対話とモノローグ

        弁証法のゆくえ

青いものをつまんでみると、

2019-10-31 | 日記
居間の隅に青いものが落ちていた。乾燥したホウレン草のおひたしだと思った。どうしてこんなところに落ちているのだ?と思いながら、捨てようと思い指でつまんだ。確かめようと近づけてみた。緑の背中が目に飛び込んできた。青く見えたのは、緑色のカメムシ(ツヤアオカメムシ)の背中だった。左手の親指と人差指と中指でカメムシの脚のところだけをつまんでいた。
 カメムシはじっとしていた。危険を感じなかったのだろう、臭いはなかった。わたしの方も落ち着いていた。意外には思ったが、慌てることなく、つまんだまま外に出て、庭に捨てた。指を嗅いでみると、かすかに臭いがした。脚の臭いだろう。薬用ハンドソープで洗った。

カメムシは秋になると越冬のため、日当たりのよい場所に移動するのだという。たしかに戸を開け放していた時間があったと思う。

サザンカの実

2019-10-30 | 庭の草木
今年はじめてサザンカの実に気づいた。実は成熟すると、3つに裂けて、黒褐色の種を落とす。右は成熟の途中で、まだ殻を閉じているもの。中央は3つに裂けて、1つの種が落ちたものである。

さらに成熟すると、殻がさらに開いて、3つとも種を落とす。


思いがけない同定

2019-10-29 | 庭の草木
一日中雨と思っていたが、午後になってあがり、3時頃には晴れ間も見えてきた。庭に出てみると、花桃の幹に絡まっているツル(蔓)の葉が赤くなっていることに気づいた。

調べていると、どうやらテイカカズラ(定家葛)のように思えてきた。そして、これはカンナの下に1畳ほど広がっている小さな葉だけの植物に似ていると思った。

何年も前から気になっていたが、名前はわからずじまいだった。たしかに、蔓もあり、葉も似ている。思いがけない同定となった。


「釜山港へ帰れ」を読む2

2019-10-28 | ハングル
「釜山港へ帰れ」(作詞:黄善友・日本語詞:三佳令二、作曲:黄善友)を読んでいる。今回は日本語詞の「あついその胸に 顔うずめて もういちど幸せ 噛みしめたいのよ トラワヨ プサンハンへ 逢いたい あなた」の部分を読む。
「오륙도 돌아가는 연락선마다 목메어 불러봐도 대답 없는 내 형제여 돌아와요 부산항에 그리운 내 형제여 」

오륙도 돌아가는 연락선 마다 オリョクト、トラガヌン、ヨラッソン、マダ
오륙도(五六島、島の名前)。돌다(巡る)+아(動作の連結、陽母音)+가다(行く)+는(現在連体形)→돌아가는(巡っていく)、연락선(連絡船)、 마다(ごとに)
五六島を巡って出て行く連絡船ごとに
오륙도(五六島)は群島、方向によつて、5つに見えたり6つに見えたりすることに由来。数字5は「오」、6は「육」。ここではここでは語中にあるため「륙」となっている。오、육(륙)は漢字語の数字で、日本語では「ゴ、ロク」にあたる。「いつつ、むっつ」にあたる朝鮮の固有語の数字は「다섯、여섯」(たそっ、よそっ)である。

목메어 불러봐도  モンメオ、プルロボァド
목메다(のどが詰まる)+어(動作の連結、陰母音)→목메어(のどを詰まらせて)
불러봐도←부르다(呼ぶ)+보다(見る)+도(~しても)
부르다(르変格用言)+어(動作の連結、陰母音)→(ㄹが前の語のパッチムへ+러)→불러(呼んで)
보다+도(Ⅲに接続)→보+아+도→봐도(みても)
부르다(叫ぶ)+보다(見る)+도(~しても)→불러봐도(叫んでみても)
のどを詰まらせ、呼んでみても
목메어 울다という表現がある。목메어(のどを詰まらせて)+울다(泣く)で、むせび(咽び、噎び)泣く、あるいは、嗚咽するである。息が詰まるほど激しく泣くことを表す。ここでは부르다(呼ぶ)と繋がっていて、息(のど)が詰まるほど激しく呼んでいる。

