米大リーグを代表する左腕投手のランディ・ジョンソンが5日、電話会議を通じて現役引退を表明した。
昨季はサンフランシスコ・ジャイアンツ(ナ西地区)でプレーし、6月にメジャー24人目の通算300勝をマークしたが、昨年7月5日のアストロズ戦で肩を痛めて8勝6敗、防御率4・88に終わり、オフにフリーエージェント(FA)になっていた。
ジョンソンは1988年にエクスポズで大リーグに昇格し、マリナーズ、アストロズ、ダイヤモンドバックス、ヤンキースなどでプレー。22シーズンで通算303勝166敗、防御率3・29を記録した。通算4875奪三振はノーラン・ライアン(引退)の5714個に次ぎ、大リーグ歴代2位。
2001年にはダイヤモンドバックスでヤンキース相手に大車輪の活躍で、同僚のカート・シリングとの2枚看板で世界一に輝き、ワールドシリーズのMVPを受賞。サイ・ヤング賞(最優秀投手賞)は5度獲得。オールスターには10度も選出され、ノーヒットノーランを2度も達成した。
ジョンソンの投球の特徴は、160キロ超の直球と大きく曲がるスライダーを武器としている。エクスポズ(現・ナショナルズ)時代は制球難だったが、マリナーズに移籍し腕の位置を下げてスリークォーター気味の角度から投げることで制球が安定してから大投手への道を歩み始めた。
マリナーズでは背番号「51」を背負い、アストロズに移籍してからは一時空き番になっていたがイチローがその後「51」を背負うことになった。
ジョンソンは日米野球の一員としても来日し、日本代表相手に投げたが日本は歯が立たなかった。彼の投球を生で(球場)観る機会が無かった(TV中継だけ)のは残念だった。
彼の投球を観たくてDバックス在籍時にアメリカのサンフランシスコまで(ビジター球場)追いかけていった管理人ですが、残念ながらその時はカート・シリングが先発でした。
ランディ・ジョンソンのコメント:
「長い野球人生を過ごせた。今が辞め時。わたしの決断に揺るぎはない。自分はまだ投げられると信じている。闘争心だってある。先発投手として起用するチームもあるだろう。しかし自分が自分の体に求めるものはとても高い。(晩年は故障に苦しみ)シーズンが終わってほっとした。自分と家族のためにも健康でいたいと思った」
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