Peace Waveの平和な日々~行く雲、流れる水のように~

気が向いたら、ボチボチ更新しようかと・・。(笑)

素数の謎

2009年11月17日 | サイエンス

先日、NHK「魔性の難問~リーマン予想・天才たちの闘い~という番組がやっていた。

”魔性の難問”とは、サブタイトルにあるリーマン予想と呼ばれるものだ。

 

今からちょうど150年前、ドイツの数学者、ベルンハルト・リーマンが提唱し、それを証明するコトは人類史上、最大の数学の難問といわれ、今までに数々の数学者たちが挑んでは敗れ去っていった。

それは、”天才”と呼ばれる数学者の精神さえ打ち砕くもので、アカデミー賞を受賞した「ビュ-ティフル・マインド」という映画のモデルにもなったジョン・ナッシュ博士においては、このリーマン予想の証明に挑むコトで、統合失調症という精神の病に犯され、その後30年以上もこの病のために苦しんだほどだという・・。

 

さて、そのリーマン予想とは「素数」に関するナゾを解き明かすカギを握っているといわれている。

素数とは、1と自分自身でしか割り切れない2、3、5、7、11・・という数字で、「数の原子」ともいわれている。

一見、きまぐれで不規則にならぶ素数の背後にある法則性、その”ならびのイミ”を見出そうとするのがリーマン予想で、これが証明できれば、宇宙を支配する物理法則をも解き明かせるのではないか?・・と、今、注目されているのだそうだ。

 

このランダムに現れる素数が、宇宙の究極の美ともいえる「円」をあらわす円周率πと関連するというのをはじめに見出したのは、リーマンより100年前の数学者、レオンホルト・オイラーである。

そして、問題のリーマン予想とは、

「ゼータ関数の非自明なゼロ点は、すべて一直線上にあるはずである」

・・というものだ。

 

・・・・。

 

ゼータ・・?

ガンダム・・?

 

―まったく何のコトやらであるが、数式を書いても、さらによくわからないので省略する。

 

とにかく、このリーマン予想における「ゼータ関数」の数式が、オイラーが円周率との関連を見出した数式とそっくりなのであるが、このゼータ関数をグラフに表し、グラフの高さがゼロになる「ゼロ点」がどこに現れるのかをリーマンは調べようとした。

無秩序でバラバラな数列にしか見えない素数であるから、当然、ゼロ点もバラバラに現れると予想された。

 

しかし、実際にリーマンがまず4つ、ゼロ点の位置を求めたトコロ、すべて一直線上に現れたのである!!

これは、あきらかに素数のならびに何らかの法則性、秩序があるコトをイミするのではないか?・・と考えたリーマンが立てた予想が、「すべてのゼロ点は一直線上にあるのではないか?」

・・というコトなのである。 

これを証明しようとすれば、直線上以外にゼロ点が存在する可能性を完全につぶしてしまわなければならない

 

この難問に数多くの数学者たちが挑み、人生を狂わせ、精神を崩壊させ、いつしか、リーマン予想を証明しようとする挑戦は”神の領域”に踏み込む試みとされ、神の怒りにふれるとタブー視されるようになり、数学界から忘れ去られていったかに見えた。

 

しかし、再びこのリーマン予想が注目を集めるコトになる1つの出会いがあった!

つづきはまた・・。

 


パロディいろいろ

2009年11月16日 | (笑)のツボ

パロディTシャツシリーズ。

 

まあまあ、これはわかる。

「PUMA」のパロディよね。

プーマにかけてパーマ・・まあ、ベタだけどわかりやすい・・。

 

クーマ

・・・・。

 

まあ、これはよしとしよう・・。

しかし、問題は次・・。

 

 

・・・・。(笑)

 

こうなるともう原型とどめてねーだろ・・?

