対話とモノローグ

        弁証法のゆくえ

ひろがるかたち、つながるかたち

2010-03-28 | 弁証法

 「ひらがな弁証法」を読みなおしていて、弁証法の共時的構造と通時的構造がひらがなになっていないことに気づいた。

 たしかに、弁証法の共時的構造を「ひらいて、むすんで」とあらわしている。しかし、これは「論理的なもの」に動きに着目したもので、「共時的構造」自体を表現していない。

 同じように、弁証法の通時的な構造を「ふたつを、ひとつに」あらわしているが、やはりこれも「論理的なもの」の動きに着目したもので、「通時的構造」自体ではない。

 共時的構造を、「ひろがるかたち」と表わそうと思う。また、通時的構造を「つながるかたち」の表わそう。

 弁証法の共時的構造は、弁証法を「対話をモデルとした思考方法」と捉える考え方(中埜肇氏が『弁証法』で主張していた見解)に基づいている。一方、弁証法の通時的構造は、弁証法を「認識における対立物の統一」と捉える考え方(上山春平氏が『弁証法の系譜』で主張していた見解)に基づいている。

 わたしは「論理的なもの」に、自己表出と指示表出という2つの側面を想定して、これを媒介にして、「対話をモデルとした思考方法」と「認識における対立物の統一」を、それぞれ「弁証法の共時的構造」と「弁証法の通時的構造」に止揚したのである。

 まとめておこう。

 弁証法の共時的構造は、「二個の主体」「「媒介性と相補性」など中埜肇が対話の特徴としてあげた要素をアルファベットと矢印で表示し、選ばれた2つの「論理的なもの」の自己表出と指示表出(中央にある bi + a と c + di)から、混成モメント(両側の a + di と c + bi) が形成される構造を表現している。

c bi + a di
+       +
bi c + di a

 これを「ひろがるかたち」と表わす。

 弁証法の通時的構造は、認識における対立物の統一の過程を表わしたもので、いわゆる正反合の図式に対置している構造である。A =a+bi と A' =c+di を、複素数の掛け算をモデルにして、B=x+yi として複合する過程を表現している。

1(選択) A =a+bi
A' =c+di
2(混成) A×A' =(a+bi)×(c+di)
≒(a+di)×(c+bi)
3(統一) =(ac-bd)+(ab+cd)i
=x+yi
=B

 これを「つながるかたち」と表わす。


詩のなかの「弁証法試論」

2010-03-07 | ノート

 「弁証法試論」というタイトルは、2003年に弁証法の新しい理論を提出しようとしたときにつけたものである。論じるターゲットの「弁証法」、問題提起の「試論」、あわせて「弁証法試論」である。これまでありそうだがなかった題名である。吉本隆明の「マチウ書試論」と寺沢恒信の「弁証法的論理学試論」が念頭にあった。

 試論の一つの目標はヘーゲルが提起しマルクス主義者が受け継いできた弁証法の考え方をくつがえすことである。

 思弁的な論理学は単なる悟性の論理学を含んでいるから、前者から後者を作り出すのは、わけのないことである。それには前者から弁証法的なものと理性的なものとを取去りさえすればいい。(ヘーゲル『小論理学』)

 悟性の論理学から思弁的な論理学を構築する。これがヘーゲルが提起した弁証法である。ヘーゲルは、「悟性」を基礎に 「弁証法的なもの」と「理性的なもの」を想定する。

 この想定によって弁証法の歴史は大きく変った。誤った弁証法の考え方が広がっていくことになったのである。

 正常な弁証法をとり出すために、思弁的な論理学から、「弁証法的なもの」と「理性的なもの」を取り去る。「論理的なものの三側面」の規定を解体し再構成する。これがわたしが提起する弁証法である。これが「弁証法試論」というタイトルに込めたわたしの思いである。

 「弁証法試論」は、また、わたしのホームページのタイトルでもある。

 現在、「弁証法試論」で検索すると、わたしのホームページを真っ先に指示するが、この続きを追っていて、「弁証法試論」ということばが詩のなかにあることを知った。亡夫への思いを綴った山本倫子氏の「八十歳から何を」という詩である。夫が亡くなった3ヶ月後のある日、夫の本の中から一枚のメモが出てくる。メモを見て夫の向学心に感心する。夫の晩年、臨終のときの記憶が甦ってくる。

