対話とモノローグ

        弁証法のゆくえ

正反合の過渡性

2005-07-02 | 弁証法
目次

 はじめに
 1 ヘーゲル弁証法の出現
 2 論理的なものの三側面
 3 正反合について
 4 存在の弁証法から認識の弁証法へ
 5 認識の弁証法
 6 認識における「論理的なものの三側面」の影響
 7 弁証法の必要条件

はじめに

 弁証法に取り組み始めたころ、わたしは対立物の統一を「止揚」と思い込んでいて、対立物の統一を「矛盾」と捉える考え方に気づいたとき、驚いた経験があります(対話とモノローグ「対立物の統一」参照)。 調べていくうちにわかってきたのは、次のようなことでした。
 1 対立の統一を矛盾と考える立場と止揚と考える立場の二つがあること。
 2 矛盾と考える立場では、対立関係を相関関係と捉えていること。他方、止揚と考える立場では、対立関係を二つの認識と考えていること。

 ここで相関関係とは、磁石のN極とS極や相対的価値形態と等価形態のような関係をさしています。他方、二つの認識とは、光の粒子説と波動説のようなある対象に関する対立する二つの理論をさしています。最初にヘーゲルが弁証法を構想したとき、対立関係は、松村一人が指摘しているように、相関関係を意味していたと思われます。「ヘーゲルが言う対立の統一における対立とは、相互に連関しあって不可分のモメントであるが、同時に排除しあい或いは対立しあう両端なのである」(『ヘーゲルの論理学』)。
 また、対立物の統一とは、島崎隆が指摘しているように、矛盾を意味していたと思われます。〈「対立物の統一」とは相互依存性と相互反発性の両立であり、その意味で矛盾そのものである〉(『ヘーゲル弁証法と近代認識』)。
 
 それではどのように、対立関係は、相関関係だけではなく二つの認識を含むようになったのでしょうか。また、対立物の統一は矛盾ではなく、止揚という意味をもつようになったのでしょうか。

 わたしは、正反合の図式の定着という次のような仮説を想定しました。(『弁証法試論』第4章 新しい弁証法の基礎

対立関係として最初に想定されていたのは相関関係である。ヘーゲルは相関関係を基礎にして弁証法的進展を構想する。そして「論理的なものの三側面」を定式化する。
この「論理的なものの三側面」が、正反合(テーゼ・アンチテーゼ・ジンテーゼ)と定式化されることによって、テーゼ(主張・命題)が対立関係にはいりこみ、対立関係の範囲が拡大する。つまり、対立関係として見解・命題・主張・認識が想定できるようになる。


 この仮説では、正反合の定着によって、「対立関係」や「対立物の統一」の内容に違いが出てきたことについてはふれていますが、「正反合」の図式がどのような根拠で成立したのかについては、述べていません。この点を補いながら、「論理的なものの三側面」と「正反合」について、検討していきたいと思います。

 正反合の図式は、ヘーゲル弁証法の要約ではありません。むしろ、この図式は、ヘーゲル的でない弁証法への第一歩と考えるべきだと主張したいと思います。

1 ヘーゲル弁証法の出現

 岩崎武雄は、ヘーゲルが弁証法というものを考えたのは、独自の絶対者観と密接に連関していたと指摘しています。それは、ヘーゲル弁証法が、スピノザ・カント・フィヒテ・シェリングの批判的継承として形成されたということを意味していると思われます。ヘーゲルは、絶対者を次のように考えていたといいます。(岩崎武雄編 『ヘーゲル』世界の名著44 参照)

 ヘーゲルの考える絶対者とは決して有限者に対立するものではない。それは有限者の彼岸に存するものでもなく、また有限者の根底に自己同一的に存するものでもない。むしろそれは有限者を自己のうちに包み込んだものである。有限者の変化を通じて絶対者は自己を実現してゆくのである。したがって絶対者は有限者を離れては存しえないのであり、有限者は絶対者の本質的な契機となるのである。