대답 없는 내 형제여 テダポヌン、ネ、ヒョンジェヨ
대답(返事)、없다(ない)+는(現在連体形)、내(わたしの)、형제(兄弟)、여(~よ、呼びかけ)
返事のないわたしの兄弟よ

돌아와요 부산항에  トラワヨ、プサンハンヘ
돌아오다(帰って来る)+아요(命令・勧誘、陽母音)→돌아오+아요→돌아와요(오+아が縮約して와)、부산항(釜山港)+에(へ、方向)
帰ってこいよ、釜山港へ

그리운 내 형제여 クリウン、ネ、ヒョンジェヨ
그랍다(懐かしい、愛しい)ㅂ変格用言(形容詞)+ㄴ(連体形)→ㅂ脱落+우+ㄴ→그리운(愛しい)、내 형제여(わたしの兄弟よ)。
愛しいわたしの兄弟よ

「釜山港へ帰れ」を読む1

2019-10-25 | ハングル
「釜山港へ帰れ」を読んでいく。今回は日本版の「♪つばき咲く 春なのに あなたは帰らない たたずむ 釜山港に 涙の雨が降る」のところを読む。
「꽃피는 동백섬에 봄이 왔건만 형재 떠난 부산항은 갈매기만 슬피 우네」

꽃피는 동백섬에 コッピヌン、トンベッソーメ、
꽃(花)、피다(咲く)는(~している、現在連体形)
동백섬(冬栢島、島の名前)、에(に、場所)
花の咲いている冬栢島に
冬栢島(동백섬)は椿で有名な島。
동백(椿)、섬(島の固有語、日本語の「しま」にあたる)。「島」の音読み「トウ」にあたるのは「도」である。済州島(제주도)、独島(독도)。「栢」は「柏」の別体。백(ペク)単独では数字の「100」を意味するが、「百」と「白」の漢字があてられる。百貨店(백화점)、白頭山(백두산)。
동백섬(冬栢島)の동は、春夏秋冬(춘하추동)の冬。

봄이 왔건만 ポミ、ワッコンマン
봄(春)、이(が、主語を表す)子音語幹に付く
봄は春の固有語。四季の固有語、はる(봄)、なつ(여름)、あき(가을)、ふゆ(겨울)。漢字語は春夏秋冬(춘하추동)。
오다(来る)+ㅆ(過去を表す)第Ⅲ活用につく→와(오+아の縮約)+ㅆ→왔(来た)
-건만(~にもかかわらず、~が)
春が来たけれど

형제 떠난 부산항에 ヒョンジェ、トナン、プサンハンヘ
형제 (兄弟)、떠나다(去る)+ㄴ(過去連体形)→떠난(去った) 
부산항(釜山港)에(に)
兄弟が去った釜山港に

갈매기만 슬피 우네 カルメギマン、スルビ、ウネ
갈매기(かもめ)、만(~だけ)、슬피(悲しく)副詞←슬피다(悲しい)形容詞、
울다(泣く、鳴く)+네(~だなあ)→우네 ㄴが続くときㄹ脱落する
カモメだけが悲しく鳴いている




元気な「釜山港へ帰れ」

2019-10-24 | ハングル
しばらく韓国語から離れていたが、少しずつ勉強しようと思うようになった。
「釜山港へ帰れ」を、「約束」と同じように読んでみようと思う。辞書を引き、文法を確認しながら、読もうと思う。基礎ができていないので、時間がかかるが、しかたがない。
韓国語のタイトルは、돌아와요 부산항에(トラワヨ、プサンハンヘ) (帰れ、釜山港へ)である。
돌아와요 부산항에 トラワヨ、プサンハンヘ
돌아오다(帰ってくる)+아요(命令・勧誘)→ 돌아오+아요→돌아와요(오+아が縮約して와)
부산(釜山)항(港)+에(へ、方向)
帰って来いよ、釜山港へ

