対話とモノローグ

        弁証法のゆくえ

ニホニウム

2016-06-09 | 周期律
113番新元素は「ニホニウム(Nihonium)Nh」と命名された。予想は外れた。ジャポニウムJpではなかった。森田浩介九州大学教授など発見グループ内で「日本を意味するのはもちろん自国語の発音が入るようにしたい」という意見が出たのだという。たしかにJapanより良い。日本語で日本を意味する「二ホン」の発音から「ニホニウム」になったようだ。ところで日本語で日本を意味するのは「ニホン」だけでなく「ニッポン」もある。しかし、これは使えなかった。「ニッポニウム」は1910年代に43番元素(現在のテクネシウムTc)として提起されていた(小川正孝)。取り消された名前は使えないことに加えて、この元素記号のアルファベットはNpとなるが、これはすでに93番元素ネプチニウムNpとして存在する。
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門素と「門外」元素

2016-01-06 | 周期律
英語圏ではUranus(天王星)は人前では発音しにくいという。Uranusは urine(尿)とanus(肛門)の合成語のように聞こえるからである。呉智英はこのI・アシモフの指摘を紹介して、原語の語感を生かした「天王星」の訳語は、「天尿星」か「天肛星」がいいのではないかと述べている。(『言葉につける薬』)
二分されているのが惜しいと思う。urine(尿)とanus(肛門)の関連点を探してみよう。尿は内から外へ出ていくもの、肛門は内と外の境界である。あえて関連をいえば、内と外を区別する「門」ではなかろうか。それゆえ、原語の語感はだいぶ殺がれてしまうが、「天王星」は「天門星」がいいのではないだろうか。
惑星Uranus(天王星)に対応して名づけられた元素 Uranium,Uran(ウラン)の方はどうだろうか。anusがはっきりしない分だけ発音は気にならないだろう。その分、こちらの方が「門」が生きるのではないか。ウランを漢字で表記して「門素」としよう。自然に存在する「限界」に位置づいている元素ウラン、その意味も込めての「門素」である。そうなると93番以降の超ウラン元素は「門外」元素ということになる。
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元素の名前と記号

2016-01-04 | 周期律
理化学研究所は113番元素を2004年から3回作製していたという。こんどIUPAC(国際純正・応用化学連合)から発見者として認定され命名権を獲得した。元素の名前には興味深いものがある。最初の人工元素の2つ、93番ネプツニウムと94番プルトニウムが特におもしろい。
海王星と冥王星と
これに比べると95番元素アメリシウム以降の名前にわくわくするものはないように思える。
元素記号はアルファベット1文字か2文字(大文字と小文字)で表示されている。113番の元素の名前は「ジャポニウム」、元素記号は「Jp」になる可能性が高いと思う。現在114ある元素記号で使われていないアルファベットは「J」と「Q」である。113番でJを使ってもらいたい。また露米チームに命名権がある115,117,118番のどれかでQを使ってもらいたい。

アルファベットと元素記号

A  Al Ar As Ag Au At Ac Am   8
B  Be B Br Ba Bi Bh Bk  7
C  C Cl Ca Cr Co Cd Cu Cs Ce Cm Cf Cn   12
D  Db Ds Dy  3
E   Eu Er Es  3
F  F Fe Fr Fl Fm  5
G  Ga Ge Gd  3
H  H He Hg Hf Hs Ho  6
I  In I Ir  3
J
K  K Kr  2
L  Li La Lu Lr Lv  5
M  Mg Mn Mo Mt Md  5
N  N Ne Na Ni Nb Nd Np No  8
O  O Os  2
P  P Pd Pt Pb Po Pr Pm Pa Pu  9
Q
R  Rb Ru Rh Re Rn Ra Rf Rg  8
S  Si S Sc Se Sr Sn Sb Sm Sg  9
T  Ti Tc Te Ta Tl Tb Tm Th  8
U  U    1
V  V    1
W  W    1
X  Xe    1
Y  Y Yb   2
Z  Zn Zr   2
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周期律1922

2015-11-28 | 周期律
このブログの人気記事のべスト10が、それぞれの記事に表示されるようになっている。古い記事も表示されている。内容を忘れている記事もあって、読み直してみたりする。昨日、「周期律1913」が表示されていた。読んでみると面白いのである。