 ここで絶対者を有限者の彼岸に存すると考えていたのは、カントやフィヒテです。例えばカントは、絶対者は認識の対象にはなりえず、われわれは有限の世界(現象の世界)を認識できるだけと考えました。フィヒテは絶対的自我という考えを提出しましたが、これはわれわれの行為の実現すべき目標であって、現実に実現できるものとは考えませんでした。
 他方、有限者の根底に自己同一的に存するとか考えていたのはシェリングです。シェリングは、絶対者は悟性的認識ではとらえられず、知的直観によって一挙にとらえられると考えたといいます。

 これらの考え方を批判して、ヘーゲルは、絶対者を有限者と対立するものではなく、有限者の全体のなかに自己を実現すると考えました。絶対者を「みずから生成していく現実的な主体」(『精神現象学』)と考えました。
 
 この絶対者をどのように認識するかという試みから弁証法が出現しました。そして、それは「論理的なものの三側面」として定式化されたと考えられます。

 ヘーゲルは、制約のある悟性的段階から始め、否定の否定によって、理性的段階へと進展していくという過程を想定しました。ヘーゲルはカントの悟性と理性の区別を継承します。そしてこの区別を克服するものとして、「否定的理性」を想定しました。いいかえれば、「理性」を「否定的理性」と「肯定的理性」に分け、「否定的理性」に「悟性」の一面性・有限性を否定する役割を担わせました。他方、「肯定的理性」には、全体性・無限性を把握する役割を担わせました。

 「悟性」と「否定的理性」を連結する根拠として、ヘーゲルはスピノザの規定論を想定しました。「否定的理性」の「否定」とはスピノザの規定論に由来していると思われます。このように、有限者を絶対者の本質的な契機とする弁証法が出現したと思われます。

 「論理的なものの三側面」がどのように形成されたかについては、 「論理的なものの三側面」の形成について を参照してください。 カントの二律背反の拡張とスピノザの規定論の拡張によって形成されたという考えを展開しています。

2 論理的なものの三側面
 
 「論理的なものの三側面」の規定は『小論理学』の79節から82節にかけて展開されているものです。次のような三側面の構造と三段階の進行をもっています。
 (1)抽象的側面あるいは悟性的側面
   ――悟性としての思惟は固定した規定性とこの規定性の他の規定性に対する区別とに立ちどまっており、このような制限された抽象的なものがそれだけで成立すると考えている。
 (2)弁証法的側面あるいは否定的理性の側面
  ――弁証法的モメントは、右に述べたような有限な諸規定の自己揚棄であり、反対の諸規定への移行である。
 (3)思弁的側面あるいは肯定的理性の側面
  ―― 思弁的なものあるいは肯定的理性的なものは対立した二つの規定の統一 、すなわち、対立した二つの規定の解消と移行とのうちに含まれている肯定的なものを把握する。

 「論理的なものの三側面」の規定は、「対立する一項の内在的否定による進展」(松村一人)と表現できると思います。「論理的なものの三側面」で想定されている対立関係は相関関係であり、対立の統一は矛盾と考えられます。
 例えば、それは次のような理解の仕方です。(『ヘーゲル用語辞典』参照)
 弁証法的理性ないし否定的理性の働きは、上記の悟性の立てた分離的で固定的な諸規定がじつはそれ自身では成り立たないことを示すことである。たとえば、「生」とはなにかを論ずるとき、「死」について考えざるをえない。だが逆に、死は生の帰結だから死は生を前提する……。ここでは一種悪循環的な堂々めぐりが生じ、悟性的思考は破綻する。対立項への転化という動揺状態を描くのが、つぎの否定的理性の段階である。ここでは安定した認識は成立していない。そして最後の思弁的ないし肯定的理性の働きは、否定的理性によって分裂や悪循環に陥った認識のなかから肯定的成果を取り出し、高次元の立場で対象を諸規定の具体的統一、対立物のダイナミックな統一(いまの例では、生と死の相互前提的な統一のこと) として把握するものである。ここではじめて事物に内在する弁証法的矛盾が捉えられる。この矛盾こそがじつは論理の展開を駆り立てていたものである。


