『亡国のイージス』や『終戦のローレライ』で知られる小説家、福井晴敏による小説のアニメ化作品であるが、今や年商数十億円という巨大市場のガンプラ、当然、プラモデルなどの商品化や映像化を前提に、小説の連載と同時進行で企画されてきた。
UC(ユニコーン)には主人公が乗る一角獣を思わせる、1本角の純白のモビルスーツ、RX-0と宇宙世紀(Universal Century:U.C.)の両方のイミがあるとか・・。
「機動戦士ガンダム」の富野由悠季監督の大ファンで、自他共に認めるガンダム・マニアの福井は、映画化されるようなヒット作も世に送り出し、ようやく、これでガンダムを書く資格を得た・・と、「俺がやらねば誰がやる!」との意気込みで本作の執筆に臨んだという・・。
劇場版「逆襲のシャア」から3年後の宇宙世紀0096年が舞台で、ファーストガンダムからZ、ZZ、そして約30年後のF91まで繋がる描写や、ストーリー自体も、宇宙世紀全体を包括するような壮大なものとなっている。
「ガンダムとは何か?」との問いに、福井は自身の中では、その答えは明確だとし、以下のごとく述べている。
いわく―
「観る者に向上を促すもの。」
「観客におもねず、咀嚼を要求し、現実を現実と受け止めるだけでは見えない未来を垣間見せようとするもの。」
「作り込んだ世界観で現実逃避の場を設けるのではなく、現実の苛酷さと正面から向き合い、変化してゆく人間の可能性を描くもの。」
「フィクションに癒しを求める昨今の風潮からすれば、おそらく対極に位置する厳しさと、厳しさから生まれるやさしさを伝えるもの―。」
―ガンダムとは本来、そのようなものではなかったか・・?
常にヒットを要求され、今のアニメの主流が”萌え”なら、敵も味方も美形キャラの目白押し、プラモが売れるなら、もはや兵器(モビルスーツ)とも呼べない、スーパーロボットが空を飛びまくる・・。
売れるコトを前提に作られた、ガンダムの名を有する、多くのガンダムとは非なる作品を、ただ否定するのではなく、作り手の贖罪として、今いちど作品テーマに沿った形で語り直された作品―それがUCだと・・。
「バブル崩壊後、不況のどん底で生きるのを当たり前にしてきた我々は、目先の数字を追いかけるあまり、事の本質を見過ごしてビジネスの効率化を推し進めすぎた嫌いがある。
結果、より洗練された商品を得意客に効率よく届けるシステムは発達したが、不特定多数を相手にした間口の広い商いとなると、途端に中身の薄いお粥のようなものしか作れなくなってしまった。
ファーストガンダムはお粥ではなかった。」
プラモを売る為の、マニアに向けた(もちろん、そのニーズにも応えつつ・・)だけの作品ではなく、苛酷な環境の中、戦い、迷い、葛藤しながらも成長していく少年と、人間の可能性を描く・・という、普遍的なテーマを扱った、誰にでも楽しめる作品にする!
ガンダムがもつメッセージへの原点回帰!
―こうした作り手の熱い想い、ガンダムへの愛が結実した作品こそ、UCなのである。
1968年生まれの福井は、少年時代、ガンプラ・ブームの中で育ってきた、まったくの同世代で、ファーストガンダムに最も思い入れの強い我々世代には、”ド真ん中”な作品ではなかろうか?
ガンダムで育った世代が作った、ガンダムの魂を継ぐ作品!
現在、小説は既に完結しており、3巻まで映像化されているが、観れば、作り手の熱さがヒシヒシと伝わってくる。
「これぞ、ガンダム!」と、30代以上の世代で大人気だというが、納得である・・。
ぜひ、ガンダムを見て育った世代の1人として、ガンダム・サーガの”ひとつ”の締め括りを、今後も見届けたいものだ。