対話とモノローグ

        弁証法のゆくえ

「ネイピア対数から指数関数へ」

2024-06-26 | 指数と対数
「ネイピア対数を読み解く」を「ネイピア対数から指数関数へ」と改題した。すると、論点がはっきりして本文も改善されたように思った。この2年間、頭から離れなかった問題だった。3月ころ『数学・物理通信』に投稿した。矢野先生に取り上げていただき、今月号に載ることになった。

名古屋大学の谷村先生が『数学・物理通信』のアーカイブを公開されていて、そこにリンクを張ろうとした。ところが去年(2023年)から更改されておらず、12巻 8号 (2022年12月16日発行)で止まっていた。どうされたのだろう。少し心配になった。

とりあえず、自分のホームページを利用してリンクを張ることにした。
  14巻 4号 (2024年6月18日発行)

対数の底の表示が始まったのは?

2024-06-21 | 指数と対数
対数の底を下付き文字で表示するようになったのは、いつからだろうか。

いろいろな底があることがわかっていても、式に底を表示するのではなく、式はあくまでもlogだけの式で、底は式をかく前置き(前提)としてだけ表示されている。「底」を明確にしたオイラーも、「底」を式の中で表示しておらず式の外で表示しているだけである。

今でも対数はlogとだけ表示される場合が多く、それが自然対数(底e) か常用対数(底10)かは専門分野によって決まっている。

式の中に底を表示するのは教育的な(学習的な)処置にすぎないのだろうか。専門的には式に底を表示するのは煩わしいということなのだろうか。

対数と指数の関係のはじまり

2024-06-17 | 指数と対数
『数の大航海』(志賀浩二)によれば、対数と指数との関係について、明確になってきたのは、18世紀の前半になってからである。文献に明確に記されたのは、ガードナーの「対数表」(1742年)だという。「ある数の常用対数は、その数に等しい10の冪の指数である」。

これまで、この指摘の年は遅い気がしていた。しかし、この印象は、後知恵で冪指数を使って等比数列を表示することを前提にしていたからではないかと思うようになった。対数と指数の関係は指摘通り、1742年頃から明確になっていったのではないか。

志賀浩二によれば、指数を独立した記号として取り出すことはなかなかできなかったという。指数は、負と分数の指数の導入(1656年のウォリス)のような孤立した試みはあったが、統一的に捉えられることはなかった。平方や立方また平方根や立方根あるいは逆数などの数の演算は独立したもので、それぞれ個性があって冪として統一されるようなものではなかったようなのである。

「そのことを考えると、指数という一般概念が生まれるためには、指数が個々の数の演算を指示するという働きをひとまず失うことが必要であったと思われる。指数は、数そのものから切り離され、まず「変数」xとして、あるいは文字xとして登場してきたのである。」(志賀)

これはライプニッツやベルヌーイの間でx^y+y^x=xyのような式がやり取りされたことを指している。「冪」は変量として、変量の肩に上がり、指数は変量の世界に登場してきたという。

17世紀の終りに着目すると、指数概念はライプニッツとベルヌーイによって、算術的なものとは無縁な形(方程式や曲線の表示)で育てられていた。他方、対数は積分概念の中にその温床があり、解析の領域に属していた。

「ネイピア対数を読み解く」の修正

2024-06-07 | 指数と対数
「ネイピア対数を読み解く」は「ネイピア対数から指数関数へ」と改題したが、改めて読み直してみると、不十分なところがあり、修正している。

対数と指数との関係について、明確に書かれたのは1742年だという(志賀浩二参照)。「ある数の常用対数は、その数に等しい10の冪の指数である」。ある数「c」
  10b=c(10^b=c)、log10c=b(log_10c=b)
とても遅い感じがする。もうほとんどオイラーの時代である。

「ネイピア対数を読み解く」の「はじめに」と「あとがき」

2024-03-29 | 指数と対数
「ネイピア対数を読み解く」はすでに提示している。
      「ネイピア対数を読み解く」(PDF)

これを読みやすくするために「はじめに」を前置きし、あいまいな個所を補完するために「あとがき」を添えることにした。いずれPDFに取り込むつもりだが、とりあえず、「はじめに」と「あとがき」をブログ上に公開しておくことにした。「はじめに」と「あとがき」を読んだ後、「ネイピア対数を読み解く」をクリックして本論を読んでほしい。

はじめに

ネイピアの対数の定義は難解だった。志賀浩二『数の大航海』や 山本義隆『小数と対数の発見』に定義が引用されていたが、さっぱりわからなかった。それでも定義とその解説を行き来しているうちに、なんとか読みとれるようになってきた。「定義」に至る「等比数列と等差数列の対応」からたどると分かりやすくなるのではないかと思う。

