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御頭祭=イサク献祭?

2010年04月21日 | 都市伝説・ミステリー

御頭祭(おんとうさい)とは、毎年4月15日に行われるお祭りのコトで、別名「酉の祭り」、「大御立座神事」(おおみたてまししんじ)、「大立増之御頭」といわれる諏訪大社の上社における最も重要な神事だという。

 

伊勢神宮御師の家に生まれた江戸中期の国学者にして紀行家、民俗学者の菅江真澄『信濃の旅 すわの海』の中で以下のように紹介している。

 

・・前宮という所に、十間間口の直会殿(なおらいでん)がある。そこにはなんと鹿の頭が七十五、真名板の上に並べられていた。

その中に、耳の裂けた鹿がある。この鹿は神様が矛で獲ったものだという。

上下(かみしも)にいずまいを正した男が二人、動物の肉を真名板にのせて持って登場する。その足どりやいでたちなど古いしきたりがあるのだろう。

弓、矢を持ち鎧を着、剣は根曲といってつかの下で曲がったものをさしている。・・(中略)・・やがて篠の束の縄をほどき、篠をばらばらにしてその上に敷き、花を供える。長殿はそのままじっとしている。そのとき長さは五尺余り、幅は5寸ほどで、先のとがった柱を押し立てる。これを御杖(おつえ)とも御贄柱(おにえばしら)ともいうが、どうであろうか。・・(中略)・・御神(おんこう)といって八歳ぐらいの子どもが、紅の着物を着て、この御柱にその手を添えさせられ、柱ごと人々が力を合わせて、かの竹の筵(むしろ)の上に押し上げて置いた。

長殿からは、四人目の下位の神官であろうか山吹色の袂(たもと)の神官が、木綿襷(ゆうだすき)をかけて待つ。そこへ上下を着た男が、藤刀というものを、小さな錦の袋から取り出し、抜き放って長殿に渡す。

長殿がこの刀を受け取り、山吹色の衣を着た神官に渡す。その藤刀を柱の上に置く。また、長い縄を渡す。・・(中略)・・例の神の子どもたちを、桑の木の皮をより合わせた縄でしばり上げる。その縄でしばるとき、人々はただ「まず。まず。」と声をかける。・・(中略)・・そして、長殿の前庭で、先の桑の木の皮でしばられていた子ども達が解き放され、祭りは終わった。(『菅江真澄の信濃の旅 信濃古典読み物叢書6』)http://www22.ocn.ne.jp/~kuroneko/onto-sai.htm

 

今では神饌として供えられる御頭は、3頭の雄鹿の頭部の剥製になっており、他に雉、魚の作り物と五穀、野菜類などが供物として飾られるというが、この神事、簡単にいうと、少年が御贄柱に縄で縛られ、神官が小刀で切りつけようとすると「まず。まず。(ちょっと待て)」と、それを止め、少年が解放される・・というストーリーになっている。

鹿は少年の代わりに生贄となり、その首が神殿に捧げられたというワケだ。

 

ユダヤ教ラビでもあり、”失われた十部族”についての著作も多いマービン・トケイヤーは、タナフ(ユダヤ教の聖典=旧約聖書)にある「イサク献祭」の伝承が諏訪大社の祭りになっていると指摘。

その記述はベレシートという創世記にあたる箇所にある。

 

神は言われた、「あなたの子、あなたの愛するひとり子イサクをつれてモリヤも地に行き、わたしが示す山で彼を燔祭としてささげなさい」。(創世記22:2)

彼らが神の示された場所にきたとき、アブラハムはそこに祭壇を築き、たきぎを並べ、その子イサクを縛って祭壇のたきぎの上に載せた。そしてアブラハムが手を差し伸べ、刃物を執ってその子を殺そうとした時、主の使いが天から彼を呼んで言った、「アブラハムよ、アブラハムよ」。彼は答えた、「はい、ここにおります」。み使いが言った、「わらべに手をかけてはならない。また何も彼にしてはならない。あなたの子、あなたのひとり子さえ、わたしのために惜しまないので、あなたが神を恐れる者であることをわたしは今知った」。この時アブラハムが目をあげて見ると、うしろに、角をやぶに掛けている一頭の雄羊がいた。アブラハムは行ってその雄羊を捕え、それをその子のかわりに燔祭としてささげた。(創世記22:9~13)

 

この御頭祭、”ミサグチの祭り”という別名があり、その起源は古く、縄文時代から3000年続くとも、もっと長い歴史があるとも言われているそうだ。

「ミサクチ」とはヘブライ語「ミ・イツハク」と読め、「イサクに由来する祭り」とゆーイミになるという。

(カテゴリー/都市伝説・ミステリー:「ミサグチとは・・?」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/48d9ea143a5cf63d463899128adf8fc8

 

日本では羊がいなかったため、シカが供物とされているが、神が矛で獲ったという耳の裂けたシカは、やぶに角をとられた雄羊をイメージしたものではないか?・・とも。

この「耳裂け鹿」諏訪大社七不思議の1つに数えられ、昔から生贄に捧げられるシカの中に、耳が裂けたシカが必ず1匹は混じっていたのだという。

 

そして、何より興味深いのは、アブラハムがイサク献祭をしたのがモリヤ山という山なのだが、諏訪大社の御神体である裏山の名は、守屋山なのである。

 

なにしろ、信仰の祖であるアブラハムが、ひとり子・イサクを捧げた地である。

そして、このイサクこそ、後に”勝利した”というイミの「イスラエル」という名を神から賜り、イスラエル民族の基となったヤコブの父親にあたる。 

当然、この”モリヤ”というのは、ユダヤ人なら誰しもピンと来る名前なのだ。

イスラエルの駐日大使が就任すると、必ずこの地を訪れるというのは、そうした理由からなのかもしれない。

 

実際、今から約2700年前に、アッシリア捕囚の民となって以来、歴史から忽然と消えてしまったイスラエルの”失われた十部族”を調査し、世界に離散しているユダヤ民族の末裔をイスラエルに帰還させるための特務機関、アミシャブもこの地を訪れている。

 

はるか昔、ユダヤ人が日本に渡来し、イサク献祭の伝承を祭りとして伝えたのが、諏訪大社であり、この御頭祭だったのではないか・・?

―そうした推察に至ったとしても、全く突拍子もないコトだとは言い切れない共通性を誰しも感じるであろう。

 

ちなみに諏訪大社の祭りを司る神長官は守矢氏といい、現在七十八代目であるという。

(カテゴリー/歴史・民俗:「御柱祭」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/2ff44e4baa1724ec0bdfecd52baaff04

だいたい4代で120年くらいはさかのぼる。

1代30年として単純計算すると、78代だと、78×30=2340で、約2300年くらい前になる。

 

2700年前、アッシリアからユーラシア大陸を横断し、海を渡って日本にたどり着いた時間・・と考えると、妙に符合するように思えるのだが・・。

 

 

 

 

 

 


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