 この矛盾は、アリストテレスの矛盾ではありません。ヘーゲル独自の弁証法的矛盾です。それは矛盾律の誤った適用に基因する見せかけの矛盾です。この点については『弁証法試論』第4章 新しい弁証法の基礎 3 松村一人の矛盾論 を参照してください。
 「論理的なものの三側面」は、岩崎武雄の表現でいえば、存在と認識の弁証法です。存在の弁証法とは、存在に矛盾が実在するという考え方を指しています。存在を把握するためには、矛盾律を放棄しなければならないと考えるものです。これに対して、認識の弁証法とは、認識の展開の仕方に限定したもので、矛盾律を前提にしているものです。

3 正反合について

 正反合の図式は、ヘーゲルの定式ではありません。だれが、いつ、いい始めたのかは、わかっていないようですが、フィヒテの自我の活動の三段階と対照させて、第三者によって、定式化されたもののようです。
 フィヒテの自我の活動の三段階とは次のようなものです。

  1  自我はみずからを措定する。
  2  自我は非我を措定する 
  3  自我はみずからのうちで可分的な自我に対して可分的な非我を対立させる。 

 フィヒテは、この三つの命題を、それぞれ、定立 Thesis、反定立Antithesis、総合Synthesisと呼びました。

 さて、「正反合」と「論理的なものの三側面」を直接に対応させることは、共通の認識ではありません。直接の対応とは、正反合に三段階の進展を次のように一対一に対応させるものです。

  「正」(定立 Thesis)――抽象的側面あるいは悟性的側面
  「反」(反定立Antithesis)――弁証法的側面あるいは否定的理性の側面
  「合」(総合Synthesis)――思弁的側面あるいは肯定的理性の側面

 わたしはこの対応がもっとも自然な解釈と考えますが、武市建人は、正反合について別の解釈をしています。『弁証法試論』7章 「即自―対自―即かつ対自」と媒介の論理 を参照してください。また、正反合の解釈の多義性については『弁証法試論』 8章 新しい弁証法の理論を参照してください。


4 存在の弁証法から認識の弁証法へ 

 岩崎武雄は、絶対者についてのヘーゲル的な考え方を否定しても、認識の展開の仕方として弁証法を考えることができると主張しています。
 ヘーゲルが弁証法ということを考えたのは、すでに述べたとおり、その独自の絶対者観によるものであったろう。かれの絶対者とはその認識の方法としてまさに弁証法を要求するものであったのである。しかし弁証法は決してヘーゲル的な絶対者観と離れがたく結びついているものではない。われわれは絶対者についてのヘーゲル的な考え方を否定しても、弁証法という考え方をとることができる。むしろ弁証法はわれわれの日常の認識においても常に見出される認識の展開の仕方であると言うべきであろう。

 認識の展開の仕方としての弁証法とは、「自分の認識の誤りを自覚することによってその考えを改め、しだいに真なる認識を目ざして進んでゆく」過程に限定されたものです。岩崎はこれを哲学においても自然科学においても観察できると想定しています。
 
 この認識の展開の仕方としての弁証法こそが、「論理的なものの三側面」を正反合へと定式化していく根拠ではなかったかと思われます。すなわち、正反合の図式は、絶対者についてヘーゲル的な考え方を否定して、認識の展開の仕方として捉えようとする方向で定式化されたと思われます。