ネイピア対数の全貌はこの2著に詳しいが、ここでは全体ではなく、数直線(線分と半直線)上の点の運動として「対数」を定義するネイピアの「発想」の1点に絞って考察する。

等差数列の進行に時間の規則的な経過を対応させたことが跳躍点だったと考える。そして、この観点は前2著に欠けているのではないかと思う。時間の規則的な進行は、ネイピア以降、小数表記の確立とともに、間隔が縮小し、そして連続していくようになる。ここに実数と関数の考えが確立していき、無限解析が可能になっていった。

10^7から0へと減少していく等比数列が、減衰していく指数関数になる過程に着目する。

あとがき

等比数列と等差数列の対応が関数の最初の姿だった。この対応を点の運動として表象するとき、ネイピアは数列の進行に時間を導入した。ここに定義が成立した。そしてこの時間を離散的なものから連続的なものへと稠密していく過程でネイピア数eが現れてきた。

時間とともに減少する等比数列が減衰する指数関数に変化する過程を次の2節で構成した。
  1 ネイピア対数の定義を導く
  2 ネイピア数eが現れる
1はネイピアの対数の発想を端的に捉えたもの、2は「運動現象の数学的取扱い」の端緒(ガリレイの先駆者)を着目したものである。2に、ネイピアが想定した等比数列を小数表記(小数点の位置を7桁左に移動する)する際の式変形が出て来るが、この変形の背景にふれる必要があると感じるようになった。ここを補完しておきたい。

ネイピアの対数概念の提出以降、対数は2つの道に分かれている。常用対数と自然対数である。

ネイピアによる対数の提起は数計算を簡略することにあった。しかし、ネイピア対数は十進記法と相性が悪かった。例えば、同じ数字の配列の数で小数点の位置が違う数に対する補整が複雑になっていた。改善が求められた。数計算の方はブリッグスの常用対数にとって代わった。常用対数にはネイピアも関係していた。(このとき、ネイピアは等比数列と等差数列の対応というアイデアを放棄していると志賀浩二は述べている。)

常用対数は、底・指数・対数・真数の関係を明確にしていく契機となっていると思う。
  ab=c(a^b=c)、logac=b(log_ac=b)
において、aは底、bは指数=対数、cは真数である。これは等比数列のなかから、初項1、公比a、項の順番bの等比数列の項cに着目したものである。それは等比数列と等差数列の対応を1点で取り上げたものとみることができる。

他方、等比数列と等差数列の直接の連続的な対応は、数ではなく幾何(直角双曲線の面積と横座標)に現れてきた。ヴンセント(発見、端緒)にはじまり、メンゴリは区間縮小法によって対数の存在を実数上で確認する。また、メルセンヌは対数を無限級数で表し、双曲線のグラフの面積として与えられる対数を自然対数と述べる。そして、ニュートンは双曲線の面積を無限級数と積分を通して明確にした(志賀浩二『数の大航海』6章無限解析への序曲、参照)。こちらの方から、連続複利の形(ヤコブ・ベルヌーイ,1683 年)として、また,対数が1 となる数c(ヨハン・ベルヌーイ,1697 年)として、ネイピア数は出現してきている。

常用対数から底・指数・対数・真数への流れを「等比数列と等差数列の対応」の抽象としてみることができるだろう。他方、自然対数による双曲線の面積の把握は「等比数列と等差数列の対応」の「具体」化とみることができる。

ネイピアの等比数列(初項10^7)を小数表記(小数点の位置を7桁左に移動する)する際の式の変形は、2つの「等比数列と等差数列の対応」が合流することによって可能になったといえるだろう。

      「ネイピア対数を読み解く」(PDF)

「ネイピア対数を読み解く」2

2024-01-30 | 指数と対数
「ネイピア対数を読み解く」において、時間とともに減衰する等比数列が減衰する指数関数に変化する過程を次の2節で描いた。
  1 ネイピア対数の定義を導く
  2 ネイピア数eが現れる
 「ネイピア対数を読み解く」(PDF)
1はネイピアの対数の発想を端的に捉えたものとして、2は「運動現象の数学的取扱い」の端緒(ガリレイの先駆者)を明確にしたものとして、ある程度満足してきた。しかし、1と2には断絶があるような気がしてきた。それはネイピアが想定した等比数列を小数表記(小数点の位置を7桁左に移動する)する際の式変形の根拠があいまいなことではないかと思っている。ここを補完したいと思っている。

ネイピアの対数概念の提出以降、対数は2つの道に分かれている。常用対数と自然対数である。

ネイピアによる対数の提起は数計算を簡略することにあった。しかし、ネイピア対数は十進記法と相性が悪かった。例えば、同じ数字の配列の数で小数点の位置が違う数に対する補整が複雑になっていた。改善が求められた。数計算の方はブリッグスの常用対数にとって代わった。常用対数にはネイピアも関係していた。(このとき、ネイピアは等比数列と等差数列の対応というアイデアを放棄していると志賀浩二は述べている。)

