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”自我”とは部分関数である

2011年12月24日 | 人生覚書き

”自我”とは部分関数である

―いきなり、何のこっちゃである・・。

 

前回、苫米地さんの講演のCDから、スコトーマを中心に、いくつかのキーワードを取り上げてまとめてみた。

(カテゴリー/人生覚書き:「スコトーマ」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/86adeec5e8d460c72b19b574f2f2aa95

今回もその続き。

 

部分関数とは「分ける関数」のコトで、たとえば、イーブン(偶数)という関数は自然数nを通ると、2、4、6、8、・・・と出力する。

つまり、偶数とは2、4、6、8・・とゆーコトである。

 

ここで、”人間”という概念を見てみる。

「人間とは何か?」

―という問いに対する答えが、「宇宙を入力して全ての”人間”を出力する部分関数」なのだそうだ。

これが”人間”という概念の定義である・・とのコト。

 

この場合、宇宙とは”全ての要素”というほどのイミであろう。

 

仮に、「人間」の部分を「太郎」さんに置き換えてみる。

宇宙を入力して、「太郎001」「太郎002」「太郎003」・・とゆーよーに、M78星雲にウルトラマン「タロウ」がいれば、それも含め、宇宙中のすべての「太郎」さんが出力される部分関数―それが「太郎」さんの定義である。

 

ここで、”自我”とは、自分を定義するもの。

”自我”という部分関数に、宇宙を入力すると、すべての自分の属性、自分を構成する要素が出力されるワケで、これが”自我”とは部分関数である」―とゆ-タイトルのイミなのである。

 

自分を構成するすべての要素―当然、これは自分にとって「重要度」が高い、慣れ親しんだものであり、それが”自我”を作り上げている。

何が重要かは、人それぞれ。

それが”自我”である、と・・。

 

逆にいうと、自分を構成するすべての要素を入力すると、逆関数として宇宙が出てくる。

 

存在の価値は、宇宙と等価である。

 

宇宙は、自分によって変わるのである。


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