 その核心は、ヘーゲルの見せかけの矛盾を排除することにあった考えられます。すなわち、ヘーゲル独自の絶対者観と結びついた存在と認識の弁証法から、存在の弁証法を切り捨てることにあったと思われます。いいかえれば、弁証法を矛盾律を前提にして構築していくことにあったと考えられます。つまり、弁証法を矛盾の論理ではなく、矛盾克服の論理として定式化することにあったと思われます。
 
 それゆえ、正反合の図式はヘーゲル自身から言い出せるものではなく、第三者の定式化でなければならなかったと思われます。

 また、矛盾の論理としてヘーゲル弁証法を継承するマルクス主義の研究者から反発を受けやすい図式と考えられます。例えば、島崎隆は次のように述べています。「哲学・思想の分野において、弁証法ほどオリジナルとその通説的理解がかけ離れたものはない。ヘーゲルは弁証法を「正・反・合」の単純な図式で説明などしていない。」
 島崎は、正反合では、ヘーゲル弁証法のもつ疎外からの回復や自由の論理が切り捨てられていて、この単純な図式はオリジナルとくらべて後退していると考えているのではないかと思われます。しかし、正反合の図式は、弁証法理論の発展からいえば、後退しているのではなく、前進であると思われます。

 わたしは、「論理的なものの三側面」を「正反合」と定式化したのは、人類の知恵だったのではないかと考えています。それは歪曲された矛盾論を排除し、弁証法を正常な位置に設定し直す方向を示しているのではないかと思われます。

5 認識の弁証法

 認識の展開の仕方として弁証法が「認識の弁証法」です。岩崎武雄は、ヘーゲル弁証法とは本来認識の三段階的発展を意味するものであって、矛盾律を否定するような特別な論理ではないと注意しています。
 何よりもまずわれわれは矛盾というものが認識の弁証法的展開において、その第二の段階においてあらわれるということを考えねばならない。それは悟性的・抽象的思惟が必然的に陥る段階であった。したがって矛盾というものはわれわれの思惟の展開においてきわめて重要な意義を持つのである。しかしこの矛盾の段階は決して最終段階ではない。それはさらに第三の思弁的段階によって克服されてゆかねばならぬ段階なのである。そしてこの第三の段階において、その矛盾は止揚されるのである。第二の段階は第一の段階の否定であり、第三の段階はさらに第二の段階の否定、すなわち否定の否定であるが、ヘーゲルはその『大論理学』の最後の「絶対的理念」の箇所で、否定の否定は矛盾の止揚である、とはっきり明言している。
 もしも弁証法というものが矛盾律を否定し、矛盾を認める論理であるとするならば、われわれの認識はどうして第二の矛盾的段階を越えて、さらに第三の段階に進んでゆかねばならないのであろうか。むしろわれわれは第二の矛盾的段階こそ真理であると考えて、ここにとどまるべきなのではないであろうか。第二の段階を越えて第三の段階へ進んでゆかねばならないのは、まさに矛盾が止揚されなければならないからにほかならない。矛盾を認めることができないからにほかならない。第二の段階で矛盾に逢着するとき、われわれの思惟はどうしてもこの矛盾に耐えることができない。この矛盾をなんとかして解決しなければならないのである。それゆえにこそ、われわれの思惟は第三の段階へと進んでゆく。第三の段階において矛盾は解決され止揚されるのである。矛盾律の正しさはヘーゲルの弁証法においてもその前提となっていると言わねばならない。

 岩崎が主張しているのは、ヘーゲル弁証法は認識の三段階的発展を意味していて、矛盾律を前提しているということです。対立関係は二つの認識で、第二段階で現われた矛盾が第三段階で解決され、「対立物の統一」は「止揚」であるという考え方です。わたしがここで主張しているのは、岩崎武雄が指摘している内容が、正反合の定式の根拠になっていたのではないかということです。ヘーゲルが矛盾律を前提して弁証法を考えたかどうかには関係ありません。

