対話とモノローグ

        弁証法のゆくえ

楕円の発見と周期律の発見

2018-05-31 | アブダクション
ハンソンは『科学的発見のパターン』で、「ケプラーの仕事は、ティコのデータを基にしたとき、それらのデータのすべてを包含してくれるもっとも簡単な曲線は何であろうか、という問題だった」と述べている。このハンソンの指摘を見て、『科学的発見のパターン』の「パターン」は、伊東俊太郎の「システム化」と対応するのではないかと思った(「科学的発見の論理」『科学と歴史』所収)。
伊東俊太郎は「発見的思考」を、A帰納(induction)によるもの・B演繹(deduction)によるもの・C発想(abduction)によるものの三つの思考方式に大きく分け、「C発想」のなかを、さらに1類推によるもの・2普遍化によるもの・3極限化によるもの・4システム化によるものと細分している(注)。
「システム化によるもの」とは、「多くの事実を、ある観点から1つのシステムとして関係づけ、そこに法則を発見するものである。」
例えば、同じ要素・同じデータの集まり(第1図)に対して、観点によって、さまざまにシステム化できる(第2,4,5図)。

「同じものを見ていながら、そこに新たに観点を導入することにより、それらを異なったパターンないし関係において捉え直すことがシステム化による発見である。」
伊東俊太郎は、メンデレーエフによる元素の「周期律」の発見をシステム化の例として挙げている。わたしは、ケプラーの「楕円軌道」の発見を追加したいと思う。
「ティコのデータを基にしたとき、それらのデータのすべてを包含してくれるもっとも簡単な曲線」は、円でもなく卵形でもなく楕円だった。
ニュートン力学の形成過程と周期律の形成過程にはいろいろ興味深い対応があるが、ケプラーの楕円の発見とメンデレーエフの周期律の発見が同じ「システム化」というのは特に興味深い。

(注)
発見的思考の分類 (伊東俊太郎「科学的発見の論理」より)
発見的思考
A帰納ボイルの法則、スネルの法則
B演繹ニュートンの逆自乗の法則
C発想 1類推ダーウィンの自然選択説、ドゥ・ブロイの波動力学
2普遍化ニュートン力学、アインシュタインの相対性理論
3極限化ガリレイの「慣性の法則」・「自由落下の第一法則」
4システム化メンデレーエフの周期律


「楕円幻想」の焦点3

2018-05-30 | 楕円幻想
ケプラーの楕円発見の端緒を見てきた。100429という値は、「平均的な長さ」を取るところでの正割の値である。この値は、離心円上の火星と太陽間の距離の関係式において、離心アノマリアβが90°のときの値と対応していることを見た。
ここでやりたいのは、100429の歴史的背景を見ることである。いいかえれば、「平均的な長さ」を取るところでの正割の値を、プトレマイオスの「エカント」と「離心距離の2等分」から導くことである。

長さを確認しておこう。離心円の半径CH=CP=CIを1、離心率をeとする。CF=CE=e、等化円の半径EH=1-e、EI=1+eである。
PE は直角三角形PCEに三平方の定理を適用して
PE =√(1+e2)となる。
この PE は「離心距離の二等分」より PF に等しい(△PEC≡△PFC)。ケプラーが使った火星の離心率e(=0.009265)を、√(1+e2)に代入して計算すると、1.00429になる。
これがケプラーを目覚めさせた正割の値に対応している。100429は、遠日点から90°離れた離心円上の点Pとプトレマイオスが導入した等化点Eとの距離に対応する。楕円発見の端緒には「エカント」と「離心率の二等分」が背景にあったということができる。

等化点Eと離心円上の点Pとの距離 PE =√(1+e2)をべき展開すると
1+1/2・e2-1/8・e4+…
となり、2次までとると
1+e2/2
となる。これは離心円上の火星と太陽の距離の関係式
r=1+ecosβe2/2・sin2β
に、β=90°を代入したときと同じ結果を与えることがわかる。

ケプラーは正割の代わりに半径を用いた。すなわち、太陽から火星までの正しい距離として PF =1.00429ではなく PC =1を用いた。これが楕円発見の端緒になった。Fを中心に半径1で弧を描きPCとの交点が正しい火星の位置Kと対応する。 KF =1である。
直角三角形KCFに着目し、三平方の定理を使うと、 KC =√(1-e2)である。これが楕円の短半径となる。

ケプラーはコペルニクスの地動説を基礎に、コペルニクスが捨てた「エカント」を継承した。そして、ティコのデータを踏まえることによって、楕円軌道を発見した。
離心点Fと等化点Eは全く動いていない。離心点Fと等化点Eは離心円の中心Cによって二等分されたまま、離心円から三日月形が切り取られることによって、楕円の焦点となっている。ケプラーを目覚めさせた100429はプトレマイオスの「エカント」と「離心距離の二等分」から構成することができる。プトレマイオスの「エカント」と「離心距離の2等分]は、楕円軌道発見において核心的役割をはたしていたのである。
(了)

