わたしは「論理的なもの」の構造として自己表出と指示表出を想定している。2つの「論理的なもの」から1つの「論理的なもの」が形成される過程(ケストラーの創造活動の理論「バイソシエーション」、あるいは、わたしが提起している「弁証法」の理論)を自己表出と指示表出の2つの契機で把握しようと思ったのである。自己表出と指示表出は、吉本隆明が「言語」の構造として提起したものである。
吉本は「言語」と「商品」の対応を指摘し、自己表出と指示表出を価値と使用価値に対応させていた(『言語にとって美とはなにか』)。それならば、「論理的なもの」は「商品」と対応するとみていいだろう。わたしは、2つの「商品」(リンネルと上着)の価値関係あるいは交換関係を基礎にして「対話」のモデルを作り、2つの「論理的なもの」が変換されていく過程を表現した。
吉本は「言語」と「商品」の対応を指摘し、自己表出と指示表出を価値と使用価値に対応させていた(『言語にとって美とはなにか』)。それならば、「論理的なもの」は「商品」と対応するとみていいだろう。わたしは、2つの「商品」(リンネルと上着)の価値関係あるいは交換関係を基礎にして「対話」のモデルを作り、2つの「論理的なもの」が変換されていく過程を表現した。