常用対数は、底・指数・対数・真数の関係を明確にしていく契機となっていると思う。
  ab=c(a^b=c)、logac=b(log_ac=b)
において、aは底、bは指数=対数、cは真数である。これは等比数列のなかから、初項1、公比a、項の順番bの等比数列の項cに着目したものである。それは等比数列と等差数列の対応を1点で取り上げたものとみることができる。

他方、等比数列と等差数列の直接の連続的な対応は、数ではなく幾何(直角双曲線の面積と横座標)に現れてきた。ヴンセント(発見、端緒)にはじまり、メンゴリは区間縮小法によって対数の存在の実数上で確認する。また、メルセンヌは対数を無限級数で表し、双曲線のグラフの面積として与えられる対数を自然対数と述べる。そして、ニュートンは双曲線の面積を無限級数と積分を通して明確にした(志賀浩二『数の大航海』6章無限解析への序曲、参照)。こちらの方から、連続複利の形(ヤコブ・ベルヌーイ,1683 年)として、また,対数が1 となる数c(ヨハン・ベルヌーイ,1697 年)として、ネイピア数は出現してきている。

常用対数から底・指数・対数・真数への流れを「等比数列と等差数列の対応」の抽象としてみることができるとすれば、自然対数による双曲線の面積の把握は「等比数列と等差数列の対応」の「具体」化とみることができる。減衰していく等比数列の式変形によるネイピア数の出現はこの2つの流れが合流することによって行われたということができる。

1と2の間に1節挿入するか、1、2のまま、脚注で補完するか、迷っている。

「ネイピア対数を読み解く」

2023-12-14 | 指数と対数

ネイピアの対数の定義は難解だったが、昨年あたりから読みとれるようになってきた。「定義」に至る「等比数列と等差数列の対応」からたどると分かりやすくなるのではないかと思う。 志賀浩二『数の大航海』と 山本義隆『小数と対数の発見』を参考にして展開する。ネイピア対数の全貌はこの2著に詳しいが、ここでは全体ではなく、数直線(線分と半直線)上の点の運動として「対数」を定義するネイピアの「発想」の1点に絞って考察する。

等差数列の進行に時間の規則的な経過を対応させたことが跳躍点だったと考える。そして、この観点は前2著に欠けているのではないかと思う。時間の規則的な進行は、ネイピア以降、小数表記の確立とともに、間隔が縮小し、そして連続していくようになる。ここに実数と関数の考えが現れ、無限解析が可能になっていった。

10^7から0へと減少していく等比数列が、減衰していく指数関数になる過程を寸描する。

「ネイピア対数を読み解く」

   1 ネイピア対数の定義を導く

   2 ネイピア数eが現れる

      「ネイピア対数を読み解く」(PDF)

これは、「ネイピア数eの導入を読み解く」付録4「ネイピア対数の定義とネイピア数 e の導出 」を書き直したものである。


ネイピア対数定義導出のきっかけ2

2023-08-11 | 指数と対数

 『数の大航海』に「幾何数列と算術数列との対応という最初のモティヴェィションを、数直線から数直線への対応という連続関数の概念の中に溶けこませることに成功した」とあった。しかし、「等比数列と等差数列の対応」がどのように「数直線から数直線への対応」になったの かは明確ではないようにみえた。

ネイピア対数すなわち時間的な「等比数列と等差数列の対応」の前に、空間的な「等比数列と等差数列の対応」の足場を作ることによって、明確にしようと思った。


ネイピアが捉えていた動点の動き

2023-06-19 | 指数と対数
運動現象の数学的取扱い(無限小解析)はガリレオから始まるとされているが、山本義隆はネイピアの対数の定義にその先駆けを見ている。ネイピア は、対数を数直線上の点の運動によって定義しているからである(対数を連続関数として捉えていた)。山本はネイピアの対数の定義に対して、「時代錯誤ではないだろう」として、微分方程式を提示している(『小数と対数の発見』p152)。

志賀浩二(『数の大航海』)はもう少し慎重である。「何よりも何よりも厄介なのは当時連続的に動く動点、また動点の速さという概念が記述できなかったことにある」。しかし、ネイピアは動点の動きを明確に捉えていたという。

実際、「記述」(1614年)における定義6(対数の定義)の直前の定義5には「瞬間の速さ」ともいうべき記述がある。

「定義5 ある運動よりも、一層 ゆっくりした運動も、また一層速い運動も与えられ得るということを知るときには、そのことからその運動に等しい速さをもつ運動も存在するということが結論できる(それをわれわれは速くもなく遅くもない運動という)。」