「楕円幻想」の焦点2

2018-05-29 | 楕円幻想
ケプラーは『新天文学』で等化円を離心円と同じ大きさ1で描き、「遅さ」(「速さ」)の分析をしている。ケプラーの描いた等化円は次のようなものである(白い円)。

ここで描く等化円は、プトレマイオスが金星で導入したときの離心円の描き方を継承するものである。プトレマイオスの等化円の特徴は、遠日点で離心円に内接していて、離心円の中心が等化点と離心点を2等分していることである。遠日点で離心円に内接する半径1-eの等化円を描く。eは離心率である。

説明しよう。等化円は細い線で描いてある。Cは離心円の中心、Fは離心点、Eは等化点である。歴史上のプトレマイオスの離心点には地球があったが、ここでは太陽である。転倒はすでになされている。Hは遠日点、Iは近日点である。
Pは離心円上で、遠日点Hと近日点Iの真ん中、∠HCP=90度の点である。
また、点Kは、ティコのデータが示す火星の位置で、点Pから0.00429離れた点(離心円の半径を1とした場合)である。

まず、楕円軌道発見の端緒を確認しておこう。
ケプラーは離心円から三日月HPIKHを切り取ることを考えていた。その最大の幅がこのPK間の距離0.00429である。三日月を切り取った軌跡が火星の軌道になる。PとKはケプラーの楕円軌道発見の端緒になった点である。
ケプラーは『新天文学』第56章で次のように述べている。
(引用はじめ)
恐る恐るこういう考えに転じて、改めて考えてみると第45章では意味のあることは何ひとつ述べていなかったから、火星に対する私の勝利はむなしいものだったと思ううちに、全く偶然に最大の視覚的均差を測り取った5°18´という角度の正割に思い至った。この値が100429であることを見たとき、まるで新たな光のもと、眠りから目覚めたかのように、以下の推論をし始めた。
平均的な長さを取る所で均差の視覚的部分が最大になる。平均的な長さを取る所で三日月形つまり距離の短縮分が最大になり、ちょうど最大の視覚的均差の正割100429 が半径100000 を上回る分になる。したがって、平均的な長さを取る所で正割の代りに半径を用いると観測結果のとおりとなる。
(引用おわり)
正割とは余弦の逆数である。5°18´(最大の視覚的均差)は∠FPCを指す。直角三角形FPCにおいて斜辺PF対底辺PCの比が、正割100429対半径100000(1.00429対1)になっていることに気づき、その差を最大の三日月の幅429と対応させる。そして次のように推論する。
「平均的な長さを取るところで正割の代わりに半径を用いると観測結果のとおりとなる」
ケプラーは正割の代わりに半径を用いる。すなわち、 PF =1.00429ではなく PC =1を用いる。これが端緒になった。Fを中心に半径1で弧を描きPCとの交点を求める。それが正しい火星の位置Kである。 KF =1である。

山本義隆は『世界の見方の転換1』の付記で、離心円上にある火星と太陽の間の距離を離心アノマリアβを使って求めている。離心率eの2次までとった近似式は次のようである。
r=1+ecosβe2/2・sin2β
この式を基礎に山本義隆は「太陽中心系で表したプトレマイオスの離心円・等化点モデルにおける惑星の軌道と運動を表す方程式」を導いている。しかし、山本義隆はこの式とケプラーの楕円軌道発見の関係について着目していない。
この式にβ=90°を代入すると、「平均的な長さを取るところ」での火星―太陽間の距離100429に対応することについてまったくふれていない。
β=90°を代入して、
r=1+e2/2
そして、ここに火星の離心率e=0.09265(ケプラーの値)を代入すると、ケプラーを覚醒させた1.00429が出てくるのである。
しかし、山本義隆の「目覚め」の分析では、「平均的な長さを取るところ」での正割が盲点となっている。
『世界の見方の転換』3で、楕円軌道発見の図として提示されている図は次のようなものである。

「平均的な長さを取るところ」での「正割」(火星―太陽間の距離100429)に対応するEAが欠如していることに着目してもらいたい。
これに対して、ケプラーが『新天文学』で示している図は次のようなものである。

ケプラーの推論は「平均的な長さを取る所で正割(EN)の代りに半径(EH)を用いると観測結果(BN)のとおりとなる」というものである。


紫陽花

2018-05-28 | 庭の草木
ウォーキングを始めている。できるだけ速足、大股で、30分ほど歩いている。道沿いの畑や庭を見るのも楽しみの一つである。我が家の庭のアジサイは、この辺りでは一番早く咲き出したようだ。梅雨入り前だというのに、すでに満開を過ぎた花もある。


