対話とモノローグ

        弁証法のゆくえ

相対性理論の形成と武谷三段階論

2008-07-27 | アインシュタイン

 ニュートン力学の形成に関する武谷三段階論は知っていた。しかし、相対性理論の形成過程について武谷が三段階論を提出していたということは知らなかった。今年になって、『アインシュタイン相対性理論の誕生』(安孫子誠也著 講談社現代新書 2004)のなかで、はじめて知ったのである。

 武谷三男は、科学理論の発達における「武谷の三段階論」を定式化した人物として有名である。それによると、プランクの熱輻射論は現象論の段階、アインシュタインの光量子論は実体論の段階、特殊相対性理論は本質論の段階に相当すると述べている。

 武谷三男は、自然を科学的に認識していく過程には、次のような質の異なった三つの段階があるという考え方を提示した。

 1 個別的に事実を記述する現象論的段階
 2 現象が起こる実体的な構造を想定し、この構造を媒介にして、現象を整理し法則性を捉える実体論的段階
 3 諸実体の相互作用の法則を認識する本質論的段階

 ニュートン力学が形成された過程でいえば、観測結果を蓄積したティコ・ブラエの段階が現象論的段階、法則性を洞察したケプラーとガリレイの段階が実体論的段階、天上の法則と地上の法則を統一したニュートンの段階が本質論的段階である。

 武谷の関心は量子力学にあり、素粒子論の研究を進めていく科学方法論として三段階論は構想された。素粒子論の研究段階は実体論から本質論への移行を模索しているのではないかという武谷の直観がはじまりだったと思う。その判断を確定しようとして、武谷は、ニュートン力学の形成過程を反省した。

 ニュートン力学の形成についての三段階論は、「ニュートン力学について」(『弁証法の諸問題』所収)のなかで明確に展開してあるものである。しかし、相対性理論の形成過程での三段階論は、独立の論文としてではなく、『量子力学の形成と論理Ⅰ』(1948年)で述べられている次のような展開を整理したものと思われる。

 量子力学の形成についても同様である。熱輻射のエネルギー分布やスペクトル法則のような現象論的知識が単なる経験の記述として整理されて量子力学が出来たのではなく、実体的な光粒子や電子、原子構造の認識が確立されてはじめて量子力学が形成されたのである。原子模型の決定は原子物理学史上重要な一段階である。これは原子核物理学についていうと1930年から最近に至る十数年の段階に相当するものである。
 またこれを相対性理論の発展ということから見ても重要な問題であって、弾性エーテルという実体的な観念が19世紀初めに提出され、様々の矛盾をうみながら、これが一方において原子構造に、他方において光量子という、より明確な実体が定立されることによって、解消して初めて相対性理論という本質論的段階に達したのであった。

 相対性理論の形成についての武谷三段階論は、詳しい分析にもとづいて提出されているといえるのだろうか。わたしにはそのようにはみえない。また、わたしには、この三段階論は、きわめて窮屈な見方になっているように思われる。アインシュタインはプランクの熱輻射論をきっかけに、光量子を想定した。しかし、アインシュタインは光量子という実体をもとにして相対性理論の「本質論的段階」を形成したのではないように思われる。

 武谷が、プランクの熱輻射論を現象論的段階・アインシュタインの光量子論を実体論的段階と捉えている過程を、アインシュタイの「自伝ノート」と対応させれば、次のところになるだろう。

 このような考察のおかげで、一九〇〇年を少しすぎたころ、すなわち、プランクの画期的な研究のでた直後には、すでに私には、「力学」と「電磁気学」のどちらもが(限定的な場合を除いて)厳密な正確さを要求しえないものだとわかっていた。

 プランクの熱輻射論が契機になったことには違いはない。しかし、1900―1905年の間で、相対性理論の形成にとって大事なことは、光量子という明確な実体が定立されたことではなく、「厳密な正確さを要求しえないもの」として「力学」と「電磁気学」が捉えられたことではないだろうか。相対性理論は、実体論的段階が本質論的段階に移行することによってではなく、この「力学」と「電磁気学」が「複合」されることによって、形成されるのである。

