対話とモノローグ

        弁証法のゆくえ

逆三角形

2006-02-25 | まちがい発見
 小浜善信は「時間と永遠――永遠の現在」(『九鬼周造の世界』所収)の中で、九鬼周造の図解はスタティックな(静的な)構造ではなくダイナミックな(力動的な)構造をもつことを強調している。その例として、様相性の第三の体系の図をとりあげている。

     

 この図がダイナミックな構造をもつという指摘は正しい。しかし、小浜が指摘している動きは、逆ではないかと思う。かれは次のように述べている。

上の逆三角形についてもそのことが注意されなければならない。底辺の実線、斜辺をなす二本の破線、頂点がその先端においてまさにそれに接しようとしている無を表す破線、これらはすべて無限延線であり、それゆえ閉じてはいない。つまりそれは無限に伸びゆく線によって形成される動的構造をもった無限逆三角形なのである。「必然性」を表す実線は、いわば完全に無の影を排除した存在そのもの、生命の充溢といったようなもので、ダイナミックな無限者を示している。三線で囲まれた面(「可能性」)は頂点(「偶然性」「現実存在」)への衝動ないし胎動を内包する「可能性」であって、「必然性」自体が体内に孕む衝動である。そして頂点は、無(「不可能性」)の破線に墜落する不安に絶えず脅かされている。九鬼の図式化はたんに明晰判明化を狙っているだけではない。ものごとの構造が関係構造において成立していること、そしてその関係構造がダイナミックなそれであることを示そうとしているのである。

 〈三線で囲まれた面(「可能性」)〉は、〈頂点(「偶然性」「現実存在」)への衝動ないし胎動を内包する「可能性」〉である。そして、頂点(「偶然性」「現実存在」)への衝動は〈「必然性」自体が体内に孕む衝動〉であると指摘している。小浜は逆三角形の中に、上から下への動き、いいかえれば、必然性から始まり、偶然性で終わる動きを見ているのである。

 これは「偶然性は必然性の否定である」という『偶然性の問題』の主調を、この図の中に読み込んでいるものと考えられる。
 しかし、九鬼周造がこの図で表現しようとしたのは、生産点としての偶然性を中心に置いた、四つの様相性の関係ではなかっただろうか。
 九鬼周造は次のように説明している。
 偶然性は、不可能性を表わす直線内においてその一点であると同時に、可能性を表わす三角形においてその頂点である。偶然性は虚無であると共に実在である。虚無即実在である頂点は生産点として三角形全体の存在を担う力である。三角形の底辺は発展的生産の終局として完成の状態にある必然性を表わす。偶然性はみづから極微の不可能性でありながら、極微の可能性を尖端の危きに捉えることによって、「我」を「汝」に与え「汝」を「我」に受け、可能性に可能性を孕んで、遂に必然性に合致するのである。
 九鬼周造が三角形の図で表現しようとしたのは、下から上へ飛躍していく動きである。上から下へ墜落していく動きではないのである。偶然性から可能性へ、そして可能性から必然性へという動きである。
 それは小浜の指摘する動きとは、まったく逆なのである。
 ちなみに、頂点(偶然性)の情緒も偏向している。偶然性は「無(「不可能性」)の破線に墜落する不安に絶えず脅かされている」のではない。この図において「偶然性は、現実の一点に脆くも尖端的存在を繋ぐだけであるが、実在の生産原理として全生産活動を担うだけの情熱を有ったもの」なのである。
 この図の中で奏でられているのは、「偶然性は必然性の否定である」という『偶然性の問題』の主調ではない。その転調である。それは、「偶然性の内面化」の序曲なのである。

 「偶然性の内面化」と弁証法

「弁証法と様相性」への案内

2006-02-13 | 案内

 弁証法は「偶然性の内面化」ではないか。これは、バイソシエーションが「二元結合」と翻訳されているのを見たときに、浮かんできた考えである。「二元結合」の「二元」に、「独立なる二元の邂逅」の「二元」が重なったのである。

 わたしは、弁証法を、「対話をモデルとした思考方法で、認識における対立物の統一」と考えている。認識における「対立物」に「独立なる二元」を対応させ、「統一」に「偶然性の内面化」を対応させれば、複合論の定式は、そのまま「偶然性の内面化」のモデルとして有効ではないかと思われたのである。いいかえれば、弁証法は「偶然性の内面化」である、と。

 これは、弁証法を偶然性という観点から見直すことだった。

 九鬼周造の『偶然性の問題』を読み直した。しかし、「偶然性の内面化」には、対話を入れる余地はないように思われた。九鬼の「偶然性の内面化」は〈対話のない「偶然性の内面化」〉、〈対話ができない「偶然性の内面化」〉のように思われたのである。

 対話が入らないのは、偶然性の分析が必然性を前提におこなわれていること、偶然性が根源的な様相として捉えられていないことにあるのではないかと思われた。この考えを展開してみようと思った。

「弁証法試論」の補論6として、「弁証法と様相性」をまとめた。

 目次は、次のようになっている。

  1 偶然性の中心
  2 「偶然性の内面化」の定式
  3 偶然性の定義 
  4 二元結合(バイソシエーション)と偶然性
  5 様相性の二つの体系
  6 様相性の第三の体系
  7 「偶然性の内面化」のモデル 
  8 様相性の第三の体系と複合論
  9 止揚の過程と様相性
  10 「偶然性の内面化」の定式と複合論
  11 様相性の第二の体系と表出論
  12 偶数と弁証法

「弁証法試論」 補論6「弁証法と様相性」