 岩崎は「第二の段階を越えて第三の段階へ進んでゆかねばならないのは、まさに矛盾が止揚されなければならないからにほかならない。矛盾を認めることができないからにほかならない」と強調しています。しかし、これは、岩崎が矛盾を「思惟において両立することのできない二つの規定のあいだの関係」と考える立場からなされていることに注意しなければならないと思います。すなわち、かれは、矛盾をアリストテレスの矛盾と考えているから、第二段階から第三段階への進行が矛盾の克服、止揚に見えてくるのです。これは「論理的なものの三側面」に対する新しい解釈なのです。オリジナルとは違っているのです。

 オリジナルでは、ヘーゲルが想定する弁証法的矛盾を実現するために、第二段階から第三段階への進行が想定されているのです。矛盾の論理を完成させるために、第二段階から第三段階へ進行していくのです。

 第二段階から第三段階へ進むことは、ヘーゲルの弁証法においても矛盾律の正しさが前提となっていることを意味しないのです。すなわち、矛盾の内容が異なっているのです。オリジナルでは、対立物の統一が矛盾、その対立関係は相関関係なのです。しかも、ヘーゲルは、第一段階から第二段階(反対の諸規定への移行)、また第二段階から第三段階(対立した二つの規定の統一 )への移行も弁証法的矛盾と考えています。これは「相関関係」を矛盾とする考えとは異なった性格をもっていますが、これも「論理的なものの三側面」で想定されている矛盾です。 

 このような「論理的なものの三側面」を貫いている弁証法的「矛盾」に対して、アリストテレスの「矛盾」を対置し、認識の三段階論として「論理的なものの三側面」を再構築しようとしたのが、正反合の定式化の試みだったと思われます。

 正反合によって、第三段階は「矛盾」から「止揚」に替わったと思われます。いいかえれば、対立物の統一は「止揚」という意味を持つようになったと思われます。
 また、対立関係は相関関係だけではなく二つの認識が想定できるようになったと思われます。
 一言でいえば、弁証法は矛盾の論理ではなく、矛盾克服の論理となる可能性をもち始めたと考えられます。
 
 正反合はヘーゲル弁証法の本質を保存したコンパクトな図式ではないのです。正反合はヘーゲル弁証法と連続しているのではなく、断絶していると思われます。正反合はヘーゲル的でない弁証法への第一歩であると考えたほうがいいと思われます。それは、存在の弁証法によって、混乱におちいった弁証法的な「矛盾」の考え方を、アリストテレスの矛盾律を前提にすることによって、弁証法を認識の弁証法として、矛盾克服の論理として設定し直す方向を示したと考えられます。

6 認識における「論理的なものの三側面」の影響

 「論理的なものの三側面」の枠組みは、きわめて強固なものです。認識の弁証法に限定しても、「論理的なものの三側面」の進行の形式が、認識の展開を制約してくるのです。

 例えば、岩崎武雄でいえば、第二段階で現われてくるのはアリストテレスの矛盾であるにもかかわらず、これを「悟性的・抽象的思惟が必然的に陥る」ものと考えています。「必然的に陥る」と考えているところに「論理的なものの三側面」の影響を見ることができます。

 もう一人、廣松渉の場合で「論理的なものの三側面」の影響を見ておきましょう。
 廣松渉は『弁証法の論理』のなかで、「論理的なものの三側面」の進行を「実際には、学理的"認識"の進展が物象化されて表象されたものであり、そのかぎりでは、認識の合規則的な展開相に応ずるもの」と捉えています。そして次のように述べています。
 では、この悟性規定の準位から、認識は何故また如何にして、合規則的に次のステップに進んでいくのか? このさい、次のステップというのが高次の準位であることが一つの論点です。同じ準位内での進行であれば、分析的精緻化とか、比較校合による整序とか、さらには、同一の埒内での悟性的推理とか、こういう機制によって進捗が生じえます。が、今問題にしているのは、悟性的な次元そのものを超える進展です。
 考えてみれば、しかし、悟性的規定の準位に甘んじてしまう認識がむしろ"常態"といえるほどですから、この準位からの踰越が何故また如何にして合規則的・必然的に生ずるのかという設問は、非常な大問題です。