 


龍名に恥じず

2009年11月15日 | 人生覚書き

「世の人は われをなにとも いはばいへ

       わがなすことは われのみぞ知る」   

                        坂本龍馬   

 

「志士」 ―この言葉には心躍る響きがある。 

戦国時代や幕末の動乱の時代に輩出した人物を見ると、日本も捨てたものではないなと、少し誇らしい思いになる。

特に「現代」につながる近代、明治維新期に活躍した青年たちは大きな志をもち、時代を切り開いた、まさしく「志士」と呼ぶにふさわしい傑出した人物揃いである。

 

その中でも、おそらく筆頭にあげられるのが、この坂本龍馬である。

自分も大好きで、個人的には歴史上の人物中、1、2を争うほど思い入れもある。

 

土佐勤王党を結成した盟友・武市瑞山は、「藩」という枠にとらわれた当時にあって、脱藩した龍馬を「土佐一国にはあだたぬ奴」と称え、「肝胆もとより雄大、奇機おのずから湧出し、 飛潜だれか識るあらん、ひとえに龍名に恥じず」と評した。

あの西郷隆盛をして「天下に有志あり、余多く之と交わる。然れども度量の大、龍馬に如くもの、未だかつて之を見ず。龍馬の度量や到底測るべからず」と言わしめたほど。       

「過激なることは豪も無し。かつ声高に事を論ずる様のこともなく、至極おとなしき人なり。容貌を一見すれば豪気に見受けらるるも、万事温和に事を処する人なり。但し胆力が極めて大なり」 という三吉慎蔵の評がよく龍馬のひととなりをあらわしている。

ユーモアがあり、器が大きく、飄々としたイメージ。

龍馬の故郷、土佐の桂浜からのぞむ太平洋のように、広大で、すべてを包み込む海のような包容力がある・・。

 

来年の大河ドラマ、「龍馬伝」は今から楽しみ。

福山雅治が主演だが、個人的にはちょっとイメージ違うかなあ・・。

誰がやるのか?・・とゆーコトでいろいろ話題にもなったが、その中で名前のあがったTOKIO長瀬智也なんかは面白そうだなと思った。

「新選組!」で龍馬を演じた江口洋介もなかなかハマっていた。

さすがに武田鉄矢はもう年だしね・・。

 

・・ちょっと話がそれたが、とにかく、龍馬は筆まめで新しい物好きなので、残されている書簡類や写真も群を抜き、エピソードも数多く残されていて、どこまでが本当なのか、疑わしいものもある。

しかし、そこがまた龍馬の人気の高さを物語っている。

 

「日本をいま一度せんたくいたし申し候事にいたすべくとの神願にて候」

―そう手紙に綴ったごとく、「薩長同盟」「大政奉還」といった偉業を陰から支え、維新のトビラを開いた。

これらは「藩」や「国」という枠にとらわれず、世界を見据えたその先見性と、怨讐を愛する大きな”愛”があったればこそ可能だった。

 

今日は龍馬の命日。

この世に生を受けたのと同じ日に天にかえった。

 

享年33歳。

 

天翔ける龍の如く、時代を駆け抜けた英雄・・。

 

―なんて書くと、そんなたいそうなもんじゃないと、あの世で頭を掻いていそーな、そんな龍馬の姿が目に浮かぶようだ。

 

 

 

 

 


「じょうたん」て、知ってます?

2009年11月14日 | 最近、思うコト

「じょうたん」とゆー言葉を聞いたコトがあるだろうか?

最近TVのバラエティなどでよく見かける「ギザカワユス」とかゆーあれではない。

 

「じょうたん」―漢字で書くと「情短」で、正式名称「情緒障害児短期治療施設」の略で、児童福祉施設の一種である。

 

虐待や育児放棄の疑いがある場合、児童相談所がその家庭の調査を行なう。

そして、そのまま放っておくと子どもに危険が及ぶ可能性が高く、家族を分離するのが望ましい・・となった場合、子どもは主に次の4つの場所のいずれかで暮らすことになる。

「里親」「児童養護施設」「児童自立支援施設」、そして、とりわけ心に深い傷を負った子どもたちが暮らすのが「情緒障害児短期治療施設」、すなわち「情短」なのだ。

情短は原則として18歳まで入所でき、児童精神科医や心理セラピストといった医療の専門スタッフと、子どもたちの生活全般を支える児童指導員がチームを組んで心のケアにあたり、子どもたちが社会で安定した生活が送れるよう治療を行なう。

心を閉ざしてしまったり、暴力が抑えられないなど、情緒に重い混乱をきたした子どもたちが、人と普通に関係が結べるようになるコトを目指し、共同生活を送りながら治療を受ける施設で、現在全国に33ヵ所あるという。

 

