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Peace Waveの平和な日々~行く雲、流れる水のように~

気が向いたら、ボチボチ更新しようかと・・。(笑)

別無工夫

2014年02月07日 | 人生覚書き

 

 別に工夫なし。放下すればすなわち是なり。

                            

                                   夢窓疎石

 

室町幕府を開いた足利尊氏に、直義という弟がいた。

直義は夢窓国師について禅を学んでいたが、戦乱の世の行く末や自らの生き方に不安を覚え、夢窓国師にすべてを投げ打って禅の修業に打ち込むべきか尋ねる。

 

その際の国師の答えがこれ。

 

「別に工夫なし。放下すればすなわち是なり」・・とは、何も心に構えたり、計らったりするコトはない。

構えや計らいを捨ててしまって、コトにあたればいい・・というほどのイミ。

 

あれこれ考えず、心を空っぽにして、一生懸命やるべきコトをやればそれでいい・・。

 

国師のこの言葉で直義は眼を開かれ、兄の尊氏を支えて、室町幕府の樹立に大きく貢献するコトになる。

 

 

『臨済録』「随所に主となれば、立処みな真なり」という言葉がある。 

どんな環境にあっても、自分というものをただ一生懸命に投入し、行動すれば、真理から離れるコトはない・・というイミ。 

それが、たとえ意に沿わない場所であったとしても、腐ったり、そこから逃れる算段などせず、その場その場で一生懸命やるコトこそ大切・・。

 

まさしく、「いま、ここ」・・という禅の神髄である。

 

今やってるコトはそっちのけで、いつも他のコトを考えている・・。

 

そんな空虚な日々の連続で、毎日が過ぎていく・・。

 

そんなコトで「いま、ここ」を生きていると言えるだろうか・・?

 

 

「別無工夫」

 

あれこれ考えず、ただ一心不乱、一生懸命に、「今、ここ」で生きるコトに没頭できればなぁ・・。


捨て身

2012年12月26日 | 人生覚書き

 

   「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」

 

おぼれている時は、もがけばもがくほど深みにはまる。

かえって流れに身を任せていれば、浅瀬に浮かぶコトが出来る・・。

 

ワラをも掴む・・と言われる、おぼれている者が、もがくコトをやめる―それは命を投げ出す決死の覚悟であろう。

 

「自分の命を得ている者はそれを失い、わたしのために自分の命を失っている者は、それを得るであろう。」(マタイ10:39)・・とは聖書の聖句である。

「死なんとする者は生きん」・・とゆーやつだ。

 

―自分の命を犠牲にするような”捨て身”の覚悟が自分を救う・・というのは逆説的ではあるが、洋の東西を問わない真理のようだ。

 

今、自分は、それを仕事を通して感じている。

 

「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」

 

クリスマスも大晦日も正月も仕事だが、まあ、忙しいのは、ありがたいコトだね・・。

 

こりゃあ、年賀状も書けそーにないなぁ・・。

 

ブログの年内更新もこれが最後か、な・・?

 

皆さん、よいお年を

 

 

 


気付きの力

2012年12月02日 | 人生覚書き

さあ、師走。

今年もあと1ヶ月か・・と、はたと気付く。

 

ちなみに、偶然の幸運に気付く力セレンディピティー(serendipity)というそうだ。

その語源は、『The Three Princes of Serendip』(『セレンディップの3人の王子』;セレンディップはセイロン=現スリランカ)という童話から、イギリスの政治家にして小説家、ホレス・ウォルポールが生み出した造語だそうで、その童話の主人公が探してもない宝を偶然に発見するトコロから転じて、そうしたイミになったそう。

 

「僥倖(ぎょうこう)」という言葉がある。

まさしく偶然の幸運、”こぼれざいわい”をイミする言葉である。

 

ことわざなら「棚からぼたもち」・・とゆーやつか?

 

しかし、我々がよくいう「たなぼた」はない・・と、以前いた職場の上司が言ってたコトがある。

棚からぼたもちが落ちてくるのをタイミングよく口にするには、ぼたもちが落ちそうな棚を見つけなければいけないし、落ちてくる瞬間を狙って、タイミングよく棚の下で口をあけて待ってなければいけない・・。

 

―要するに”偶然はない”・・とゆーコトである。

 

してみると、思いがけない幸運・・とゆーものが、そもそも”必然”であったワケで、偶然の幸運に気付く力とは、それが”必然”であると気付く力・・とゆーコトでもあろうか・・?

 

必然、すなわち、当たり前だと気付く・・って、何も気付いてないってコト・・?

 

ではなく、何もない状況でも、自分は幸運だと気付く力。

もしくは、たとえ不幸だと思えるような状況でも、幸運とは思えないとしても、そこに何かイミがあるんだと気付ける力・・。

 

もし、そーゆー力を人が培い、自分ものにしたとしたら、それ以上の幸福力はない・・と思うのである。

 

 

実際には、多くの人がそのコト―偶然の幸運=必然―に気付いていても、あるいは知的には理解していたとしても、実感として、本当に「自分はしあわせだ!」・・と感じるコトは、なかなかに大変なコトであろうが・・。

 

うーん・・自分も、まだまだ修行が足りんですな・・。


人の足を止めるもの、進めるもの

2012年10月30日 | 人生覚書き

 

  「人の足を止めるのは

      絶望ではなく”諦観(あきらめ)”、

    人の足を進めるのは

      希望ではなく”意志”」     

 

  ―ヒトは絶望するから足を止めるんじゃない。

    絶望から這い出ることを”諦め”てしまったから足を止めるんだ。

  ヒトは希望があるから前に進むんじゃない。

    希望を探そうという”意志”で前に進むんだ。 

                       by ママ・マリア

                           ( 『ARMS』 皆川亮二 )

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


人生とは・・

2012年04月27日 | 人生覚書き

Life is what happened to you while you're busy making other planes

人生とは、人生以外のことを夢中で考えているときにあるんだよ

 

ジョン・レノン「Beautiful boy」という曲中にある歌詞。

 

息子のコトを歌った曲だけに、リアルだ・・。

 

 



 

 


生き残るには・・

2012年04月23日 | 人生覚書き

 

 最も強い者が生き残るのではなく、
   最も賢い者が生き残るのでもない。

    唯一生き残るのは、変化できる者である。


                                  チャールズ・ダーウィン 

 

―「環境」と「自分」

変えられない環境なら、受け入れるしかない。

自分が変わるしかない。

どんなに他人や周囲の環境のせいにしても、そこに適応できなければ、消え去るのみ。 

自分に必要なのは、「受容」と「変化」・・。

 

環境を変えるより、自分が変わる方が簡単・・かな? 

 

まあ、自分が変わっていかなければ、生き残っていけないのは確かだ・・。