「楕円幻想」の焦点1

2018-05-25 | 楕円幻想
楕円軌道の発見におけるプトレマイオスとケプラーの関係は、弁証法発見のヘーゲルとマルクスの関係と対応しているのではないか。楕円発見の歴史について調べているときに、このような図式が浮かんできた。プトレマイオスが導入した「エカント」と「離心距離の二等分」は神秘的な外皮に隠されている。プトレマイオス惑星理論の「合理的核心」を把握するにはひっくり返さなければならない。コペルニクスは天地を転倒し、惑星軌道は地球中心から太陽中心に変わった。ケプラーはこの惑星軌道で「エカント」と「離心距離の二等分」を継承し、楕円軌道を発見する。

『世界の見方の転換』1に提示されている次の3つの図は、「合理的核心」を把握する図式として提示してあったわけではない。しかし、1神秘的な外皮に包まれたプトレマイオスの惑星理論が、2転倒され、3合理的核心が把握される過程を表しているように思われた。
1 プトレマイオスの等化点をともなう離心円・周転円モデル、外惑星の場合

2 太陽中心系で見た離心円・等化点モデル

3 ケプラー運動

わたしの問題は解決しているように思えた。
しかし、『世界の見方の転換』で描かれているケプラーとプトレマイオスを検討していると疑問が出てきた。
『新天文学』第56章を読んでみると、『世界の見方の転換3』12章14「楕円軌道への道」の推論はケプラーの推論と違っているのではないかと思われた。「平均的な長さを取る所で正割の代りに半径を用いる」(ケプラー)推論の端緒が抜けているのではないかと思われたのである。
また、『世界の見方の転換1』の付記「金星軌道のパラメータの決定」と『アルマゲスト』第10巻第3章を対照させてみると、「離心距離の二等分」の解説には納得できたが、等化円の導入と位置づけには疑問を感じた。
このケプラーとプトレマイオスに対する2つの疑問を踏まえて、山本義隆とは別の観点から「合理的核心」の図を提起しようと思った。その図に楕円軌道発見の歴史的な背景を端的に示そうと思った。

この図は、ケプラーが楕円を発見する火星の軌道に、プトレマイオスが金星で導入した等化点と等化円を描いたものである。ケプラー『新天文学』の火星とプトレマイオス『アルマゲスト』の金星をつないでみたものである。「楕円軌道発見の補助円と補助線」と名付けておこう。
図の説明をしよう。

ユスラウメとムクドリ

2018-05-24 | 庭に来る鳥
これまでに3度、合わせて1.5キロほど収穫した。ジュースも作った。つぶすのは皿ではなくフライパンが能率的だと分かった。木の上部についている実は脚立に登って採るつもりでいたが、必要なくなった。ムクドリがほとんど食べてくれたからである。
スズメが何度か来ていたが、実は好みではないようだった。ヒヨドリが1羽、枝に止まっているのを見かけたが、やはり好みではない。ムクドリは違った。数羽から10羽ほどに増えてきた。ムクドリはその場ではなく、別の場所で食べるようである。電線に待機していたムクドリが次々とユスラウメに舞い降りて、葉のなかでごそごそやって、赤い実を咥えて飛び立ってゆく。

飛び立っていく様子が慌てているようにみえるのは気のせいだろうか。あと1、2回採って、今年の収穫は終わりである。

茶毒蛾がいた2

2018-05-23 | 庭の小動物
2週間ほど前、ツバキにチャドクガを見つけた。そのときはツバキだけだったが、1週間ほど前、茶の木に発生しているのを見つけた。今日は、サザンカに発生しているに気づいた。成長して整然と葉に並んでいるのもいたが、まだ孵化してまもない幼虫が葉に散在しているのも見かけた。これが成長すると体を寄せ合って並んでいくのだろう。

とどく範囲は処理した。明日、雨が上がったら、もつと時間をかけて対策することにしよう。

山本義隆講演2016

2018-05-22 | 日記
YouTubeには思いがけない動画があってときどき感動する。これもその1つである。「山本義隆講演20161021」。1か月ほど前に、何の予備知識もなく、山本義隆の講演ということで興味をもって見た。
1週間ほど前に、この講演(岡本清一記念講座「近代日本と自由 ――科学と戦争をめぐって――」2016)が『近代日本一五〇年――科学技術総力戦体制の破綻』(山本義隆著、岩波新書、2018)のベースになっていることを知った。今日、講演をはじめから最後まで聴いてみた。京都精華大学のホームページで講演録も読むことができる。信頼のおけるいい人だと思う。