入所しているのは、虐待や育児放棄をくりかえす親元から保護された子どもたちがほとんどだ。

実は自分も先日やってたNHKの特集ではじめて知ったものだ。http://diamond.jp/series/tsuiseki/10008/

 

自閉症ADHD Attention Deficit / Hyperactivity Disorder 注意欠陥・多動性障害)LD(Learning Disorders,Learning Disabilities 学習障害)不登校という、この4つが特別支援教育における主な対象であるが、情短では定期的に医師の診察やセラピストの面接があり、24時間体制でスタッフが親代わりとなって、真剣に子どもたちと向き合う姿が番組では取り上げられていた。

 

今や、暴力や育児放棄といった「虐待」によって子どもの命が奪われる痛ましい事件が激増している。

虐待の中味は殴る、蹴る、物を投げる、タバコの火を押しつける・・といったものから食事を与えない、言葉の暴力、性的暴行・・と、実にさまざまなケースがある。

それも、本来自分を守り、保護してくれるはずの、他ならぬ我が親からの虐待によってである。

これぞ、人間不信の極致である。

 

虐待を受けてきた子どもの中には、自らの自然治癒力では心の傷を乗り越えられないため、治療を必要とするケースが存在する。

 

ある子どもは夜になると、親が自分をほったらかして夜遊びに出て行った不安な記憶がよみがえり、怖くて眠れずに夜ごと暴れだし、徘徊する。

ある子どもはちょっと手があったったコトに切れて、 相手を殴りつけ、首を絞める。

またある子どもは父の再婚後、継母から虐待を受け、弟が生まれてから「お父さんはあんたのお父さんじゃなくて、弟のお父さん!」と言われたコトが殴られたコトより深い心の傷となり、「反応性愛着障害」と診断された。

その子は自分が必要ない存在と心を閉ざしてしまい、1番情が近いスタッフが他の子と話しているのを見るだけで切れて、暴力をふるってしまう・・。

 

親からされたコトを、そのまましてしまうのだ。

これは程度の差こそあれ、誰しも同じであろう。

 

本来、もっとも心安らぐ安全な場であるはずの家庭が、今や命の危険にさらされる戦場と化し、子どもたちを不安と恐怖と暴力へと駆り立てる。

何より”自分”という存在の根拠である親から受ける虐待は、「自分は必要ない存在なんだ」という大きな心の傷となって、自殺やリストカット、あるいは自分という存在を誇示するための殺人へとつながっていく。

秋葉原での無差別殺人事件など、その典型であろう。

 

国力強化のためには人口増加が不可欠である。

出産の支援や子どもの教育など、国が政策として力を注ぐのはよく分かる。

しかし、今、「家庭の再建」こそ、急務ではなかろうか?

このまま崩壊した家庭を放置すれば、心に傷をもち、まともに人間関係が築けないで育つ子どもたちが増えるコトは間違いない。

そんな日本の未来が明るいはずはない。

 

そうした中、あろうコトか、ただでさえ崩壊している家庭を、わざわざ、さらに解体する方向に導く「夫婦別姓」導入を議論するなど、愚の骨頂であろう。

 

それこそ、”冗談”ではない、だ。(いや、マジで・・

 

 


リーダーに願われる3要素

2009年11月13日 | システム

信頼性(trust)

当たり前のコトだが、信頼されないリーダーでは誰も従わない。

見本・手本となり、自らが部下を信頼し、支援するリーダー。(カテゴリー/システム:「自律型人間を育てる3つのポイント」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/17f67b324faffa65e61a094861a40c3e

「信頼されているコト」は、リーダーとして最も必要な要素といえよう。

さらにくわしく言うと、信頼されるには以下の3つが不可欠である。

それは・・

 ①正直さ(honest)・・ウソつきは信頼されない。言葉に行動が伴っているコト。         

 ②私心のなさ(unselfish)・・自己中心的でなく、公正・公平なコト。

 ③忠誠心(loyalty)・・所属する会社や組織のみならず、地域や国、世界・・と、

               より大きく公的なものを先立たせる精神。       

情熱(passion)

情熱―もっと端的に言うと、やる気があるかないか?