 さて、相対性理論の形成に関する武谷の理解に立ち入ってみることにしよう。その特徴は、「エーテルの否定は光量子論で最初に行われたのであり、特殊相対性理論とはエーテルに立脚しない運動学だった」(安孫子誠也)というところにあると思われる。

 光量子論をアインシュタインが書いたのは1905年の3月であり、特殊相対性理論の入り口の論文「運動物体の電気力学について」を書いたのは同年の6月である。この前後関係は単なる偶然ではないと考えねばならない。実際アインシュタインはマイケルソン-モーレーの実験からだけエーテルを棄てたのではなくて、光量子論の立場からエーテルを棄てたのだといわねばならない理由がある。……アインシュタインはそのはじめの論文においてすでに古典電磁気論と光量子とは鋭く対立するものであることを述べている。すなわち、その論文においてエーテルの振動などという考えで光を考えてはいない。それゆえ我々はアインシュタインによるエーテルの否定は、その相対性理論の論文によって最初になされたのではなく、その光量子論の論文において最初になされたといわねばならないのである。こうしてエーテルという媒質が積極的に否定された以上、新たにエーテルに拠所をもたない運動学を築く必要が起こったということができよう。(『量子力学の形成と論理Ⅰ』)

 わたしは以前に、ニュートン力学の形成過程を、複合論の立場から展開した。こんどは、相対性理論の形成過程について、三段階論とは異なった認識過程を提出しようと思う。


熱力学か、電磁気学か

2008-07-20 | アインシュタイン

 『アインシュタイン相対性理論の誕生』(安孫子誠也著 講談社現代新書 2004)を読んでいて、驚いたことがある。日本語に翻訳されている「自伝ノート」は、アインシュタインの誤記をそのまま踏襲しているというのである。「電磁気学」とあるべき箇所が「熱力学」になっているというのである。次のところである。

 このような考察のおかげで、一九〇〇年を少しすぎたころ、すなわち、プランクの画期的な研究のでた直後には、すでに私には、力学と熱力学のどちらもが(限定的な場合を除いて)厳密な正確さを要求しえないものだとわかっていた。(「自伝ノート」金子務編『未知への旅立ち』小学館1991 所収)

 アインシュタインの手稿、「自伝ノート」の初版(1949年)、第二版(1951年)では「熱力学」になっている。最初に訂正が施されたのは、1955年のドイツ語版で、その冒頭には、「1949年出版の本の唯一の著者承認版」と記されているという。また、1969年の第三版では「電磁気学」と修正されている。(しかし、その後の版については、安孫子は何も述べていない。わたしも知らない)。

 『アインシュタイン相対性理論の誕生』を読んだあとで、わたしは、はじめて「自伝ノート」を読んだ。たしかに、上に引用したように「熱力学」になっているのである。

 「はじめに」には、この「自伝ノート」は「ドイツ語原文から新たに訳出したもの」と述べられてはいる。しかし、どの版からとは記されてない。初版だったのだろうか。第三版でなかったことは確かだ。また、訳者の佐藤恵子は、22個の訳註をつけているが、この「熱力学」の部分にはつけていない。また、金子務は高名なアインシュタインの研究者であり、アインシュタインの誤記については知っていたと思われる。しかし、何も述べていない。1979年の生誕100年祭の記念に、英訳は改訳されて単行本としてでていることが紹介されている。この英訳では、「電磁気学」になっているのだろうか、それとも「熱力学」のままなのだろうか。

