苫米地英人の「残り97%の脳の使い方」という講演をまとめたCDを、友人から借りて聞いていたのだが、これがなかなか面白かったので、ちょっとご紹介・・。
その中に、いろいろなキーワードが出てくるが、スコトーマ(Scotoma)とは、その中の1つで、心理的な盲点のコト。
もともとギリシヤ語源の言葉だそうで、実際に見えなくなる眼科の目の病名らしいが、心理学的な用語として転用したもの。
慣れ親しんだ環境では、実際にそうしたスコトーマが出来て、見えてるつもりが、見えなくなってしまう・・というのだ。
たとえば、時計を買う時には、どれだけデザインにこだわったとしても、実際には、時計は普段、「時間を見るためのもの」で、時計のデザインを見ているワケではない。
だから、どんなデザインか?・・と聞かれて絵に描いたとしても、あれだけこだわったデザインも、すっかり忘れて、いろいろ見落としてしまっている・・。
つまり、何が重要か?・・という「重要度」によって、スコトーマが出来、人の意識から抜け落ちてしまうのだ。
当然、重要度が変われば、スコトーマの出来方も変わってくる。
自分にとって重要度が高いものに囲まれているのが、我々が普段、慣れ親しんでる世界・・とゆーコトになるが、重要度が高いもの以外は、スコトーマによって、ザルのようにさまざまな情報が抜け落ちた世界に住んでいる・・とゆーコトになるのである。
そうした慣れ親しんだ環境、自分にとって心地いい環境のコトをコンフォート・ゾーン(Comfort zone)という。
普段、60点をとってる人は、そこが心地いいので、90点をとってしまうと、何だか居心地が悪くなって、次は30点をとって、そこに留まろうとする。
1億円の宝くじが当たると、居心地が悪くてすぐ使ってしまう・・とゆーのも同じ。
また、自分の能力に対する自己評価のコトをエフィカシー(Efficasy)という。
タイガー・ウッズが、優勝争いをしていた相手が最後のパットをはずせば自分が優勝・・という場面で、「入れろ!」と思っていたという。
もし、「はずせ!」と思っていたとしたら、「ここで入れられたら、自分は勝てないかもしれない・・
」という気持ちのあらわれ・・とゆーワケだ。
この場面で、「入れろ!」と思えるのは、それだけ高いエフィカシーを保っている・・とゆーコト。
実際、タイガー・ウッズは、相手がはずして自分の優勝が決定した瞬間、非常に残念そうな顔をしていたそうだ。
「自分は世界一のゴルファーだ!」という高いエフィカシーが、彼の高いパフォーマンスの秘密なのである。
―すなわち、「自分の能力はこのくらいだ」・・という自分のイメージ、エフィカシーの高さがパフォーマンスのレベルを決めてしまう・・とゆーワケである。
人は、無意識のうちに、自分の心地いい場所―コンフォート・ゾーンに逃げ込んでしまう。
普段、「自分は60点くらいだな」・・という自己評価だと、スコトーマが出来、それ以上のパフォーマンスを発揮できなくなる。
しかし、高いエフィカシーを維持するコトで、コンフォート・ゾーンが引き上げられ、スコトーマが消える。
1段高いレベルからは、盲点がなくなって、いろいろ見えてくる・・とゆーワケである。
なので、よく現実的で、リアルに思い描ける夢ほど良い・・とゆー話もあるが、それでは現実の延長線上にすぎず、コンフォート・ゾーンが変わらないため、スコトーマが消えない。
だから、自分の夢、ゴールは抽象度が高いものであればあるほどいいそうだ。
「世界中の戦争と差別をなくすコト」
「アメリカ大統領になるコト」
―非常に抽象的で、ちょっとやそっとでは実現出来そうもない荒唐無稽なゴールであるが、それがスコトーマを外し、無意識のうちに、現実に実現する方法を探し出していく。
しかし、本当に心から「そうなりたい!」と思えるゴールでないとダメ・・とゆーのがミソ。
そうしたゴールは、別に自分が心の中で思っていればいーのであるが、もし、そんな夢を語れば、「そんなもん出来るワケない!
」「現実的に考えてムリ!
」・・などと言う人が、必ずいる。
そーゆー人のコトを、ドリーム・キラー(Dream killer)という・・。
残念ながら、親や教師がドリーム・キラーになっているケースが、ほとんどではないか・・?
本来、自分を高め、導いてくれるはずの存在であるにもかかわらず・・である。
高いエフィカシーを維持しようとしても、ドリーム・キラーに引きずりおろされ、「俺って、こんなもんなんかな・・?
」・・とスコトーマに埋もれ、潜在能力も発揮できない。
そこが自分のコンフォート・ゾーンだと思い、自ら留まっている・・。
―自分も含め、多くの人が、閉塞感にさいなまれながら、そうした現実の中に埋もれてしまってるのかもしれない・・。