情熱、熱意は部下にも伝染する。

しかし、情熱だけでも空回りしてしまう。

その前に信頼するに足る人格を備えなければならない。

だから、はじめに信頼性となる。

 

実力と実績(ability & achievement)

実力と実績の前には、誰もが従わざるを得ない。

しかし、いくら実力や実績があっても、人間的には尊敬できない人もいる。

常に「謙虚さ」を忘れず、絶えず自分自身を修練し、人格を磨いていく姿勢、そうした「私心のなさ」に人は心から屈服する。

信頼するに足る人格こそ、何よりの実力と実績といえよう。 

 

常に「為に生きる」指導者、奉仕するリーダーを目指して頑張ろー!! 

道は遠い・・。 


カメムシ大量発生!?

2009年11月10日 | 最近、思うコト

先日、何やら虫が我が家に飛び込んできて、カン!コン!とあちこちに体をぶつけて止まった。

こんな季節にカナブンかな~・・と思ったが、よく見るとカメムシであった。

体長約2cmはある、なかなか巨大なものだ。

 

広島は山があるからか、結構カメムシを見かける気がする。

このブログでも記事にしたコトがある。(カテゴりー/最近思うコト:「カメムシの産卵」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/a203f9f8703df8b75d35737ed938dbbb

 

また、カメムシがよく出る年は寒くなるとも言われているようだ。(カテゴりー/最近思うコト:「カメムシのよく出る年は・・」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/de11f9a9ce40f900362fb686dc6f54d2

 

最近、ラジオ(もちろんRCC)の番組でカメムシの特集(!)が組まれており、今年は大量発生か!?・・というコトで、いろいろな情報が寄せられていた。

あたたかいトコロに移動して越冬する習性があるので、山中では部屋のタンスの隙間やカーテンなどに密集しているコトが多いらしく、外でフトンなどを干すとエラいコトになるので室内で干す・・とゆー人も多いようだ。

 

例年より多いとゆーか、年々巨大化してるんじゃないかという情報も・・。

地球温暖化の影響だろうーか?

何らかの影響を生態系に及ぼしてる可能性は否めない・・。

 

面白いなー・・と思ったのは、ペットボトルの底を切ったものをカメムシに近づけると、勝手にその中にコロンと落ちてくれるのだとか!

自分も検証したワケではないので、真偽のほどはわからないが、山の方に住んでててカメムシでお困りの方はぜひ、試して欲しい。

 

他にもフマキラーの研究所の研究員とかも出てきて、「カメムシのくさい臭いはいくら洗ってもとれない!」とか、いきなり絶望的な情報を公開したりしていた。

もちろん、今後の研究如何によってはカメムシの臭いを消す薬剤とか、開発されるかもしれないが・・。

 

ちなみにカメムシは殺虫剤だと刺激されてくさいガスを出すので「瞬間凍殺ジェット」とかゆー、瞬間的に凍らせてしまう殺虫剤がオススメだとか・・。

ムカデのような、なかなか殺虫剤でも死なない虫でも、凍らせて動きを封じ込めるコトが出来るので、効果抜群らしい。

 

別にフマキラーの回し者じゃないんだけどね・・。


自分の中のパラダイム・シフト

2009年11月09日 | 最近、思うコト

まったく盛り上がらなかった県知事選も、昨日、さくっとおわり、新しい広島県知事が誕生した。

前任の知事も4期くらい?・・相当長く務めたそうだが、顔も知らないくらい。

 

まさしく”顔の見えない県政”・・。

 

ウチの前の公園の木々も色づき、葉も落ち、秋が深まってゆくのを感じる。

最近めっきり寒くなり、

さざんか、さざんか咲いた道~

・・と、灯油を売る車が、おなじみの曲をかけながら近所を走って行く。

季節の変わり目だ。

 

季節も移ろいゆくように、自分の心も時々刻々と変化していく。

 

「過去と他人は変えられない!未来と自分は変えられる!」

 

・・よく聞く言葉ではある。

最近、自分のブログでも書いた。(カテゴリー/人生覚書き:「自律型人間を育てる3つのポイント」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/17f67b324faffa65e61a094861a40c3e

 

わかっちゃいるけど、相手に求めてしまったり、 他人のせいにしてしまったり・・。

特に夫婦間のような密接な関係であるほど、そーゆー傾向があるのかもしれない。

 

「他人は変えられない」=「コントロールできない」とゆーコトだ。

 

最近、ある人のブログで、

 

「パートナーをコントロールできない、ということ。

それは何を意味しているでしょう?