 「熱力学」か「電磁気学」かは、安孫子誠也が強調するように、相対性理論の形成過程を捉えるときに、影響を与える大きな問題である。

 少し立ち入ってみよう。さきの引用文は次のようにつづいていく。

 このような考察のおかげで、一九〇〇年を少しすぎたころ、すなわち、プランクの画期的な研究のでた直後には、すでに私には、力学と熱力学のどちらもが(限定的な場合を除いて)厳密な正確さを要求しえないものだとわかっていた。しだいに私は、既知の事実に基づいた構成的な努力によって、真の法則を見いだす可能性に絶望していった。長く、そして絶望的に努力すればするほど、ある一般的な形式を備えた原理を見つけることだけが、われわれを確実な結果に導きうるのだろうという確信が深まっていった。手本として私の前にあったのは、熱力学である。熱力学での一般的原理は、次の命題の形で与えられていた。『自然の法則は、「永久機関」(第一種および第二種)をつくることのできない性質をもっている』。

 前の方で、「力学」と並べてある「熱力学」は、「厳密な正確さを要求し得ないもの」として、否定的に捉えられている。これに対して、後の方の「熱力学」は、「ある一般的な形式を備えた原理」の手本として、肯定的に捉えられている。一方では「厳密な正確さを要求し得ないもの」として、他方では「手本」として、熱力学の評価は分裂しているようにみえる。この段落だけでも、「熱力学」は異常である。すじが通っていないのである。

 この直前の段落でアインシュタインは、次のように述べている。

 この結果を得るためには、むしろマックスウェルの理論からは導かれない性質の第二の圧力のゆらぎがあると仮定しなくてはならない。それは、放射エネルギーが、不可分で、点として局在し、エネルギーhν(および運動量hν/c、cは光の速度)をもった量子からできていて、しかもその量子は分割されずに反射される、と仮定するとよくあうのである。この考察が大胆で直接的なやり方で示してくれたことは、プランクの量子には、ある種の直接的な実在性が与えられるにちがいなく、したがって、エネルギー的にみて放射は、一種の分子構造をもつにちがいない、という点だ。もちろんそれは、マックスウェルの理論とは矛盾するものだ。

 プランクの熱輻射の公式を説明するには、マックスウェルの理論からは導かれない性質を仮定しなければならないこと、またエネルギー的にみて放射はマックスウェルの理論とは矛盾することを述べているのである。すなわち、プランクの研究に対して、マクスウェルの電磁気学が限界をもっていることを述べているのである。

 直前の段落では、熱力学ではなく、電磁気学について述べているのである。この二つの段落を、無意味にならないようにつなげるとすれば、「力学」と並べるのは「熱力学」ではなく、「電磁気学」でなければならないことがわかるのではないだろうか。

 すなわち、次のようにである。

 このような考察のおかげで、一九〇〇年を少しすぎたころ、すなわち、プランクの画期的な研究のでた直後には、すでに私には、力学と「電磁気学」のどちらもが(限定的な場合を除いて)厳密な正確さを要求しえないものだとわかっていた。

 このように考えれば、「ある一般的な形式を備えた原理」の手本としての「熱力学」が生きてくるのである。

 安孫子誠也は次のように述べている。

 アインシュタインが「熱力学」ではなく「電磁気学」が厳密には正しくないという考えのもとに特殊相対性理論を構築していた、という点は特に強調しておかなければならない。彼は、古典物理学を支える三本の柱のうちで、「力学」と「電磁気学」は捨て去らねばならず、保持し続けられるのは「熱力学」だけだと判断していたのであった。

 わたしは、この見解に賛成である。

 わたしの複合論からいっても「電磁気学」でなければならないのである。「力学」と「電磁気学」、長くいうと「ニュートン力学」と「マクスウェル電磁気学」は、「選択」されるべき二つの「論理的なもの」だからである。「力学」と「電磁気学」は、克服されるべき「二匹の猿」だからである。

 ところで、「熱力学(Thermodynamik)」と「電磁気学(Electrodynamik)」の書き間違いがわかったのは、1949年の出版直後のようである。安孫子氏の問い合わせにたいする文書保管人バーバラ・ヴォルフ(ヘブライ大学アインシュタイン文書館)による答。