周期律1913

周期律の歴史は周期律と量子論を内的に捉えるべきである。ケプラーの法則がニュートン力学の母胎だったのと同じように、メンデレーエフの周期表はボーア原子論の母胎であったいうのが私の見解である。「周期律1913」は1913年におけるボーアの過渡的な理解を取り上げたものである。読みながら1922年の電子配置を示しておこうと思った。
1913年の電子配置は1つの量子数に基づいていた。1922年の電子配置は2つの量子数に基づいたものである。これも過渡的な理解である。電子の総数はあっているが、その配置は4・4であり、2・6ではない。6・6・6であり、2・6・10ではない。8・8・8・8であり、2・6・10・14ではない。電子の内的な順序構造は描き切れていない。

ボーア「原子の構造」(『化学の原典8元素の周期系』所収)

周期律の形成について
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周期表のなかの薔薇

2014-12-17 | 周期律
 ロジウム(Rhodium)。原子番号45、元素記号Rhである。
 ロジウムは1803年にイギリスのウオラストンによって発見された。白金鉱を王水に溶かして、白金やパラジウムを分離した残液は赤色を示す。この残液から得られた物質を還元して金属ロジウムを単離した。ロジウムはこの塩の水溶液がバラ色(ギリシャ語でrhodeos) であることに由来して名づけられた。(「元素111の新知識」桜井弘編)

 バラ色をギリシャ語でrhodeosというのは、ローマ字に転写した後の表記であって、もともとはροδεοςである。辞書には、「バラの、バラのような、バラ色の」とある。

 ρ(ロー)のローマ字転写は、語頭では「rh」、それ以外では「r」になる。ο(オミクロン)は「o」、δ(デルタ)は「d」、ε(エプシロン)は「e」、ς(シグマ)は「s」である。
 それゆえ、ροδεοςは、rhodeosとなる。
 同じように、
    薔薇ροδονは、 rhodon。 ν(ニュー)は「n」である。
    ロドスΡοδο ςは、Rhodos である。

 周期表のなかの薔薇(Rhodium)の発見は、私にとって、ウランーネプチニウムープルトニウム( Uranium - Neptunium - Plutonium )の並びの発見に匹敵する大発見である。

     周期律の形成について

 
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1872年?

2012-07-03 | 周期律

 『プルトニウム』(ジェレミー・ バーンシュタイン著、村岡 克紀訳、産業図書、2008年)を読んでいて、間違いをひとつ見つけた。

 本文に、次のようにあった。

 メンデレーエフ周期律表の第2版は1872年に刊行されましたが、これは現在のものに近くなっています。図1にそれを示していますが、これはメンデレーエフによってドイツ語で書かれた原版です。

 図1が違っていた。これは1869年の周期表ではないだろうか。

        1872
 
 

 『科学的発見のアナトミア―メンデレーエフの法則をめぐって』 (ケドロフ 著、大竹三郎訳、法政大学出版局/りぶらりあ選書、1973年) で確かめてみた。

 261ページに載っていた。図20「化学ペーシェンスの経過を記録した完全な元素表の下書き」である。1869年に周期律を発見した時の思考の軌跡である。これの解読図が、339ページにある。このなかのメモをみると、それはドイツ語ではなく、ロシア語である。

         Img033

 『プルトニウム』 の著者、訳者、編集者に気づかれなかった1869年。

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周期律1913

2012-06-27 | 周期律

 周期律は量子論によって把握できるようになった。これが周期律の歴史の通説である。間違ってはいないが、核心はつかまれていないと思う。物理の量子論と化学の周期律を外的に関連させるだけの展開をみると、違っているのではないかと思う。

 1913年から1925年の化学と物理の歴史を見てみると、この過程は周期律の形成過程でもあり、量子論の形成過程でもあって、二つの過程は並行している。

 わたしは1913年に提起されたボーア原子論によって周期律の形成過程は新たな段階に突入したと考えてきた。それは武谷三段階論の用語を使えば、実体論的段階から本質論的段階への移行と表現できるものである。ケプラーの惑星の法則がニュートン力学の母胎だったのと同じように、メンデレーエフの周期表は、ボーア原子論の母胎だったのである。