パートナーを不快にすることもできない。

幸せにすることもできない。

それはパートナー自身にしかできない。

これは新しい考えです。」

http://www.option.org/media.php?mediatype=video&mediaid=3&part=0 

・・とゆー文章があった。

確かにこれは新しい考え方だ。

 

自分の中で、何かが変わるような感覚。

目からウロコ・・パラダイム・シフトとでも言おうか・・?

 

「自分が変わらなきゃ」という思いが、「自分が相手をしあわせにしなきゃ」・・という考え方になって、いつしかそれに縛られていなかったかな・・?

それはあるイミ、傲慢とゆーものだろう。

 

「自分をしあわせに出来るのは自分だけ」

 

確かに、そうなのかもしれない。

 

・・まあ、その思いも、一過性のものかもしれないが・・。

 

悟っては捨て、悟っては捨て・・人生は一生、勉強ですな・・。


パラダイム・シフト

2009年11月06日 | サイエンス

フロギストン理論(カテゴリー/サイエンス:「フロギストン理論」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/f8c12b5f5143f121208404176d94c0ab)で見たように、「理論が事実を作る」という科学観を提唱したのはアメリカの科学史研究家、トーマス・クーンである。

 

それまでの科学観は、自然現象を客観的に観察するコトで、

データの蓄積→帰納→仮説→演繹→確証(or反証→データの蓄積→帰納→仮説・・)

・・という仮説演繹法による「客観的なデータ(事実)に基づく理論の確立」というものであったので、「理論が事実を作る」というクーンの主張は、従来の科学観と真っ向から対立するものであった。

 

歴史家であるクーンは、仮説演繹法において、反証が再びサイクルに取り込まれて、新たな仮説を生み出した事例が科学史にはなく、フロギストン理論に代表されるように、反証をかえって確証にしてしまっていた事実を発見したのである。

すなわち、”反証可能性をもつ”理論は科学史上、1つもなかったというコトであり、瓦解しはじめた仮説演繹法に一応の収拾をつけたポパーの反証主義が正しければ、それまでの科学理論は、すべて非科学的であったという結論になってしまうのである。(カテゴリー/サイエンス:「占いは非科学的?」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/1be3bd1da2c55a8b665bab652effa41b

 

クーンは「一般的に認められた科学的業績で、一時期の間、専門家に対して問い方や答え方のモデルを与えるもの」と定義した「パラダイム」という概念を新たに提唱し、科学者たちは偏見がなく、客観的に自然を観察しているのではなく、その時代、暗黙のうちに前提となっている考え方や常識、すなわちパラダイムがあり、その枠組みに則って自然を観察している・・というのである。

 

そして、仮説演繹法に変わる新たなプロセスを

パラダイム→通常科学→変則事例→危機→新しいパラダイム

・・とした。 

 

「通常科学」とは、そうした思考の枠組みであるパラダイムに則って営む研究活動、「変則事例」とは通常科学では説明できない現象で、仮説演繹法の中の反証にあたる。

ポパーによれば、ただ1つの反証が挙げられれば理論は否定されるが、科学史にそのような事例はなく、変則事例や反証例に直面しても科学者はパラダイムを放棄せず、そのパラダイム内で解決すべき「問題」として認識し、なんとか整合性をもたせようと理論を調整してきた。

それでもどうしようもない場合には、一時、その事例について、取り扱うコトを保留してきたのである。

 

しかし、そうした変則事例が多くなると、ついにはパラダイムの「危機」が訪れ、「新しいパラダイム」が必要になる。

これが、パラダイム・シフトである。

 

今やこの言葉は随分普及して、さまざまな分野でも聞かれるようになった。

クーンのパラダイム論によれば、時代が変わり、人々の考え方が変わる度に新しいパラダイムが生まれ、その社会の構成員である科学者も、そのパラダイムに基づいて科学理論を生み出し、その理論によって「事実」も作られるというのである。 

今まで、いかなる偏見や主観からも自由だと思われてきた科学理論も、パラダイムという人間の偏見や主観、常識という思考の枠組みによって規定されていたコトになる。

 

科学とは決して客観的なものではなく、その時代時代の思想、パラダイムという思考の枠組みの影響を受ける、きわめて”人間的な”学問なのである。