 一九四九年に「自伝ノート」が出版されたとき、誰かが(私たちはそれが誰か分かりません)いくつかの誤りを見出し、ヘレン・デュカス[アインシュタインの秘書]がアインシュタインの本に訂正を書き込みました(写真a、b)。私たちはデュカスの筆跡を見分けられるばかりでなく、アインシュタインの本に訂正を書き込んだと説明している彼女の手紙すら所持しています。……さらに、彼女は「訂正表」(写真c)をタイプしました(日付はありませんが一九四九年の出版直後と思われます)。

 写真は割愛。写真aは、アインシュタインの手稿で、「熱力学(Thermodynamik)」と書かれている。写真bは、初版に記入された訂正である。デュカスの筆跡で、「Thermo」が「Electro」に訂正されている。写真cは、「自伝ノート」に対する訂正表である。52ページのところに Electrodynamik instead of Thermodynamik. AE made mistake in ms. とタイプされている。

 もう半世紀以上経っているのだ。どうして、日本語の「自伝ノート」は、「熱力学」のままなのだろうか。なにか深い事情があるのだろうか。


時間の同調の定義と偏微分方程式について

2008-07-06 | アインシュタイン

 「動いている物体の電気力学」(1905年)(『相対性理論』アインシュタイン/内山龍雄訳 岩波文庫 1988)を理解するには、いくつも乗りこえなければならない局面がある。はじめてこれを読んだとき、さっぱりわからなかったのは、ローレンツ変換を導いていくときに、偏微分方程式が提示してあることだった。それ以前に、物理の教科書や一般向けの解説書で、微分方程式による説明など読んだ記憶がなかった。この微分方程式がわからないのである。

 時間の同調の定義と偏微分方程式(岩波文庫の27ページ)
 
 こんど読み直した。やはり、わからない。ここには4つの式がある。1式から2式の移行はわかる。また、3式から4式への移行もわかる。しかし、2式から3式への移行がたどれないのである。ページの中央の2つの式である。
 『基礎からの相対性理論』(桂愛景著 サイエンスハウス 1988)を参考にして、やっと理解できた。微分方程式の疑問は解けたが、別の疑問が出てきた。

 どうもこの微分方程式は「動いている物体の電気力学」のなかに存在していないかのように扱われていることである。

 内山龍雄は、変換公式の導き方について、訳者補注で、次のように述べている。

 10.変換公式の導き方について
 x、y、z、tとξ,η,ζ,τを結ぶ関係式を導くことについて、原論文の説明には少々、説明不足のために理解しにくいところがある。そこで、ここに少し説明を加えて、原論文の推論を繰りかえすことにする。

 この補注は、アインシュタインが微分方程式をベースに変換式を導いている箇所につけられているものである。しかし、内山は、微分方程式について、何もふれることなく、説明を加えている。まちがった説明ではないが、原論文の推論の繰りかえしではない。ずれているのである。たとえば、モーツアルトを聞きたいのに、ベートーベンをきかされるといった説明なのである。

 また、内山は、まえがきで次のように述べている。

 一般に自然科学に関する論文は、それを理解するためには、多くの予備知識が必要である。なかでも物理学の論文を読むには、数学に関する予備知識までも要求される。さらに相対性理論は、特にたくさんの数学的準備を必要とする。ところが、本書にとりあげた相対性理論の第1論文は、この予想に反して、初等数学の知識だけあれば、その基本的な考えが理解できるという、まことに珍しい、そして本書の目指すこと(原論文を「鑑賞」すること――引用者注)にまさに適合した貴重な論文である。アインシュタインの論文はどれでも、大変に簡明で、理解しやすい。しかしこの第1論文は、特にそうである。彼は、初歩的ともいえる、基本的な事項の再検討から出発し、中学生でもわかる初等代数や幾何学を用いて、相対性理論の根幹ともいえる重要な公式を導いている。その説明は、出発点となる前提から、目指す結論に到るまで、両者を結ぶ最短コースをたどって、実に平明な、しかし説得力にあふれた論旨で、読者をゴールまで引きずっていく。この論文は物理学の論文の模範として、それを志す者は必ず一読すべきものであると思う。これは科学論文として最高の傑作であり、その論旨の展開の美しさは芸術作品と称えても、決して過言ではない。