   周期律の形成について

 これまでボーアの電子配置については、1922年のものを知っていた。これは、2つの量子数(主量子数と方位量子数)に基づいて原子の内部電子群を描いたものである。それは「あらゆる細部まで」説明できたわけではなかったが、ボーアをして「たとえ、希土類元素の存在が直接の化学的研究によって確立されていなかったとしても、元素周期系の第6周期内にこのような性格の元素族の現れることは理論的に予言しえた、と申しても過言ではないかと思います」と言わしめたものである。
 
 こんど『周期表ー成り立ちと思索ー』(エリック シェリー著、馬淵・冨田・古川・菅野訳、朝倉書店、2009年)を読んでいて、ボーアが1913年に提起した原子の電子配置の表を知った。混沌としているように見えた。しかしそれは本質論的段階の始まりにふさわしい混沌であるように思えた。

 ボーアは電子配置を通して周期表を理解しようとした。そして電子を配置するさいに、次のように考えた。周期表で1つの元素から次の元素に移るとき、元素の違いを生じさせる電子は原則として内殻ではなく最外殻に入る。また、周期表で同族に属する元素は同じ外殻電子構造をもつ。

 このような構築原理で電子を配置していくが、1913年の電子配置は、1つの量子数だけに基づかざるをえなかった。量子数1つでは、各殻の最大電子数を決定できず、量子論は空転し、化学と分光学のデータに依存せざるえなかった。いいかえれば、ボーアは周期表を導きの糸にして、電子を配置している。

 1913年の電子配置は次のようなものである。

Img018_2

 エリック・シェリーの注釈を引用しておこう。

 ボーアがこれらの電子配置を生み出すにあたり、基本的に化学的考察に基づいて決めたことは、いくつかの元素の電子配置の決め方にはっきりと読み取ることができる。最外殻の電子の数は原子価に基づいて決められた。これらの電子は核に最も弱く結びついているので、たやすく他の原子と結合する。たとえば窒素の場合、ボーアは、窒素の原子価は3価なので最外殻の電子が3価になるように内殻電子の組み立てを変えた。このことは表7. 2によく現れている。ヘリウムから炭素までは内殻電子数は2個で、外殻電子数はいろいろの値をとるが、窒素になったとたんに内殻電子数が2倍の4個になる。窒素が3個の化学結合をつくるのに合わせて最外殻電子数を3個にしたことを理解しないと、なぜ内殻電子数を4個にしたかは奇妙にみえるだけである。

 実験的証拠に基づいてボーアは電子配置を変化させたが、なぜそのような配置の再配分が必要になったかについては、全然理論的理由づけを行わなかった。このような突然の配列の変化は、表7.2に示した24個の電子配置だけをとっても窒素やリンのところなど、何か所にもみられる。これら二つの元素の原子は原子価3をとる、一方、酸素と硫黄の原子価は2であるし、また、フッ素と塩素は1価であるので、ボーアの選んだ電子配置と一致している。量子論から原子モデルを厳密に導く代わりに、ボーアは分光学と化学的考察に加え直観にも頼っていたのである。

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海王星と冥王星と

2006-08-27 | 周期律

 海王星が、太陽から最も遠い惑星に戻った。冥王星が太陽系の惑星から除外されたからである。海王星と冥王星は、1970年代と結びつく。

 学生時代、武谷三段階論を方法にして、周期律の形成過程をまとめてみようと思った。メンデレーエフの周期表は、周期律の形成過程において実体論的段階にあり、ニュートン力学の形成過程におけるケプラーの三法則と同じ段階に位置する。これが、直観だった。

 エンゲルスは『自然弁証法』のなかで、メンデレーエフのエカアルミニウムの予言とル・ベリエの海王星の軌道の予測を対照していた。エンゲルスは、両者を同等の業績と評価していたのである。

 この対照に、疑問をもった。なぜなら、海王星の発見は、ニュートン力学の形成過程において、本質論的段階にあると位置づけられているのに対して、わたしの考えではメンデレーエフは実体論的段階にあったからである。エカアルミニウムがガリウムとして実現したことは、海王星の発見と対応するのではなく、ガリレイによって木星の衛星が望遠鏡の中に認められたことに対応すると思われたからである。