つれづれ三段階論

2018-05-21 | ノート
『日本文化をよむ』(藤田正勝著、岩波新書、2017)の第3章、長明と兼好の「無常」を読んでいて、立ち止まってしまった。えっ、どうして。わからない。これは違うのではないか。それで、『俗と無常 徒然草の世界』(上田三四二著、講談社、1981)を引っ張り出して、自分の考えを確かめてみた。足を止めたのは『徒然草』第75段に関連した箇所である。次のようにあったのである。
(引用はじめ)
『徒然草』は周知のように、「つれづれなるままに、日暮らし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、……」と書き始められている。そこでは「つれづれ」は単調で所在のない様子を言い表しているが、それに対して第七十五段で「つれづれわぶる人は、いかなる心ならん。まぎるる方なく、ただひとりあるのみこそよけれ」といわれるとき、この「つれづれわぶる」という表現はおそらくただ単に無聊を嘆くという意味で用いられているのではない。むしろそこには、自らを縛るものから解き放たれた自由と、そこに実現する閑寂という意味が、そしてそのことによって心を安んずるという意味が込められている。静かな生活のなかで何事によっても心が乱されることのない、どこまでも長閑な心のありようを楽しむという意味あいを兼好はこの「つれづれわぶる」という言葉に込めたのではないだろうか。
(引用おわり)
「つれづれわぶる」が肯定的に捉えられ、その内容が否定的(消極的)なものから肯定的なものに変容させられている。ここが疑問の出どころである。ここに不自然な展開を感じたのである。「つれづれわぶる」は否定的な姿勢と思っていたからである。

第75段を文法と意味にそって読めば、「つれづれわぶる」は否定的である。つまり「ただ単に無聊を嘆くという意味で用いられている」。しかし、そこに兼好は疑問を提示する。そして「つれづれ」から「わぶる」という契機を消去することによって、「つれづれ」に積極的(肯定的)な意味をもたせる。「まぎるる方なく、ただひとりあるのみこそよけれ」としての「つれづれ」である。

「つれづれわぶる人」の「人」は序段を書いた兼好の可能性はあるが、75段の兼好ではない。しかし、藤田の読解は「つれづれわぶる人」の「人」は、75段を書く兼好その人であって、「まぎるる方なく、ただひとりあるのみこそよけれ」という認識をもっているものと想定されているように思える。これが〈4「つれづれわぶる」生〉という節が設けられている理由と関係しているだろう。

しかし、このような捉え方は不自然で奇妙だといわざるをえない。上田三四二の「つれづれ三段階」が素直で自然な読み方だと思う。
(引用はじめ)
「わぶ」べき「つれづれ」から「つれづれ」そのものへ、「つれづれ」そのものから「楽しぶ」べき「つれづれ」へ――この喜ばしき閑暇をかりに閑雅と呼べば、ここにおける無聊から閑暇へ、閑暇から閑雅への三段階の道行きは、それぞれの段階においてそれ自身の面目を一新しながら、「つれづれ」の至境に向かって兼好を押しあげる。
(引用おわり)
「楽しぶ」べき「つれづれ」は75段の「未だ、まことの道を知らずとも、縁を離れて身を閑かにし、事にあづからずして心を安くせんこそ、しばらく楽しぶとも言ひつべけれ。」が背景にある。

75段が提示しているのは、「つれづれわぶる」生ではなく「つれづれ楽しぶ」生ではないだろうか。

(注)
第75段(全文)
つれづれわぶる人は、いかなる心ならん。まぎるる方なく、ただひとりあるのみこそよけれ。
世に従へば、心、外の塵に奪はれて惑ひ易く、人に交れば、言葉、よその聞きに随ひて、さながら、心にあらず。人に戯れ、物に争ひ、一度は恨み、一度は喜ぶ。その事、定まれる事なし。分別みだりに起りて、得失止む時なし。惑ひの上に酔へり。酔ひの中に夢をなす。走りて急がはしく、ほれて忘れたる事、人皆かくの如し。
未だ、まことの道を知らずとも、縁を離れて身を閑かにし、事にあづからずして心を安くせんこそ、しばらく楽しぶとも言ひつべけれ。「生活・人事・伎能・学問等の諸縁を止めよ」とこそ、摩訶止観にも侍れ。

ユスラウメ豊作

2018-05-18 | 庭の草木
今年はしっかり実っている。一昨年、豊作。昨年、ほとんど実ができなかった。ユスラウメにも表裏があるのだろう、今年は回復して、豊作である。

一昨年はジュースを作ったが、今年は生で食べることにした。
食べやすいように、前処理をする。皿に実を並べてマッシャーでつぶす。種を、ピンセット2つを両手で使って取り出す(リハビリのような作業)。汁と果肉と皮すべてをビンに入れて冷蔵庫に保存する。今日は400グラムほど処理した。
一粒ずつ生で食べるより、甘みが増しているような気がする。冷やしたのがいいのかも知れない。ジュースを作ったときは、砂糖を加えたし、加熱もした。また、果肉や皮は捨てた。今年の食べ方のほうが身体によいのではないだろうか。