは、『「前頭葉」の機能が正常な機能レベルを維持している状態にある限り、「アルツハイマー型認知症」の症状が発現してくることは無い』ということなのです。すなわち、「前頭葉」の機能が正常なレベルを保っている限りは、言い換えると、その大本となる脳の使い方としての「生活習慣」を保っている限りは、「アルツハイマー型認知症」を発病することにはならないということなのです。『脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」が活性化する「生活習慣」の構築と実践とその維持が、「アルツハイマー型認知症」の発病を予防する』ことになるのです。発病を予防する「生活習慣」となっているかどうか/その生活習慣を維持することが出来ているかどうかを検証する簡便な一つの指標は、『仕事とは無縁の「第二の人生」を送っている日々の生活の中で、「感動」することが出来る「テーマ」を持っているかどうか、どの程度に「感動」する瞬間を体験出来ているか』なのです(「アルツハイマー型認知症」の発病を予防する為の「五ヶ条』については、ここを「クリック」して下さい。                   

 本著作物「Cー03」に掲載され、記載され、表現された内容に係る著作権は、

(有)エイジングライフ研究所に帰属しています。 

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  脳機能から見た認知症(具体例をベースとしたもう一つのブログです)


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