 「中学生でもわかる初等代数や幾何学を用いて、相対性理論の根幹ともいえる重要な公式を導いている」。信じられない紹介である。

 アインシュタインが、「初歩的ともいえる、基本的な事項の再検討から出発」しているのは事実だが、「中学生でもわかる初等代数や幾何学を用いて、相対性理論の根幹ともいえる重要な公式を導いている」わけでは決してない。事実は、大学生でもわかりにくい微分方程式を用いて、ローレンツ変換の公式を導いているのである。

 ローレンツ変換を微分方程式を使って導いたことが、1905年の「動いている物体の電気力学」を特徴づけているのである。

 アインシュタインは、これとは違うローレンツ変換の導き方を、『特殊および一般「相対性理論」について』の付記で示している。「ローレンツ変換の簡単な導き方」1918年である。

 こちらには微分方程式はなく、初等数学を使って導いている。その意味では簡単な導き方である。それでも中学生にはわからないだろう。高校生なら理解できるかもしれない。

 1905年の「動いている物体の電気力学」の導き方は、「ローレンツ変換の難解な導き方」といえるだろうが、アインシュタインは、わざとこの導き方を提示したわけではない。このときは他の選択肢はなかったのである。

 しかし、この導き方はこの論文だけでなく、相対性理論からも忘れられていったように思われる。

 アインシュタインの2つのローレンツ変換の導き方や教科書・一般向けの解説書の説明を見ていて、わたしは、湯川秀樹の『旅人』を思い出した。                  

 未知の世界を探究する人々は、地図を持たない旅行者である。地図は探究の結果として、できるのである。目的地がどこにあるのか、まだわからない。もちろん、目的地へ向かっての真直ぐな道など、できてはいない。
目の前にあるのは、先人がある所まで切り開いた道だけである。この道を真直ぐに切り開いていけば、目的地に到達できるのか、あるいは途中で、別の方向へ枝道をつけねばならないのか。
   「ずいぶんまわり道をしたものだ」
というのは、目的地を見つけた後の話である。後になって、真直ぐな道をつけることは、そんなに困難ではない。まわり道をしながら、そしてまた道を切り開きながら、とにかく目的地までたどりつくことが困難なのである。

 ローレンツ変換の導き方が、簡単になるのは、「後になって、真直ぐな道をつける」ことだからである。
 アインシュタインが「とにかく目的地まで」たどりついたとき、そこには微分方程式によるローレンツ変換の導き方があったのである。

 それを思いついた「時」を、想像してみよう。1922年の京都講演には次のような「ある麗しい日」の記憶が語られている。その日の夜に思いついたと限定できるのではないだろうか。

 けれどもこの光速不変は既に私たちの力学で知っている速度合成法則と相容れません。何故にこの二つの事柄はお互いに矛盾するのであろうか。私はここに非常な困難につき当たるのを感じました。私はローレンツの考えをどうにか変更しなければならないことを期待しながら、ほとんど一年ばかり無効な考察に費やさねばなりませんでした。そして私には容易にこの謎が解けないものであることを思わずにはいられませんでした。
 ところが[スイスの]ベルンにいた一人の私の友人[ミシェル・ベッソー]が偶然に私を助けてくれました。ある麗しい日でした。私は彼を訪ねてこう話しかけたのです。
 「私は近ごろどうしても自分にわからない問題を一つ持っている。今日はお前のところにその戦争を持ち込んで釆たのだ」
 と。私はそしていろいろな議論を彼との間に試みました。私はそれによって翻然として悟ることが出来るようになりました。
 次の日に私はすぐもう一度彼のもとに行ってそしていきなり言いました。
「ありがとう。私はもう自分の問題をすっかり解釈してしまったよ」
 私の解釈というのは、それは実に時間の概念に対するものであったのでした。つまり時間は絶対に定義せられるものではなく、時間と[光]信号速度との間に離すことの出来ない関係があるという事柄です。以前の異常な困難はこれですっかりと解くことが出来たのでした。
 この思い付きの後、五週間で今の特殊相対性原理が成り立ったのです。(「如何にして私は相対性理論を創ったか」安孫子誠也著『アインシュタイン相対性理論の誕生』参照)
 

