Peace Waveの平和な日々~行く雲、流れる水のように~

気が向いたら、ボチボチ更新しようかと・・。(笑)

吾唯足知

2010年09月10日 | 人生覚書き

水のない枯山水の石庭で有名な京都、龍安寺

その龍安寺にある茶室、蔵六庵の露地に「知足の蹲踞(つくばい)と呼ばれるものがある。

徳川光圀の寄進と言われているそうだが、一般に見るコトの出来るものは複製だという。

 

蹲踞は、茶室に入る前に、手や口を清めるための手水を張っておく石のコトで、上から右回りに「五・隹・疋・矢」の文字が見える。

一見、意味不明だが、水を溜めてある真ん中に位置する「口」の文字を足して読むと、それぞれ「吾・唯・足・知」となり、「吾唯足知」―「吾(われ)、唯(ただ)足るを知る」となる。

 

龍安寺の石庭の石は、全部で15個あるのだが、庭のどこから見ても、必ず1個は他の石に隠れて、一度に14個しか見るコトが出来ないよう設計されているという。

そのコトを不満に思わず、満足する心を持ちなさい・・という戒めだとも言われているそうだ。

 

「口」の字も足らないと言うより、1個あれば、仲良く分け合えばいい―この「知足の蹲踞」からは、なんだか、そんな思いも伺える。

 

人は、足りない部分に目は行くが、足りてるコトを思うコトは少ない。

病気になって、はじめて健康のありがたみを知るように、健康な時に、健康であるコトへの感謝の気持ちは、なかなか湧いてこないものだ。

 

日々、元気に生活できて、仕事もあり、贅沢は出来なくても、食うに困らず、雨風をしのぐ家もある。

傍らには愛する家族・・。

 

「吾、ただ足るを知る」

 

当たり前のコトは、当たり前ではない。

 

そう思える心は、とても大事だと思うのである・・。