しっとりした感じの歌い方が多いが、元気な歌い方もある。
カンジミンの「釜山港へ帰れ」


New Astronomyを手に取ってみた

2019-10-23 | 楕円幻想
ケプラー『新天文学』の英訳本があり、ちょっと覗いてみた。図はギリシャ文字ではなく英語のアルファベットに替えてあるためたいへん見やすいと思った。本文を読むには力がないと悟ったが、関心のある56章だけを読んでみた。
和訳も英訳もラテン語の原典を忠実に翻訳したものだろう。和訳と英訳は1対1に対応すると形容してよいように思われた。
例えば、プトレマイオスとケプラーとテイコ・ブラエが集まっている1文。
「したがって、平均的な長さを取る所では正割の代りに半径を用いると、観測結果のとおりとなる。」(岸本良彦)
“Therefore, if the radius is substituted for the secant at the middle longitude, this accomplishes what the observations suggest.” (W.H.Donahue)

探究の三段階論2

2019-10-22 | アブダクション
アインダクションの思考モデルとパースの探究の三段階論の対応を考えていた。

アブダクション(仮説)  EJA
ディダクション(演繹)  AS
インダクション(帰納)  SEA


いくつか疑問点があり、滞っている。一つは直観(直感)の問題。
パースが直観を否定するのに対して、アインシュタインは肯定する。たしかに、パースは『世界の名著48』所収の「論文」では直観を否定しているが、晩年のパースは「直観」を肯定しているようである。
『パースの思想』(有馬道子著、岩波書店、2001年)に次のようにあった。
(引用はじめ)
どのような種類の動物も、たとえば普通の鳥が空を飛んだり巣をつくったりするように、その動物にとって特有の機能を働かせることにおいて、その一般的な知力をはるかに凌駕している。……他の仮説よりもある仮説を選びたいという本能的な気持ち(impulse)が実は鳥やスズメバチの本能(instinct)のようなものであると知れば、人間が理性の範囲内でそれを働かせないことはばかげているといってよいだろう。(CP.6.472、――パース著作集、巻数、段落番号。1907年の論文、引用者注)
(引用おわり)
これは直観の肯定である。また、これは中山正和のアブダクションの理解が優れていたことを意味している。探究の三段階論はアインシュタインの思考モデルを基礎に構成されなければならないと思う。



ヒヨドリの水浴び

2019-10-21 | 庭に来る鳥
キジバトの鳴き声がした。2階の部屋の窓を開けて、声のする方向を見た。黒いかたまりが向かいの屋根のアンテナに見えた。そのとき、庭からパシャ、パシャと水音が聞こえてきた。庭に石臼を置いている。雨で水がたまっているので、鳥が水浴びをしているのではないかと思った。屋根でその場所は見えないので、確かめようと思った。
降りて玄関を開けると気配を覚られ逃げられたが、ヒヨドリだった。しばらくすると、再び、石臼にもどってきた。飛びこんでは休み、休んでは飛びこんでいた。





Δ(デルタ)と∇(ナブラ)

2019-10-18 | ノート
微分するdifferentiateの頭文字dを記号にしたい。しかし、dに対するギリシャ文字Δ(デルタ)はすでに差(分)differenceの意味で使われていた。それでΔをひっくり返して∇にして用いるようになった(4元数のハミルトンなど)。∇はアッシリアの竪琴の形で、ナブラとよばれていたので、∇をナブラとよぶことになった。
マクスウェルは微分演算子∇も、その呼び名ナブラも、大変気に入っていたという。

『ファラデーとマクスウェル』(後藤憲一著、清水書院、1993年、2016年(新装版))参照