 悟性的段階から否定的理性的段階への踰越に合規則性・必然性を想定しています。しかし、悟性規定の準位から弁証法的準位へという進展は、スピノザの否定論を拡張することによって、絶対者を把握しようとする試みのなかで仮構された要請であって、ここには、規則性も必然性も存在しないと思われます。廣松がここで取り上げている問題は、「論理的なものの三側面」の解体と同時に、消滅してしまう問題だと思われます。

7 弁証法の必要条件

 岩崎武雄は「存在の弁証法」は成立しないが、「認識の弁証法」は成立すると主張しました。かれの考えた弁証法は、「矛盾の論理」ではなく、「矛盾克服の論理」でした。わたしは、これを「論理的なものの三側面」が「正反合」の定式化された理論的な根拠と考えます。

 しかし、岩崎の「認識の弁証法」は、ヘーゲル弁証法に呪縛されていると考えます。例えば、次のような箇所によく現われていると思います。(『弁証法』参照)
 弁証法とは通常矛盾の論理として解せられていたごとく何らかの意味で矛盾に関係したものでなければならない。

 認識の展開過程はそれが弁証法的でもあり得るというのではなく、本質的に弁証法的なのである。すなわちそれは矛盾への逢着とその矛盾の止揚という経過をたどって行われていくのである。

 つまり、わたしには、岩崎武雄は弁証法と矛盾の関係に拘泥しているのではないかと思えるのです。弁証法は「矛盾克服の論理」といえますが、これは、あらゆる論理展開が、矛盾律を前提にしていることの弁証法への反映であり、弁証法の必要条件を表しているにすぎないと考えます。矛盾の克服は弁証法の必要条件ですが、十分条件ではないのです。
 
 岩崎武雄は『弁証法』の序論のなかで、弁証法が歴史的にみても「矛盾の論理」ではないことの根拠として、弁証法の語源について指摘しています。
 弁証法ということばがもともと対話術という意味であり、なんら矛盾の論理という意味を持たない


 弁証法の語源が「対話」にあることは指摘されていますが、「矛盾の論理」ではないという点だけで捉えられていて、「対話」それ自体が捉えられていません。

 マルクス主義が「矛盾の論理」としての弁証法を強調するなかで、岩崎武雄は弁証法を「矛盾の論理」ではなく「矛盾克服の論理」であると主張しました。弁証法の正しいに理解に一歩「近づいたといえるでしょう。しかし、それは弁証法の必要条件でしかなく、「対話」を核心に取りいれた必要十分条件を満たしていないといわざるをえません。

 「矛盾克服の論理」に、「対話をモデルとした思考方法」という契機を導入する必要があると思われます。「論理的なものの三側面」には「対話」を入れる余地はありません。わたしの試みは「論理的なものの三側面」を解体して、弁証法に「対話」を導入することにあるのです。   (了)

参考文献

 ヘーゲル・松村一人訳『小論理学』岩波文庫 1978年
 城塚登『ヘーゲル』講談社学術文庫 1997年
 岩崎武雄『岩崎武雄著作集第一巻 歴史と弁証法』新地書房 1981
 廣松渉『弁証法の論理』青土社 1980
 岩佐茂ら『ヘーゲル用語事典』未来社 1991
 島崎隆『ヘーゲル弁証法と近代認識』 未来社 1993
 島崎隆『ポスト・マルクス主義の思想と方法』こうち書房 1997
 松村一人『ヘーゲルの論理学』勁草書房 1969
 許萬元『弁証法の理論』創風社 1988
 岩崎武雄編 『ヘーゲル』世界の名著44 中央公論社 1978年
 中埜肇『弁証法』中公新書 1973