Peace Waveの平和な日々~行く雲、流れる水のように~

気が向いたら、ボチボチ更新しようかと・・。(笑)

クールな頭脳、熱いハート

2010年09月06日 | 人生覚書き

 

以前、小惑星探査機「はやぶさ」について記事にした。

(カテゴリー/サイエンス:小惑星探査機「はやぶさ」帰還参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/8c82f2ce2389f63b5e501127ffe5fdee

その感動的な帰還の裏で、実は、そのプロジェクト・チームが崩壊の危機にあったコトは、あまり知られていない。

 

「はやぶさ」は2005年12月8日通信途絶

つまり、この広大な宇宙空間の中で、どこにいるのか、生きているのか死んでいるのかもわからない状態になってしまった。

プロジェクト・チームのメンバーも、管制室に来てもやるコトがなく、皆の心が離れていき、プロジェクト自体の打ち切りも囁かれるようになっていった。

 

プロジェクトを率いたJAXA川口惇一郎教授は、「はやぶさ」の5年前、1998年に打ち上げた火星探査機「のぞみ」の飛行計画担当者で、その際、火星を目前にして、電源の故障によるプロジェクトの打ち切りを経験していた。 

「あの時、チームとして「のぞみ」を救える手段が、まだ残っていたのではないか? 

―何度も自問をくり返し、後で、何かしら方法があったと思えるものも実際にはあり、あきらめるのは簡単だが、絶対に後悔はしたくない!・・という、過去の失敗から学んだ教訓があった。

 

そして、既にプロジェクトから離れつつあったメンバーの心をつなぎとめる方法として、「はやぶさ」が見つかる可能性を、具体的にメンバーに示すコトが必要と考えた。 

 

行方不明の「はやぶさ」は姿勢制御が出来ず、バランスを失いながら、太陽の周りを回っていると考えられ、それならば、太陽電池パネルが太陽の方向を向き、電力を回復するコトがあるはず。

さらにその時、アンテナが地球に向く瞬間と重なれば、「はやぶさ」と通信できるチャンスが出来、それを逃さず地球から電波を送れば、必ず応答がある!

 

―そう考えた川口教授は、考えうる限りの「はやぶさ」の動きを計算し、たとえ一瞬でも通信が可能になる確率をはじき出した。

確率論的に、何ヶ月後に復旧する可能性は何%・・というトコロまでデータを出した結果、1年間、ひたすら待ち続ければ、可能性は60%まで高まるコトが判明!

「チャンスは6割!これを生かすも殺すも我々次第だ」と、メンバーを集めて訴えた。

 

そこから、チームの総力をあげた「はやぶさ」の捜索がはじまった。

同じ周波数でなければ通信は出来ないが、一たん、電源が落ちた「はやぶさ」は周波数の設定が狂ってしまう為、あらゆる周波数にむけて、1日中、同じ指令を送り続けた。

「はやぶさ、応答せよ!」

「はやぶさ、応答せよ!」

・・・。

 

それは、気の遠くなるような根気のいる作業であったが、宇宙には様々な電波が飛び交っている為、「はやぶさ」から戻ってくる電波をキャッチするコトは、さらに至難であった。

それを見落とさないよう、すべての電波をひたすらチェックする日々が続いた。

 

そんな必死の捜索が続けられる中、川口はある場所を訪れていた。

 

それは、東京の下町にある、飛行機で旅をする人たちが安全を祈願する飛不動

 

JAXAの管制室の、コンピューターのディスプレイが並ぶ中、「無事帰還」「研究成就」の文字が書かれた飛不動のお守りが飾られた。 

いつもクールで、理詰めの川口らしからぬ行動に、さらにチームの結束は強くなったという。

 

通信が途絶え、「はやぶさ」が行方不明になってから47日、突如、その時はやって来た。

 

2006年1月23日、通信復旧!

 

しかし、その後もトラブルの連続であった。

既に自力での姿勢制御が不可能だった為、太陽光の圧力を利用したり、行方不明になってる間に、当初、4年の計画が7年になり、イオンエンジンの寿命が来て、搭載している4つのエンジンすべてがストップしてしまった。

 

イオンエンジンは、プラスのイオンがマイナスの電子に引き寄せられ、その推進力を得るという仕組み。

プラスのイオンとマイナスの電子を作る2つの部分が働いて、はじめてエンジンとして機能する。

壊れたエンジンの中には、そのどちらかが機能するというものがあり、それを組み合わせて1つのエンジンとして使うというアイデアが出された。

 

いつの間にか、メンバー皆が考え、アイデアを出す、結束力のある、生きたチームが出来ていた。

 

帰還の途につくコトが出来た「はやぶさ」は、サンプルを採取したカプセルを無事、地上に届ける為、大気圏で燃え尽きてしまう運命にあった。 

そんな「はやぶさ」にプロジェクト・チームは最後の任務を与えていた。

 

 

それは、地球の姿を撮影するコト。

最後に、生まれ故郷を「はやぶさ」に見せてやりたい・・と、チームの皆で、直前に決めたコトだったという。

上の写真が最後の1枚。

 

プロジェクト・チーム崩壊の危機にも、緻密な論理でチームを引っ張り、飛不動に無事の帰還を祈願するという川口の熱い姿に、チームは1つになった。

 

クールな頭脳と熱いハート、どちらもなくてはリーダーたりえない。

 

そして、それを支えたのは、最後まで可能性を追求する「絶対にあきらめない心」であったコトは言うまでもない・・。