 周期律の本質論的段階を特徴づける元素、いいかえれば、天王星の軌道の乱れから未知の惑星の軌道を計算することに対応する元素は、エカ元素ではなく、違う元素でなければならなかったのである。

 はじめ(1970年代前半)は、このように考えていただけである。1970年代の後半になって、『化学の原典』シリーズ、『科学的発見のアナトミア』、『周期系の歴史』などを読んで、周期律の形成過程を、具体的に展開しようと考えた。

 『科学的発見のアナトミア』(ケドロフ著・大竹三郎訳 法政大学出版局)のなかに、次のような指摘をみつけ、問題が再燃したのである。

 はじめての人造元素、93番と94番は、ネプツニウム、プルトニウムと命名された〔1940年、マクミランとアベルソンが合成した〕。この名は、とくに、惑星の名にちなんでつけられた。太陽系における惑星は、天王星(ウラヌス)についで、海王星(ネプチューン)が発見され、さらにその遠くに冥王星(プルトー)が見つけられた。これと同じく周期系においても序列番号がウランのあとにつづく元素としてネプツニウムとプルトニウムが合成されたのである。

 海王星の発見と対応するのは、ガリウム(エカ元素)ではなく、ネプツニウムとプルトニウム(超ウラン元素)である。このように対応させれば、周期律の形成過程とニュートン力学の形成過程は正確に対応するものと考えたのである。

 1980年に「周期律の形成について」をいちおう完成させた。それから約10年後に「もうひとつのパスカルの原理」をまとめるとき、わたしは1970年代を振り返って、次のように述べている。

 一つの問題はその問題にみあう答えが見つかれば終わるものである。もしも見つからなかったら、バシュラールのことばを借りていえば「思考にとっての休息はない」のである。提出されたその瞬間に終わってしまう問題もあれば、長期間、一年、十年、百年の単位で答えが見つからない問題もあるだろう。私が自分の問題にひとまず終止符を打てそうに思えたのは、もちろん答えを見つけたと思ったときである。

 周期律の形成過程を武谷三段階論を方法として展開するという問題意識はエンゲルスの『自然弁証法』のなかの一節がきっかけになったのである。そこでエンゲルスはエカ・アルミニウム(ガリウムのこと)の発見を海王星の発見と対比していたのだが、その対比に私はギャップを感じたのである。問題意織が急激に自分のなかで明確になっていくときの驚きと喜び。私はそのときの感動を自分に納得できるような形で仕上げたかったのである。

 私はニュートン力学の形成史を伴奏にしながら周期律の形成史の旋律を奏でるつもりだったのだから、もっと早く周期表におけるウラン・ネプチニウム・プルトニウム( Uranium - Neptunium - Plutonium )の並びに気づいてもよかったはずだ。しかし、じっさいには長い間このことに気づかずにいた。ウランは1789年に発見されていて、メンデレーエフは一番重い元素として自分の周期表の「限界」に位置づけていた元素であった。ネプチニウム、プルトニウムは最初の超ウラン元素として二十世紀になって人工的に合成されたものだ。これらの元素の名前はギリシア神話の神々に由来するが、これらの神々は太陽系の惑星にも姿を現わしているのだ。すなわち、天王星・海王星・冥王星( Uranus - Neptune - Pluto ) がそれである。

 この事実は地を這う考察に対する天からの贈物のように思えた。いったい、エンゲルスがエカ・アルミニウムの発見と海王星の発見を対比したことは何だったのだろう。武谷が海王星の発見をニュートン力学の形成史の本質論的段階を特徴づけるものと指摘したのは何だったのだろうか。そして、私が周期律の形成史の本質論的段階を特徴づける元素としてネプツニウムやプルトニウムを指摘するのは何なのだろう。不思議な気持になってしまう。ネプツニウムはマクミランの命名であり、プルトニウムはシーボーグの命名であるが、周期律の形成過程をニュートン力学の形成史を内在化して展開するという問題意識は、これら人類の認識史の韻を踏む命名をとらえて完全な形で表現できたように思えた。それはもちろんひとつのレトリックにすぎないのだが、そのレトリックのなかに周期律の形成過程の「論理」と「歴史」が正確に保存され、私の考察の出発にみあう答えだったのである。

