対話とモノローグ

        弁証法のゆくえ

表出論のゆくえ2008

2008-12-29 | 案内
 今年(2008年)の最初のころは、アルチュセールの弁証法を検討していた。その過程で、これまでの経緯をふりかえる機会がなんどかあった。そのなかから、アインシュタインの特殊相対性理論の成立過程と複合論は相性がいいのではないかという思いが生まれてきた。相対論の形成過程を弁証法の立場から検討しようと思ったのである。いまもその試みのなかにある。
 今年書いた「対話とモノローグ」の記事から、10編を選び、「弁証法試論」への導入とした。
 目次は次のようになっている。
  1 2組のペアと2組のトリオ――もうひとつの内的類似性
  2 内的類似性の拡張
  3 熱力学か、電磁気学か
  4 相対性理論の形成と武谷三段階論
  5 アインシュタインの思考モデルと2つの基準
  6 2つの基準の包摂
  7 表出のなかの悟性と理性
  8 「論理的なもの」とアインシュタインの認識論
  9 弁証法の場
  10 表出論のゆくえ

   表出論のゆくえ2008


構成的努力と原理の発見

2008-12-21 | アインシュタイン

 アインシュタインは、理論家の仕事は2つの部分に分かれると述べていた(「プロシャ科学アカデミーにおける就任講演」1914 )。「課題の第一の部分と第二の部分」である。わたしには、「課題の第一の部分」は「下向」、「課題の第二の部分」は「上向」と対応するように思われた。

 アインシュタインは「相対性理論とは?」のなかで、物理学の理論には2種類あるといっている。構成的理論と原理的理論である。

 物理学の理論といっても種々な様式の理論を区別することができる。大部分の理論は構成的な様式をとっている。この種の理論は比較的簡単な基本になる理論形式から出発して、より複雑な現象の描像を構成しようとするものである。この意味で気体の運動論は力学的・熱的諸現象や拡散過程を分子の運動に帰着すること、換言すればそれらを分子運動の仮説から再構成することをねらうものである。一群の自然過程を理解することに成功したといわれる場合は、それはつねに問題の諸過程を包括する構成的な理論が見出されたことを意味するのである。しかしながら、この種の最も重要な種類の理論とともに第二の種類の理論が存在するが、私はそれを原理理論(Prinzip-Theorie)とよぶことにしたい。この種の理論は総合的方法ではなくて分析的方法を利用する。この種の理論の出発点ないしは基礎を形成するのは仮説的な構成要素ではなく、経験的に見出された自然過程の一般的性質であり、個々の過程あるいはその理論的描像が満たすべき判定条件の数学的形式を導くところの原理なのである。このような意味で熱力学は永久機関が不可能であるという一般的な経験事実から出発して解析的方法に則って個々の過程が満足すべき連関を与えようとするもののである。
 構成的理論の長所は完結性・適応性および直観性であり、原理的理論の長所は論理的完全性と基礎の確実性にあるのである。

 この2つの理論は、「課題の第一の部分と第二の部分」と密接に関連している。構成的理論は課題の第二の部分と、また、原理的理論は課題の第一の部分と大きく重なっている。構成的理論は課題の第二の部分と対応するといわないで、大きく重なっているというのは、構成的理論も原理的部分をもっていると思われるからである。同じように、原理的理論は課題の第一の部分と対応するといわないで、大きく重なっているというのは、原理的理論も構成的部分をもっていると思われるからである。しかし、このようなふくみを理解しておけば、課題の第一の部分と原理的理論は対応し、課題の第二の部分と構成的理論は対応するといってもいいだろう。

 構成的理論とは、「仮説的な構成要素」を出発点にするものである。また、原理的理論とは「経験的に見出された自然過程の一般的性質」を出発点にするものである。
 1905年のアインシュタインの論文で言えば、光量子論とブラウン運動の理論は構成的理論とみることができるだろう。それに対して、特殊相対性理論は原理的理論といえるだろう。

