対話とモノローグ

        弁証法のゆくえ

ロドスは前座、薔薇が真打ち2。

2014-12-28 | 跳ぶのか、踊るのか。
 マルクスが、『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』や『資本論』で書いているHic Rhodus, hic salta!は、「ここがロドスだ、ここで跳べ!」ではなく、「ここに薔薇がある、ここで踊れ!」である。これが「跳ぶのか、踊るのか。 ―― ロドスはマルクスの薔薇」で提起している仮説である。

 この問題提起に着目してもらう一つのきっかけとして「ロドスは前座、薔薇が真打ち。」という記事を書いた。補足しておこう。

 ヘーゲルは、『法の哲学』の序文で、現実と理性の関係を説明するときに、ロドスと薔薇をの二つを取り上げている。初めにロドスを取り上げ、次にその言い替えとして薔薇を取り上げている。

    Hic Rhodus, hic saltus! (ここがロドスだ、ここで跳べ!)
    Hier ist die Rose, hier tanze! (ここに薔薇がある、ここで踊れ!)

 これまで『資本論』のHic Rhodus, hic salta!は、「ここがロドスだ、ここで跳べ!」と解釈されてきたため、ヘーゲルの箴言の二つの内、ロドスだけが着目され、薔薇がマルクスとの関係でほとんど注目されてこなかった。

 しかし、ヘーゲルの二つの箴言を『法の哲学』の序文に沿って読めば明らかのように、ヘーゲルが強調しているのは、ドイツ語で書いた薔薇の箴言の方である。

 それならば、マルクスがヘーゲルから引き継ぐものがあるとしたら、Hic Rhodus, hic saltus! (ここがロドスだ、ここで跳べ!)ではなく、Hier ist die Rose, hier tanze! (ここに薔薇がある、ここで踊れ!)ではないか。

 マルクスが Hier ist die Rose, hier tanze! (ここに薔薇がある、ここで踊れ!)を、Hic Rhodus, hic salta! (ここに薔薇がある、ここで踊れ!)と訳して継承した可能性は大いにあると思う。

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