 「時間と[光]信号速度との間に離すことの出来ない関係がある」という解釈の核心は、「時間の同調の定義を表した偏微分方程式」のことだったのではないかと思うのである。

 「時間の同調の定義を偏微分方程式に表す」過程をみておこう。

 「時間の同調の定義を偏微分方程式に表す」過程(桂愛景『基礎からの相対性理論』の113ページ)

 このように詳しく式が書いてあるとありがたい。式の移行をたどることができる。ここでは光の速さはcではなく、Vで表示してある。また、原‐7式とは岩波文庫での2番目の式である。桂愛景は次のように強調している。「一言だけ申し上げれば、本書が多くの数式で満たされ(結果としてむずかしそうな外観を呈し)ているのは、本書をできるだけやさしくしようとする意図によるものだということです」。その通りだと思う。
 
 さて、「動いている物体の電気力学」の原稿を、アインシュタインは棄てているようである。『神は老獪にして…』(アブラハム・パイス著/西島和彦監訳 産業図書1987)に、次のようにある。

 1943年の秋、アインシュタインは、当時プリンストン大学の図書館の司書であった、ジュリアン・ボイドの訪問を受けた。ボイドの訪問の目的は、6月論文(「動いている物体の電気力学」のこと――引用者注)の原稿を戦時公債売出しのための寄付として書籍・著者戦時公債委員会へ提供するように、アインシュタインに依頼することであった。アインシュタインは、出版した後で最初の原稿を棄ててしまったと返事をしたが、原文の写しを手書きで書いてもよいと付け加えた。この申し出は喜んで受け入れられた。アインシュタインはこの仕事を1943年11月21日に完成させた。委員会の主催で、この原稿は、1944年2月3日カソザス・シティで、カンザス・シティ女性市民クラブとカンザス・シティ戦時財政委員会の女性部門の後援のもとに、競売に付された。650万ドルでカンザス・シティ生命保険会社が入札を勝ちとった。その折に、アインシュタインとヴァレソティン・バーグマンの‘二重ベクトル場、と題する最初の不完全原稿が500万ドルで競売された。この出来事のすぐ後で、原稿は両方とも国会図書館に寄贈された。

 着目したいのは次である。

 6月論文の写しがどのようにして生まれたかを、へレン・ドゥカス(アインシュタインの秘書――引用者注)が私に話してくれた。彼女はアインシュタインの隣にすわり、原文を彼に口述したとのことであった。ある箇所で、アインシュタインはペンを置き、へレンの方を向き、そして彼女が口述したばかりのことを本当に自分が言っていたのかとたずねた。そうであることが確認されたとき、アインシュタインは「私はそのことをもっと簡単に言えたはずだ」と言った。

 「ある箇所」がどこかは、語られていない。しかし、わたしには、「時間の同調の定義を偏微分方程式に表す」場面だったと思われるのである。

参考文献

 アインシュタイン/内山龍雄訳『相対性理論』岩波文庫1988
 桂愛景『基礎からの相対性理論』サイエンスハウス 1988
 アインシュタイン/金子務訳『特殊および一般「相対性理論」について』白揚社 1991
 安孫子誠也『アインシュタイン相対性理論の誕生』講談社現代新書 2004
 アブラハム・パイス/西島和彦監訳『神は老獪にして…』産業図書1987