 アインシュタインがソロヴィーヌへあてた手紙の中で示した思考モデルでいえば、構成的理論ではEJASE過程のすべてをはじめから問題にするのではなく、ASE過程だけを問題にする。出発点とするA(「仮説的な構成要素」)が存在しているからである。これに対して、原理的理論では、出発点とするA(「仮説的な構成要素」)がなく、最初のE(経験的に見出された自然過程の一般的性質)から、EJASE過程のすべてをはじめから問題にせざるをえないのである。 トーマス・クーンの表現でいえば、構成的理論は通常科学、原理的理論は革命科学といえるのではないだろうか。

 アインシュタインは「自伝ノート」のなかで電磁気学の基礎の研究に対して自分自身に起こった方向転換を次のように述べている。

 このような考察のおかげで、一九〇〇年を少しすぎたころ、すなわち、プランクの画期的な研究のでた直後には、すでに私には、力学と熱力学のどちらもが(限定的な場合を除いて)厳密な正確さを要求しえないものだとわかっていた。しだいに私は、既知の事実に基づいた構成的な努力によって、真の法則を見いだす可能性に絶望していった。長く、そして絶望的に努力すればするほど、ある一般的な形式を備えた原理を見つけることだけが、われわれを確実な結果に導きうるのだろうという確信が深まっていった。手本として私の前にあったのは、熱力学である。

 既知の事実に基づいた構成的な努力によって、真の法則を見いだす可能性はないという絶望。ある一般的な形式を備えた原理を見つけることだけが、われわれを確実な結果に導きうるのだろうという確信。 これまでの構成的努力をやめ、はじめからやり直すこと。相対性理論が誕生する前夜のことである。

 アインシュタインの「下向と上向」は、「自伝ノート」のことばを借りていえば、「原理の発見と構成的努力」と特徴づけてよいのではないかと思う。


アインシュタインの下向と上向

2008-12-07 | アインシュタイン

 わたしは、アインシュタインの思考図式(G・ホルトンの図示)に、下向と上向を位置づけた。(「1905年における光の粒子性と波動性について」参照)

    アインシュタインの思考図式

 ここで、EJA過程(上昇する曲線)が下向である。Eは経験、Jは飛躍、Aは公理を表している。AS過程(下降する直線)が上向である。Aは公理、Sは命題を表している。

 下向と上向は、マルクスのことばである。アインシュタインは、「プロシャ科学アカデミーにおける就任講演」(1914 )のなかで、「課題の第一の部分と第二の部分」と言っている。わたしには、「下向」と「課題の第一の部分」、「上向」と「課題の第二の部分」は正確に対応しているように思える。

 理論家の方法としては、彼が種々の結論をそこから演繹してくる一般的前提、いわゆる原理をその基礎として用いることが当然必要になります。したがって理論家の仕事は次の二つの部分に分かれます。彼が第一にしなければならないのはこの原理を発見することであり、次には原理から出てくる種々の結論を展開しなければなりません。ここにあげた課題の第二の部分を果たすためには彼は学校において立派な準備を受けています。したがって、ある分野の、あるいは複雑に関連しあった現象に対して課題の第一の部分が一旦解決された暁には、十分な勤勉さと理解力をもってすれば成果には事欠かないでしょう。ところで課題の第一の部分、すなわち演繹に際して基礎として役に立つはずの原理を確立するということは、全く別の種類の仕事なのであります。この場合、目標に到達するのに、教えてもらえるような、組織だって応用すればよいという方法はなんら存在しません。むしろ研究者は経験的事実の厖大な複合体の中で正確な定式化を許すある種の一般的な特徴をつかむことによって、この一般的原理の本性を徐々にかぎつけなければなりません。一旦この種の定式化に成功したとなりますと、そこで種々の結果が展開されてくることになります。そしてそれが、原理が獲ちとられた経験領域をはるかに越えて、思いもかけない現象間の関連を与ることになるのがしばしばです。(『アインシュタイン選集3』所収)