 天王星・海王星・冥王星( Uranus - Neptune - Pluto ) と、ウラン・ネプチニウム・プルトニウム( Uranium - Neptunium - Plutonium )の発見者と年代を確認しておこう。

 天王星は、ウィリアム・ハーシェルによって、1781年に発見されている。しかし、ウラノスという名は、かれの命名ではなく、ヨハン・ボーデの命名ということである。
 また、ウランは、マルティン・ハインリヒ・クラプロートによって、1789年に発見されている。ウランの命名は、天王星にちなんでいて、クラブロートがつけている。天王星( Uranus )の発見とウラン( Uranium )の発見の間は8年である。

 海王星は、ガレによって、1846年に発見されている。ネプツニウムは、マクミランによって、1940年に発見され、命名されている。海王星( Neptunium )とネプチニウム( Neptunium )の間は約100年である。

 冥王星は、クライド・トンボーによって、1930年に発見されている。プルトニウムは、シーボーグによって、1940年に発見され、命名されている。冥王星( Pluto )とプルトニウム( Plutonium )の間は10年である。

 このようにみてくると、マクミランの発想が、太陽系と元素系の対応を中継したといえるのではないかと思う。

 ニュートン力学と周期律の本質論的段階を特徴づけるのが、100年を隔てた海王星( Neptune )とネプチニウム( Neptunium )の発見というのは、たいへん美しいと思われる。

 ガリレイ、ケプラー、ニュートンの時代には、太陽系の惑星の数は、6個だった。18世紀、19世紀、20世紀と、一世紀ごとに、ひとつずつ惑星の数を増やしてきた。

 今回、冥王星が惑星ではなくなることによって、19世紀と同じ太陽系の惑星の数は8個になった。また、最も遠い惑星は海王星にもどった。

 ところで、海王星の公転周期は164年である。あと4年、2010年に、海王星は、発見された場所にもどってくることになる。ル・ベリエが予測し、ガレが望遠鏡を向けたやぎ座の近くに。

  「周期律の形成について」 

  「ニュートン力学の形成と弁証法」
 

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「周期律の形成について」への案内

2005-11-10 | 周期律
 メンデレーエフの周期表は、ニュートン力学の形成過程におけるケプラーの惑星の法則と同じように、実体論的段階にある。これが最初の考えでした。「弁証法試論」の補論7として、「周期律の形成について」をアップしました(11/09)。 これはその案内です。

 武谷三段階論を方法にして、周期律の形成過程をまとめたものです。ベルセーリウス、メンデレーエフ、ボーア。これが、ニュートン力学の形成過程の、ティコ、ケプラー、ニュートンに対応する科学者です。メンデレーエフの周期表は、ケプラーの法則に対応します。同じように、ボーアの原子論は、ニュートンの運動方程式に対応します。ボーア原子論は周期律の外部で誕生したのではなく内部で誕生したこと、周期律の形成過程はボーアの原子論によって、実体論的段階から本質論的段階へと高まったことを主張しています。

 自然を認識していく論理的順序をとして武谷三段階論を見直したとき、武谷に固有の三段階論は、「実体論的段階」にあり、「本質論的段階」に高まっていないのではないかと思われました。これが、周期律の形成過程を把握しようと試みているときに、出てきた疑問でした。

 周期律の形成過程とニュートン力学の形成過程は、どちらも、同じように現象論的段階・実体論的段階・本質論的段階として把握できると考えます。しかし、そのためには、武谷の「実体」の考え方は修正されなければならないと思いました。メンデレーエフの周期表を実体論的段階と見るとき、その「実体」は、中間子のような「粒子」を意味しないし、ケプラーの太陽系のような「構造」を意味しないからです。

 わたしは、「実体」を「本質と偶有性」と捉えればよいのではないかと考えました。この考えは、メンデレーエフの「原子量」にも、ケプラーの「太陽系」にも通じていると思います。

 このように武谷の「実体」の考え方を克服して、わたしは周期律の形成過程の論理と歴史を捉えようとしました。「本質論的段階」にある武谷三段階論と対応しているのではないかと考えています。

 「周期律の形成について」弁証法試論補論7
  




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