八十歳から何を   山本倫子

枕元に数冊積んである亡夫の   
古い本を一冊取り上げた
青空に白い雲が浮かび
俯瞰図のように下部には山脈(やまなみ)があり
ここ伊賀のような盆地がうっすら見える
このようなカレンダーの絵を使ったカバーの
 背には弁証法試論と
書かれた硬い字が雲を抑えている
カバーのかかった表紙をめくると
赤いインクで書かれたメモが
カバーの奥からチラと見えた
十六文字で
八十歳から何をなぜどう勉強するか
逝ってから三ヶ月目に出て来たメモだ
八十歳から何を?

ああ彼はまだまだ生きるつもりだったのだ
体重は三十二㌔を割り
骨と皮といっても過言ではない体で
ふらつく足腰でトイレにも行き
健康を保つため運動のためといって
一日に四、五回も風呂に入った

亡くなる前の晩は そう終焉の食事は
白粥と梅干とやわらかいちりめんじゃこと
すりおろしたリンゴ二分の一を
ああ おいしい といって たべた
だから彼はまだまだ生きるつもりだったのだ
朝風呂で眠るように死んでしまったけれど
まだまだ生きて
まだまだ勉強したかったに違いない

若いときから手離さなかった古い本だ
開くと目次のところからもうびっしりと
書き込みがしてあって
一頁一頁行間には
アンダーラインやかこみはもちろん
上部下部の余白には几帳面な字で
頁ごとにまとめが書いてある
この一冊 読み終えるまで何日かかるだろう
ああ でも わたし
八十歳までには まだ数年はあります

 実をいうと、この詩のなかの「背には弁証法試論と書かれた硬い字」の部分はこれまでも検索したときに出てきていて、いったいこれは何なのだろうと疑問に思っていた。先月はじめて山本倫子氏の詩のなかの一節だとわかったのである。この前後はこれまで出てこなかったと思う。この詩は「山の街から」(永井ますみ氏による現代詩のページ)の「詩書の立ち読み」のコーナーで取り上げられているものである。山本倫子詩集「落花相殺」

 この詩が良いのかどうかはよくわからない。ただ、描写はしっかりしていて、亡き夫への思いは伝わってくる。   

 さて、わたしの関心は「弁証法試論」である。

 どうして「弁証法試論」と書いてあるのだろうかと思う。というのは、日本には印刷された『弁証法試論』という本は存在しないからである。山本家にある本は、最後の連から推測すると、寺沢恒信著『弁証法的論理学試論』(1957年 大月書店)ではないかと思う。

 しかし、几帳面な人が、「弁証法的論理学試論」を「弁証法試論」と省略するだろうか。カバーには、「弁証法的論理学試論」と書かれているのではないだろうか。すると、山本倫子氏が書き間違えたことになるが、しかし、これもありそうもない。

 やはり「弁証法試論」と書いてあるのだろう。考えてみれば、中身と同じタイトルを書く必要はないのである。本文を理解するためさまざまに書き込んでいくうちに、新たな弁証法の理論の構想が生れた。そして本文と書き込みをあわせて、「弁証法試論」と書いたのではないだろうか。

 もちろん山本氏の弁証法は、ヘーゲル弁証法の延長線上で考えられていただろう。それはわたしの試論とは異なっている。しかし、どうやら「弁証法試論」というタイトルは、わたしより山本氏がさきに書いたものと思われる。

 八十歳から何をなぜどう勉強するか

 壮大に展望していたのだと思う。

青空に白い雲が浮かび
俯瞰図のように下部には山脈(やまなみ)があり
ここ伊賀のような盆地がうっすら見える
このようなカレンダーの絵を使ったカバーの
 背には弁証法試論と
書かれた硬い字が雲を抑えている

 詩のなかの「弁証法試論」。どういう弁証法を見ていたのだろうと思う。